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美保関灯台

 美保関港からうねうねと続くしおさいラインを5分ほど島根半島の東の突端までドライブすると美保関灯台下の駐車場に到着する。道標に従って上り道をゆくと山陰最古の赤い屋根の建物と白い灯台が目に入る。群青の海から秋風がぬけ、ここだけ時代が違って見える。
この灯台は、地上から高さ14メートル。水面からなら83メートルの場所に建てられている。ガイドには「12秒間に一度ピカリと閃光を発する。光の強さは490,000カンデラ(1カンデラ=ろうそく一本のあかり)で23.5海里の海上を照らす」とあった。とてつもない明るさで暗い夜の海を照らすのだとわかった。平成10年に歴史的に特に重要な灯台100選に選ばれた。
竣工は明治31年。赤い屋根の建物は灯台守の住まいだったとか。今の灯台は無人運用され、この官舎はお茶や食事ができるビュッフェになっている。
 江戸時代は日本海を北前船が行き来した。風待ちの美保関の港に入る船は、決して陸地に近寄ってはいけない、なぜなら潮の流れがきつく、岩礁が鋭いため船を破壊するから。灯台の周辺にはお地蔵様が数多く祀られ、地蔵岬という名前で呼ばれた地だったのがその証左。灯台の向かい側、美保湾を隔てて大山がそびえたつ。古代、大陸から船でやってくる人々は大山を目指して船を操った。港近くまでたどりついたあげく、岩礁激突から舟人を守るように、小さな二つの島は沖の御前、地の御前と名付けられた祠が祀られている。
 コロナで自粛が少し解かれ、近距離のお出かけが可能になった。まだ感染症に対して警戒心を持ち続ける段階だけど、思いついた時に自由に動けるのは気持ちがいい。今まで何の疑念も持たず当たり前だったことは、公衆衛生や医療体制、社会の様々な仕組みとその地に生きる人々によって支えられたことを再認識する。そして、海の安全のため、予期せずに生命を落とした人々に対する神仏への祈りに思いをめぐらす。

我が家から車で1時間と少し。晴れた秋の午後、写真をたくさん撮り、帰ってパステル画を描こうともくろんでのドライブだった。
ゆうこの山陰便り  №199
 


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