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それは、去年の3月に始まった ②レセプショニスト編

私がライターというものになる最初の一手が来た瞬間

「それは、去年の3月に始まった」を書いてから早5か月。もう2020年が暮れようとしている。嵐の活動休止もガチのカウントダウンに入って、今の気持ちを残しておきたい衝動もある…でもまずは去年の3月の続きからだ…。

松方ホールは神戸新聞文化財団が管理しているが、レセプショニストなどがおこなう、実際のホールの運営はサントリーパブリシティサービス(株)(通称SPS)が行っていて、私もそこに所属していた。3月の青天の霹靂は、この2社の関係から起こったこだと思う。

SPSにはしっかりした教育と給与査定のシステムがあって、毎年4月の契約更新の前には、大阪のサントリー本社まで行き、マネージャーと面談して次年度の契約の確認をする。

去年の2月、私も本社まで行って面談をし、4月から一年の契約更新をしたのだけれど…。

面談から数週間後の3月最初の仕事の日、めったに松方には来ないマネージャーから「仕事前に少しお話いいかしら?クロークまで来てください」と呼ばれたのだ。

わざわざ神戸まで来て話があるなんて、私は何か仕事でヘマをやらかしたと思い、チョット緊張したのを覚えている。というのも、可愛くて利発なお嬢さんレセプショニストたちに交じって、一番経験が浅いおばさんパートで頑張ってたものだから、結構どんくさいミスをしていた自覚があったのだ。

フローラと呼ばれるレセプショニストの仕事

だから見た目ではチーフクラスに見られて、よくお客様から声をかけられたものだった。実際は見かけ倒しも甚だしく、何か聞かれても、少し離れたところに立っている同僚の女子大生に「すみませ~ん…」と確認しにいくことなんてしょっちゅうで、

「ナンダこの人、責任者みたいな顔して知らんのか」の気持ちがカオに出ているお客様を何人見たことか。

末っ子気質だからか「ダントツ年上の一番下っ端」という環境でも、レセの仕事は刺激的で、緊張感はメチャクチャあったけどやりがいがあった。コンパニオンのような、非日常感あふれるユニフォームも着ることができて楽しかったし、なにより他のレセがみんな魅力的な人ばかりで、素敵な職場だったのだ。

松方ホールのレセプショニストのユニフォームは、冬は赤と黒の千鳥格子のジャケット、夏はカナリアイエローの鮮やかな黄色のジャケットで、下はそれぞれ膝丈の、ふんわりしたAラインの黒のスカート。かなり目立つ。そして普段では絶対に着ることはないデザインと色あい。

公演に行ったことのある人は、開演してから遅れてきたお客さんが、暗闇のなかを中腰の係の人に連れられて座席まで案内されるのを見たことがあると思うけど、あの黒子のように腰をかがめて案内しているのも、入り口でチケットをもぎっているのもレセプショニスト。

だから殆どのホールでは目立たない黒っぽいスーツだと思うけど、松方はなぜかあんなに目立つジャケットだから、私は中腰になりながら「なんでこんな目立つ色にしたのかな」といつも思っていた。

そんな派手な松方のユニフォームは、系列のホールからヘルプで来てくれるレセからも人気で、記念にユニフォーム姿で写真を撮ってた人もいた。実は私もコッソリ自撮りした写真を今も持っている笑。

それと松方のレセだけはなぜか「フローラさん」と別称があり、自分たちのことも「フローラが…」と言っていた。私の中でも「なんか松方はちょっと特別なのかな」みたいな印象があった。実際のところは知らないけど。

今へと繋がる通告


話を戻して、マネージャーからクロークへの呼び出しだ。なんだか普通じゃないことを言われる予感がしてたけど、その話は予想を上回っていた。

数週間前に本社で契約更新の面談をしたばかりの同じマネージャーから「今月いっぱいでSPSは松方ホールから撤退します」と伝えられたのだ。

クロークの中の椅子に座って、話を聞きながら見たロビーの景色を今でも覚えている。理由なんかはどうでもよかったけど、私がここで仕事をするのがもう今月いっぱいだということだけは決まったのだ。

そして「青天の霹靂ってこういう時のことを言うのか」とボンヤリ思っていた。

系列の兵庫芸文や神戸文化ホールへの異動も提示してもらったけど、私は神戸港を眺めることができる、この小さくて洗練されたホールが好きだったので、レセの仕事を続けることより「松方じゃないならもう辞めよう」と即決していた。

そして3ヶ月後に、今のように文章を書くことにつながる、湯川カナさん率いる「リベルタ学舎」と出会うのだ。

ああ、またしても湯川さんとの出会いまで到達せず・・・。

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