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【引っ越しました】田舎への移住は生活の質が上がるという事について(Part.2)

はじめに

両親が埼玉に戻るという話は数年前から出ていた。今まで住んでいた吉祥寺の実家に相当ガタが来ていたからだ。東京に23年住んでいたシティーボーイの私にとって、ダサイタマに戻るのには正直抵抗があった。しかし、コロナで私の考えは一変した。元々今年の8月にインディアナ大学に戻り、学業と仕事を続けるつもりだったが、現在のアメリカのコロナの状況、大半の授業と業務がオンライン上で行われる事や、安全面を考えると直ぐにアメリカに戻る魅力はないと考え、一年休学・休職をし、その間オンライン上でのプロモーション・音楽活動を活発させるために今年一年は、そのビジネスモデルを構築する事に時間を費やそうと決めた。noteを始めたのもその一環である。(みんな(*^▽^*)フォローよろぴくな!)

後期高齢者の両親と同居している私は、友人と会ったり、外出をしたりする事を極力控えている。なのでコロナ渦、東京にいるメリットは特にない。ピアノが練習出来て、ネットが不自由なく使える環境にいれば余は大満足じゃ。(*^▽^*) そういうわけで埼玉に引っ越して何か不便に感じたりするという事は今のところ何もない。いや、むしろ生活の質が上がったという事について今日は力説させて頂きたい!! 結論として、私のように今後オンライン上での仕事を中心とし、ピアノの練習だけをする引きこもり芸術家には是非地方移住をお勧めしたい。

地方のメリット

田舎の程度にもよるが、小生が現在引っ越してきたのは埼玉県春日部市である。山と川に囲まれた滝廉太郎の歌詞に出てくるような田舎ではないが、東京の都心から少し離れた大き目の駅(ちなみに小生の認識では、東は錦糸町・南は町田・西は八王子・北は北千住が東京の外れだ)に比べると、かなり田舎感はある。しかし、春日部駅から特急で浅草まで35分まで行かれる。個人的には、最も理想的な位置にある。理由として家賃は安くなるが、東京まで通えない距離ではない。引きこもりピアニストとなった私は現在、東京に毎日のように行く用があるわけではないが、月に一・二度は行く用事がある。まさにパーフェクトな立地である。

以下が私がダサイタマに引っ越してから感じたメリットである。

家が駅から近くなった。吉祥寺駅徒歩11分の家よりも、一ノ割徒歩5分の家の方が断然便利である。

物価が安い。スーパーの総菜・弁当の値段は都内の西友とあまり大差ないように思える。が、量が多い。基本的に1.3割増しだ。またマルエツは夜の6時で3割シールがかなり貼ってある(あらまぁ♡ 家計が助かるわぁ:;(∩´﹏`∩);:)山崎の菓子パンも70円である。

家が広くなり、隣接した家との距離も縮まる。開放感があり、心のゆとりを戻したような気がする。以前住んでいた家は、トイレの窓を開けると直ぐ隣の家(陽さん宅)の玄関前で、隣の家の車を見ながら、ブリブリとウンコをしていた。しかし陽さん一家の誰かが玄関から出てくるとそうはいかない。大家族なようで、人の出入りも結構ある。しかも私がウンコをする午前中は比較的家の前もにぎやかだ。ケツの穴を殺し・・・もとい、息を殺して一本糞をするテクニックは身についた。

・人が親切・・・な気がする。
ここ数日、Wi-Fi機器が届くまで近所のマックに一日に3回、掃除の備品やスナック菓子を買いに近くの薬局に出入りしていたが、若い女性のアルバイトの子が、お釣りを渡す時「342円のお返しです! (*^▽^*) ぎゅっ(←手を握る音)」と言った感じで、社員教育が行き届いている。(●^o^●)むふふふ

・田舎は便利

田舎にいたら買い物が不便と思われるかもしれないが、むしろ買い物は便利になった。都心で駅から遠いとスーパーも遠くなる。家の近くには薬局、スーパー、郵便局があって大変便利。春日部駅には最近ショッピングモールもできたので、服や靴を買うのにも困らない。(ユニクロだけど(;´・ω・))そもそもネットショッピングで何でも手に入る時代に都心に高い家賃を払って住む必要はないのではないか?また、Netflix、Kindle、Youtube等のお金のかからない娯楽が増え、これからは田舎でも十分退屈せずに暮らしていけるのではないかと思っている。小生はテレビはナイター中継以外見ないが、阪神タイガースの熱狂的なファンなので、来年のプロ野球開幕までにお金を貯めて念願の液晶テレビを購入し、スポーツチャンネルを登録し、阪神を応援しようと思う。

春日部に戻って感じたデメリット

勿論すべてが良い事ではない。春日部には都会のようなエネルギーはない。といって田舎のような自然があるわけではない。何とも中途半端な町だ。地方の過疎化は進み、町全体が廃れている。天気が悪い日は特に殺伐とした気持ちにさせられる。

私は過去7年間アメリカに住んでいたが、毎年夏には吉祥寺に帰っていた。帰る度に商店街のお店が大分入れ替わっているのに気が付いた。新しいお店が出店してはつぶれ、また別のテナントが入る。「半年前までこんなお店無かったよなー。ふーん、今度はあそこに新しい店が出来たのか。変な店だなー」といった感じだ。私が幼少を過ごした春日部に戻るのは23年ぶりだ。23年と言う月日は長い。23年ぶりに一ノ割の駅を目の当たりにした私に感動はなかった。というより寂しさがこみあげてきた。映画「フォレストガンプ」のジェニーが成人した後、彼女が幼少の頃に住んでいた家を訪れるシーンがある。住んでいた家は無残にも廃墟となり、父親から虐待を受けた記憶とが重なり、ジェニーは胸が張り裂ける思いで廃墟に向けて石を投げるのである。

私はジェニーと同じように、一ノ割の駅前「パチンコ・パーラー・リオ」を見た時に何ともいたたまれない気持ちになった。

バブルの名残があったのかもしれない。派手な昭和のラブホテルのような外観をしたパチンコ店は25年が経った今もお下劣な外観を残したままだ。変わったのは店先に並ぶ開店祝いの花環が無くなり、作られた賑やさまでもが演出されなくなった事。客が来なくり、だだ広い駐車場が存在感を増したこと。外壁の汚れは目立ち、大きな看板「RIO」が当時から何も修復されることなく、無残にも色あせていた事であろう。

店内を覗いても人がいる気配はしない。明かりはついているが、どことなく薄暗い。寂れた路地の歩く私の背を東武伊勢崎線の各駅停車が、ガタンゴトンと走る。夕暮れ時で誰もいない踏切の音と重なり、過疎化が進む地方を象徴するような一幕だった。

一ノ割は23年もの間時が止まっていた。いや、後退している。変わったのは駅のホームにある駅名が書かれた看板が新しくなった事。道行く車が新しくなった事。日中は老人しかいない。駅前にはイートインが出来るカフェを意識したパン屋があるがWi-Fiが通じない。商店街は軒並みシャッターが閉まりゴーストタウン化している。住宅街にチラホラ見かけられる何を育てているのかもよく分からない小さな畑、隅に頃がる空き缶とタバコの吸い殻、手入れの行き届いていない雑草ボーボーの歩道、廃墟と化した長屋、さびついたガードレール、臭いドブ、夕方頃になると工事現場で使われるような業務用の白いヘルメットをかぶり颯爽と自転車を漕ぐ中学生達。

結論: ま、(●^o^●)アマゾンあるしいっか!!

不満がある事と言えば、一日に何度も戦時下の空襲警報のような爆音で市からのお知らせが放送される事である。近所の武里小学校からも下校時刻には爆音が鳴り響く。日中寝ている人や、私のように自宅でピアノを練習している人からクレームは寄せられないでしょうかね?勿論今度市に抗議の電話をするつもりである。(*^▽^*)

春日部市では若い夫婦が多いのか、33歳の私が立派な社会人として見られる。(まだ精神年齢は12歳、下半身は高校生である キリッ(; ・`д・´))

ピアノが搬入されるまで1週間、市内の音楽教室や公民館でピアノをのレンタルをしていた。音楽教室で受付の人に「あのーピアノを弾きたいのですが」と聞くと「お子様のレッスンですね?(●^o^●)グループレッスンと個人レッスンがございます」と言われた。しかも二回も。水道管やネット回線の業者が家に立ち寄った時も、奥様はいらっしゃいますか?と聞かれる。きっと春日部では33歳で両親と同居している人は珍しく、子供がいる年齢なのだろう。

あと他に考えられるデメリットは若い女性を見なくなったという事である。私は東京丸の内を歩く江角マキコのようなスラリとしたオフィスレディーがタイプであるが、そういった女性は皆無である。

ま、物は考えようである。老人ばかりの町だが、たまに駅前で若い女性を見ると下半身センサーが反応する。登山家が下山して見る女性が皆美しく見えるのと同じ現象である。春日部万歳。

【続く】

写真:昨日は譜面の整理をした。誰かが遊びに来た時に、一番見える楽譜が全音の楽譜だと恥ずかしいので、boosey & hawkes社の譜面をさりげなく置いておく。私って計算高いざますよ(*^▽^*)おほほほ 

ジャズピアニスト 二見勇気
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