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それは、去年の3月に始まった ③ウグイス嬢編

松方ホールのレセプショニストの仕事が3月いっぱいで終わると決まって、どうしようかなと思っているところに、ママ友からもうすぐ始まる市会議員選挙の、ウグイス嬢のバイトのお誘いがきた。

これまでのおはなし。

「ウグイス嬢とな!」この歳になって、なかなか「嬢」がつく仕事になんか就かせてもらえない。

小学生の時、自分の街を走る選挙カーに向かって手を振った経験がない人はいないと思うし(え、普通やるよね?)、人生で一度くらい、車の窓から白い手袋で手を振る、アチラ側になってみてもいいんじゃないか……?

私は好奇心も手伝って「やるわ!ウグイス嬢!」と即答していた。後で聞いた話だと、何人かに声をかけたけど、やるって言ったのは私だけだったらしい笑。

さて、ウグイス嬢をやることになった!取材と同じで、なんでも相手をよく知らなければ。まずはウグイス嬢の下調べからだ。

近頃は、なんでもYouTube先生が教えてくれる。以前、取材用に一眼レフを買おうと思った時も、初心者にオススメのカメラっていう動画を参考にしたし、本当に世の中には色んな物知りがいて助かる、と思った。

と、そういう時、みんなはふと考えないのかな。。(またハナシが脱線しちゃうけど)

まだインターネットがなかった若かりし頃、色んな調べものをするときに自分はどうしてたんだっけ?と。

たとえば初めての仕事場に行くのに絶対遅刻できない。Google map先生も乗り換えナビ先輩もいなくて、ぶっつけで当日にいきなり行くって、いまメチャクチャ怖くないですか?前日なんかキンチョーして落ち着いて眠れないわ。

スマホを取り上げられて、住所書いた紙だけピラっと渡されて、「ハイ、ここに行ってください」と言われたら、到着できますか?!もう方法すらすぐには思いつかないよ…。

話を元に戻すと、YouTube先生の中には「あの人にやってもらうと必ず当選できる伝説のウグイス嬢」のような人がいた笑。伝説の人からウグイス嬢の基本を伝授してもらい、選挙事務所での勉強会に参加した。

発生練習や、ノドの調子が悪くなった時に、アナウンスしながらでも使える、上あごに貼るタイプのトローチとか、遊説中に他の候補とすれ違った時や、他候補の選挙事務所の前を通る時の、お約束の挨拶があったり。ウグイス嬢のあるある話を教えてもらった。

遊説中に、コンビニで軽く飲み物を買ったりするんだけど、支給されてるクオカードに自民党の紋がババンッと入ってて、地味に「おぉ…」と思ったり、運転手さんが一時間おきにトイレに行きたがるから、「それ絶対、前立腺肥大ですよ」ってアドバイスしてあげたり。(なんだそのハナシ)

特に印象に残ってるのは、選挙カーで活動中のお昼休憩をしている間に、新元号「令和」が発表されたこと。

もう一人のウグイス嬢と運転手さんの3人で、お昼休憩のファミレスで元号発表の生中継を見て「令和!!」と興奮し、その後のアナウンスに「令和を担う子どもたちに…」っていう文言を急遽取り入れたりして。おかげで歴史的発表の日に何をしてたか、記憶に残ってる。

ウグイス嬢のアナウンスは、農村部と住宅街、走る土地に合わせて微妙に内容を変えている。それに大きなスピーカーの声は迷惑なんじゃないかと思っていると「ウチの方に今回は選挙カーが回って来ない」というクレームが事務所に来るというし、やっぱり昭和の時代から今まで無くならないのは、必要って事なのかな。

そんなこんなで、私が応援した候補者はめでたく当選し、それも含めて自分でも驚くことに、ウグイス嬢の仕事はなかなかに楽しかった。人生なんでもやってみるもんだ。

さて、束の間楽しかったものの、選挙期間もアッサリ終わってしまった。

その時点でタウン紙の取材記者もしていたけど、取材に行けばあとは家で原稿を書けるし、音楽ホールのレセプショニストとウグイス嬢の両方ともが、非日常感のある仕事だったからか、私の中で「外で活動したい欲」みたいなものが出てきたのかもしれなかった。

でも新聞折り込みの求人を見ても、そこには私がやりたいと思える仕事は載ってなかった。「何かやらないと」。漠然とした思いだけが強まっていく中、2019年5月28日、湯川さんから「あなたはいま、何に燃えていますか?」という題でメルマガが届く。

リベルタ学舎 湯川カナさんとの出会い

それは、リベルタ学舎の新規プロジェクトの立ち上げメンバーを募集します!という「みらいなりわいカンパニー」のメンバー募集の案内だった。

”専門家も交えて事業づくりの基本を学びながら、実際に協働で仕事をつくっていきます。企んで、営んで、稼ぐ。ゼロから一緒に事業づくりを企画・運営してみたい人、ぜひどうぞ!” とそれには書いてあった。

タイミングって大事だ。今この「事業づくり」のメールが来ても応募しないし、普通の主婦の私がなんで応募したのかと、今となっては自分でも思う。ホントによく応募したなぁ…。

それほど「何かを始めないと!」と切実だったんだろうし、このメールに反応していなければ、こんなnoteも始めることもなく、今とは全然違う世界にいたはず。

リベルタ学舎との出会いが私に与えた影響は大きくて、「人との出会いなくして、世界の広がりは無い」と言い切れるほどの、出会いと流れに恵まれて、そこからライターという仕事に繋がっていった。

それに、どうしても心に響いた一文があって、それは

「どんな将来や社会になるか不安でも、実はそれはそんなに大切なことじゃない。一番大切なのは、「あなたは、これからどう生きたいのか?」ということ。なぜなら、行先を持たない船は、どんな時代だって流されるだけなのだから。」

まさに湯川さんの言葉の力。これを読んで、「流されるだけなんてゴメンだ。自分で決めたい!」そう思って、ほぼ専業主婦の私が「みらいなりわいカンパニー」への応募を決めた。

すると6月の第1回の集まりには、そうそうたるメンバーが参加していて、普通の主婦の私は、場違い感をヒシヒシと感じながらも、そこから9ヵ月に渡るリベルタ学舎での活動が始まったのだ。







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