信仰の味

「この法は絶対に間違いのない法だ」という確信は、体験なしには生まれません。ただの知識だけでは、真の救われの境地、安心立命の心境には至れないのです。たとえば、いくら砂糖の成分を知っても、それだけでは砂糖の甘さが分かったとはいえないのと同じです。信仰の場合も、教えを生活の場で実際に実行すると、真理のはたらきが、ちょうど砂糖をなめてその味を知るように、実感として全身で味わえぎす。その体験がないと信仰の真の喜びは得られず、自信をもって説くことができないのです。

『開祖随感』1967年(昭和42年)

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