見出し画像

大学への細道②

 そんなこんなでハルの受験生活(と言えるのか、家での姿をみるかぎり相変わらず疑問であった)もラストスパートに突入。年末からは願書を出したりという作業が始まる。

 わたしは何も手出ししないと決めていたので(しくみも煩雑そうだし、わかろうとする気力はもはやない。ここらあたりも家庭によって親の意気込みがかなり違うのだろうな・・・)、ここでも本人に任せるしかない。「出し忘れとか、お金の払い忘れとか、私はわからないから、ぬかりなくやってね!」と時々言うくらいのものである。

 志望校を聞くと、相変わらず意味不明な感じではある。私自身の時は自分のやりたい分野で選んでいたし、それが当たり前と思っていたのだが、史学部とか(一応本人は歴史をやりたいようである)、国際政策とか、果ては仏文科まで(フランス文学の一体何に興味があるのか?)。以前の3者面談で、私が脈絡のない学部選びに懸念を表明したところ、先生は「大学では学部を超えて興味のあることを学べるので、あまり分野に拘る必要はないと思います」とのことだった。それはそうなのだが。家に帰ってきて、やっぱり違うのではと思った。意識高い系の子ならそれもありだろうけれど、ハルがわざわざ興味を持って他の学部の科目とか履修したりするのだろうか?

 まあ、ここでも親の常識は棄てることにした。特に何やるかわからない子の場合は、行き当たりばったりでやってみたら結構よかったりするのかも。もう運にかけるしかない。

 で、手続きである。案の定、第一志望と言っていた(でも親からみたらムリだろうな~、記念受験かな~、と思っていた)大学の願書締め切りがいつの間にか過ぎてしまったり、明日までに届かなければならないところ、前日の夕方6時ごろ郵便局(本局)に出しに行って、窓口の人に「速達でも明日届く100%の保証はありません」と不吉なことを言われたり。(どうも本人の実力よりレベル高そうな大学だし、1校くらい届かなくてもいいや~)そんなドタバタな毎日を経て受験の日を迎えた。

 センターは本人が思っていたよりはできたらしい。ただ、センター利用で志望の私大に合格するレベルではかった。その後の私大の入試はムラもあったようだが、最低1、2校は手ごたえを感じたらしい。その時期に祖母の誕生会で皆で夕食を食べた時があったのだが、なんだかすごい饒舌だった。もしかしたら仏文科受かるかも。

 3校いっぺんに合格発表があった日。こちらは入学金を振り込む関係もあり、早く結果が知りたいのだが、なかな見ようとしない。始めは「(発表)みるの忘れてた」とか言っていたが(そんなワケない)、本音はみるのが怖かったようだ。夜遅くになってもまだ見ない。まあ、受かっていたら明日合格通知が来るだろうから、そっちで確認すればいいか。次の日、本人は寝ていたので、私が出かけた帰りにドキドキしながらポストを覗く。蓋をあける。えいっ。ない・・・。ああ。すべりどめで受験した大学への支払いがあるので、家に帰ってなんとか本人に合否を確認してもらう。スマホの画面をみながら小声で、全部落ちた、という。あー、だめだったかー。

 それから2日間、ちょっと意外なことに本人は寝たきりとなってしまった。トイレ大丈夫かと思うほどベッドから起きてこない。本人がこれほどショックを受けている姿をみるのは彼の生涯のうちで初めてである。易きに流れやすい性格で、何かを禁欲的に追及するということが全くないため、何かが思い通りに行かなくても、本人も周りも大して気にしたことがなかった。私の中では、これほどショックなほど今回は打ち込んできたのか、という気持ちと、これほどショック受けるくらいならもう少しやればよかったのでは?、という気持ちがないまぜだった。

 それで、公立の二次試験である。さすがにT大は消えていたのだが、Y先生がK大をすすめて下さって願書を出していた。もったいないので、中期はS大、後期はA大に願書を出していた。K大の二次試験は集団討論、S大とA大は小論文だった。寝たきりの時は、もうK大の二次試験を受けには行かないのではないかと思われたが、その後高校の登校日があり、おそらくY先生に相当励まされたのだろう、それ以降少し前向きな感じでなんとか隣県まで泊りがけで受験に出かけた。その前にY先生が集団討論の練習日を設けて下さったのだが、それもすっぽかして腹立たしかったものの、つれと私でなんとかそれらしい練習もして送り出した。(親らしいことをしたのはこの時だけかもしれない)S大とA大の二次試験も無事終了した。

そしてK大の合格発表の日。スマホの画面をみて今度は「あった」という。あの時は私のほうがやったーとはしゃいでいたかもしれない。しかし地方の大学である。中期と後期の試験の発表はこれからだが、手続きと住むアパートのことなどもあるので、取り急ぎ家族で大学のある市まででかけることになった。無事入学手続きも済ませ、アパートも仮押さえする。

それから一週間後くらいに中期後期の合格発表があった。なぜかつれの一言で出たA大が、本人の中では第一志望に急浮上していたようで、発表までなんとなく落ち着かなかった。だが、発表をみて本人がよくわからないことを言う。どちらも合否判定の対象外になっているというのだ。それで再度国公立大学の試験制度について本人が調べてみたところ、前期に合格して入学手続きをした場合、中期後期は自動的に合否対象からはずれるというものだった。「え、この制度のこと、(合格発表のある)今この瞬間に知ったわけ?」この一週間の落ち着かない毎日はなんだったんだ?! 本人がまた寝たきりになったらどうしようと思ったが、まあ多少落ち込んでいたものの、すぐに普通に戻ってくれてよかった。それにしても、2度公立の大学に行き、数度共通一次試験を受けたことのあるつれあいも、後から「そういえばそんな制度だったかも」とか言い出す始末。早く言ってよー。

 かれこれ色々なドラマを経て、ハルはK大に進学することになった。渦中は毎日のことをこなすので精一杯で、何か振り返る余裕はなかったが、彼が家を出ていくのは予想外の展開だった。寂しがりやで誰かをすぐ構いたがる。どちらかと言うといつまでも家にいてパラサイトになりそうなことの方を心配していた。つれあいが一人暮らしを進めていたのだが、最初はそう言われてその気になったつもりでいた風もしていたのだが、少したって「やっぱり一人暮らしって大変だって」と誰かから聞いてきたようなことを言っていた。「え、何が?」というと「仕送りとか・・・」。それって本人じゃなくて親にとっての大変なことだよね。それを聞いてこの子はまだ家を出ていきたくないのだろうなと思っていた。

結果的にK大しか合格しなかったので、もうそこに行くしかなかったのだが、いろいろ準備を進めているうちに本人も乗り気になってきて、あっという間にいなくなってしまった。巣立ちというのは思いがけなく突然やってくることもあるのである。


画像1

この本にでてくる一節に「母親は、去られるためにそこにいる」という言葉がある。ずっと印象に残る。子育ての折々にこの言葉を思い出している。子どもが成長したと感じることは、同時に親から離れていくのを感じることでもある。その子がその子らしく生きていくために、母親は独り立ちしていく我が子を見守り、見送る存在である。


 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?