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最悪のセカンドレイプ

下らないまえがき

一応本人の許可はとっているし仲間内では笑い話になっているが、もしかしたらリア友が見ている可能性が微妙にあるので小中高のどの同級生かは内緒にしておこう。私は割かし学校の教室や部活では男子とつるむことが多く、普通に男子のマンションやアパートのリビングとか部屋でテレビでBリーグ見たり、ゲームしたり課題やったりしている。

その日も私は男友達の部屋で宿題をしたり漫画読んだりしていた。私は実のところその同級生の不器用だけど誠実なところが好きだった。私はふと宿題やっている男子に聞いてみた。私はベッドにスカートのまま無防備に寝っ転がって漫画を読みつつ、さりげなさを装って聞いてみた。

「ねぇ、女の私、普通にあんたの部屋にあがっているんだけど。私に女を感じないの?」

男友達が赤くなって「何言ってるんだよお前」と何も書いていないノートを読むふりをする。すると私はこう言ってやった。「私はあんたのこと、好きだよ。だから今ここであんたに初めてを奪われてもいいと思っているのに…本当に鈍感だね」

以上、私がその男友達がマンションの廊下に出て生協に出ている間に机の本棚で見つけてしまったノートに書いてあった小説である。仲間内で共有されていた私の写真がトリミングされて貼られている。体育館でイベントやっているときのシャツ姿、胸の膨らみがわかる奴だ。多分顔をうずめた痕跡だろう、ページによだれの痕跡がある。

ガサを入れたわけではない。部屋の机の本棚に懐かしい図鑑があるなぁとみてみたら、そのケースに挟んであったのである。ノートのタイトルは学校の授業のノートのようになっていて、私も興味を引いたのだが、ページをめくるとあないな展開の後に、私とその男子はそれを読んでいた私が座っているベッドでセクロスしていた。ノートの中の私は「不器用で誠実なところが好き」と言っていたが、誠実な奴である点はリアルで私も認めているから困る。あとノートでは私がラブホテルの部屋で、「金、暴力、Sex」とでもいいそうな金髪三人組に連れていかれたところを、某男子がケンシロウみたいに颯爽とかけつける場面もあった。たまげたなぁ。

とにかく私はノートをそっとじ、図鑑のケースに戻し、部屋の中古で買ったらしいPCでYouTubeでバスケ見ているふりをした。赤い再生表示を30分くらい進めるアリバイ工作をして。

それ以来、あいつと学校の教室で会うたびにそいつの創作の中で私がベッドで叫んだ語録をさりげなく挿入し、そのぎょっとした反応を見て遊んでいた私である。や、本当にいろいろ語録があるんだよ。第四章には及ばないが第二章には匹敵するね。教室で号泣議員ごっこをやった時、「同じや同じや」と叫ぶ場面で思いっきり教卓の角に手をぶつけちゃったときに、わざとそいつの前で「大丈夫、痛いの我慢するから」「見て、(手が)赤くなっている」とか言ってやった時のあいつのΣ(・ω・ノ)ノ!という反応が最高だった。私は完全に某智和と化していた。

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やっと本題

さて、私はそいつの人格は信頼しているし、部屋の中でシークレットノートを見つけてもそれは変化しなかった。理由は簡単である。

あいつは自分の部屋と頭の中で妄想していただけであり、女の子の意志を無視して性的に搾取してはいけない事はわかっていた。もしあいつが部屋にいた時に私に「お前のことが好きなんだよ」と叫んで810先輩のごとく迫ってくれば私は傷ついただろう。私は性的に扱われていい存在だと思われているからだ。だが今回に関しては部屋の中で勝手に本棚から図鑑を引っ張り出した私が悪い。不可抗力であり、私に対して彼がエロい妄想を抱いている事を私に表明していたわけではない

実は性犯罪で傷つくのは「性的に扱われる」事よりも「性的に扱われていい存在だとみなされる」事ではないかと思う。性犯罪の問題の本質は実はここにある。というのも性暴力やその他の暴力は多くの場合性欲よりも相手に対して支配感を得る事」にあるからだ。

アホみたいな話だが、酷い暴力が行われると一定数の人間が「こんなことをされるのなら絶対に被害者に落ち度があったはずだ」と思うのである。そういう事を考える社会倒錯者は声がデカい事が多いので、「性暴力を受けた事」を被害者の人格、能力、生活、経歴、親族などを評価するバロメーターにしてしまう。そうやって「貴方がああいう被害を受けたのはあなたに価値がないからだよ」「貴方に価値があればこういう事をされないんだよ」と言って人間が社会に生きる最基本となる部分を破壊し、孤立させ、支配するのだ。ファーストレイパーとセカンドレイパーの動機はそういう面で共通していることが多く、セカンドレイパーは単に「被害者に無理解」なのではなく「強制性交の罪を背負うことなく他者を孤立させ支配するというレイプの楽しみを味わいたい連中」なのである。そこに性指向や性癖はあまり関係ない

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あのビルの会見室で記者会見を開いたレイプ被害者の女性ジャーナリストが偉大だったのは、「正しいレイプ被害者の在り方」を拒否した事だ。記者会見では就活生スーツを着てやるのではなくいつもの服装で会見に臨み、下着広告にも出ている。彼女を誹謗中傷するセカンドレイパーは事件があったとされるホテルロビーの歩き方まで指摘しているが、女性ジャーナリストの記者会見でのありかたはこういう奴らの被害者を傷つけてきた「批評」へのカウンターだ。

それにしても気持ち悪かったねぇ。彼女に記者室で接近したあのセカンドレイパーのE太郎だっけ。どうやって女性ジャーナリストがその時着用していた下着の情報知っていたんだろう。しかも公表するなんて。こんな奴がフラフラやってきて女性ジャーナリストはよく恐怖に打ち勝ったと思う。

こうした残虐行為に屈しない被害者が現れると―—口に出すのも汚らわしい大手メディアのレイプマンがその代表なんだけど―—FおよびSレイパーはよく「レイプ被害者の友達」を準備する。そして脳内レイプ被害者の口から「本当のレイプ被害者は記者会館で部屋借りて会見開いたりは出来ない」だの「レイプ被害者はフェミの宗教に犯されて理性を見失ってしまう。それに気が付いたレイプ被害者である私が冷静に君のレイプ被害者としての在り方を批判しているよ」みたいなことを言うのである。要は「頭のおかしなお前の味方をする奴はいかがわしい奴で、お前はまともな人間から相手にされていない」というのである。死ねばいいのに

性暴力をなくしていくための提案

性暴力をなくしていくために、私は教育が一番効果的なのではないかと思う。とりあえず小学校の教室の子供たちにBLを見せて、BLこそ素晴らしいものだと…じゃなくて…。私が提案したいのは以下の3つである。

セカンドレイプが存在するという教育:ぶっちゃけ私は「性暴力としてどんな被害があると考えられるか」なんかよりもセカンドレイプとしてどのようなものがあるか」を教えるべきだと思う。子供に対してだけではなく大人に対しても。「学校帰りにマンションのロビーの階段ルームに連れ込まれて」だのそればっかりではない。「コンビニのサービス使ったら住所特定されてチーフがマンションの部屋に襲いに来た」とか「ネットで繋がったサラリーマンが痴漢集団となって」とか「図書館の資料室の出生記録から今12歳くらいの女の子がいる住所を割り出して」とか、インターネットで脅されてとか、いちいち教育してられないほど多様なのである。具体例を教えるとそれに外れた手口で被害を受けた子供は物凄く悩むことになる。だから子供に対しては「セカンドレイプにはこんなものがある」と教えて、「それは間違っていると社会は考えているから、どんなことでもいいから凄く傷ついているなら、安心して大人に相談する事」を教えるのである。これは将来的に社会の認知の歪みを是正するのにも有効と考えられる。

助けを求める方法を教える教育:私はぶっちゃけ「性道徳」は必要ないと思っている。19歳と17歳がSexしたり40歳と16歳が真剣に恋愛したりってあり得るでしょう。性に関して道徳教育ばっかりやっていると「私は反道徳的な恋愛しているから第三者に性暴力を受けても守られるべき存在ではない」と思うし、最も大きな問題として「友達が性暴力を受けていて苦しんでいるのに助けてあげる方法がわからない、何もできない」と苦しむ子が増えてくる。PTSDは伝染するからね。今必要なのは道徳ではなく方法論である。(某紳士交遊録の受け売り)。誰に助けを求めればいいか、どんなふうに話を聞けばいいかを教育する事である。

保安セクター、児童相談所、保護施設の教育改革:具体的には署内部にレイプキットのある部屋と女性警察官でレイプに関して専門的な講習を受けた人物が話を聞ける専用の部屋を用意する事である。加害者の逮捕で児童相談所や養護施設に保護される子供もいるが、養護施設の部屋や生活ルールの再考、将来にわたる行政による教育、自立支援が必要である。これらの社会的養護の整備が子供が我慢せず被害を訴えやすい環境を作る

「全て事後的じゃないか、被害自体を無くすのが大事だろう」という人もいるが、加害者は被害者が訴えられない状況を作る事で被害を達成している。その状況を作っているセカンドレイプや社会の怠惰を許さない事は、確実に性犯罪の原因となっている認知の歪みを是正し、性犯罪者を包囲する。

私の親とアパートのリビングのPCで「心優しい図書館の館長が夜中の図書館のホールで少年探偵団を心配して一緒に帰ろうと笑顔で言う場面」をYouTubeで見ながら話し合ったのだが、私の親は私が性暴力に遭ったとしても怒りを感じないし、驚きもしないし、ショックも受けないと言っている。だから真っ先に被害に遭ったら教えて欲しいと言ってくる。私が自殺していないことを感謝し、私本人そっちのけで暴走したり怒ったりせず、私の意志を尊重し、冷静に私の味方になってやると言ってくれている。

子供と言うのは親を傷つけたくないと考えているので、子供の性暴力に対応するには、親や大人が傷つかず冷静に対処する覚悟が必要であると考える。

市民会館にあるパンピーに開放された体育ルームでその男子とフリースロー対決したことあるんだけど、その男子に対して「フリースローはね、足腰を使って入れるんだよ。足腰を使って…」と言ってやると、奴は動揺してことごとくフリースローを外していた。本当にシャックみたいな外し方するんだぜ。

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