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三週間のヘルニア入院を経て想うこと(2)

※下記は、2023年12月1日に私のインスタグラムアカウントに投稿した文章を改編して転記したものです。

あっという間に退院してから十日経ちました。
前は当たり前だった日常のリズムが、少しずつ体に馴染んできました。
最初は歩き方も、布団からの起き上がり方も、運転の仕方も、その他様々な動作を体が忘れてしまい、思い出しながら少しずつ取り戻すを繰り返す。退院してから一週間ほどは、身体の使い方をすっかり丸ごと忘れてしまったのではなく、四割忘れてしまった程度なのでそこまで挙動に危うさがあるわけでもなく、私本人だけ何かと違和感がありつつも、周りから見たら前の私と何も変わらない姿。口は元気なのも相まって(!)、さぞ元気な人に見えるやろうなと思いながら過ごしてましたが、ここ数日で、もう元通りでは!レベルになりました。
あとは、痛みがなくなれば… 身体と仲良く、ゆっくり急いで回復したい所存です。



数日前、大切な友人が「入院中何考えてたの?」と連絡をくれ、二時間ほどzoomでおしゃべりをしました。(画面越しに寝そべってる私に全く動じてなくてひとのありのままを受け入れる天才だと思った。)
お話ししながらまた私が何を感じ、考えながら過ごしていたのか更に整理ができた豊かな時間でした。
今回のヘルニア、生まれ変わった!と思うほどの出来ごとだったから、忘れたくなくて綴ります。



この前投稿したことの他にもう一つ強く感じたこと、
それは「諸行無常」でした。

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諸行無常とは、仏教の教えの一つで、全ての現象や事象が常に変化し、永遠に不変のものは存在しないという考え方を指す。これは、生老病死といった人間の生涯や、四季の移り変わり、日々の天候の変化など、目に見える全ての現象が絶えず変わり続けていることを示している。

また、この考え方は、物事に執着することの無意味さを説き、人々に無常の理解と受け入れを促す役割も果たしている。

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そう、何事も変化する。
「今と同じ」はあり得ないということ。

諸行無常を感じすぎて、退院後読みふけった本たち。


なんでそんなことを思ったのか、種は二つありました。

まずは痛み。

ヘルニアを発症して十日ほどは、ブロック注射をしても(理解を超えるほど痛かった)、痛み止めを四種も飲んでも、発症時と変わらないほど痛くて、
もう私は一生このままなのかな、と、痛みが自分の身体からなくなる日を信じることができませんでした。

私は妊娠時、ある日突然気づけばつわりが終わってたタイプだったのですが、今回はその時と違って、ある日を境に急に良くなったというより、本当に少しずつ痛みが日々日々減っていきました。特に最初の二週間はあまりに少しずつなので、昨日と今日の差を認識できないほどでしたが、退院するまでの「少しずつ」の積み重ねの合計として、やっと回復を捉えることができたのは、発症後二週間ほど経った時でした。
そのころに、また立てるようになりました。(つかまり立ちをし出した友人の娘とどちらが先に立つか張り合ってた。)

どれだけの辛さも、いつか終わるとまでは断言できないけど、形を変えるんだ、と身に沁みました。(ちなみに、まだ痛い。発症時が10だとしたら今は1)

それからもう一つ。人との関係性も。

夫がフランスでのMBA留学を機に仕事を辞め、日本に戻る時、NUDGEを夫婦経営してみるというチャレンジを決意したのが二年ほど前。
能力も価値観も凸凹な私たち二人は、家族生活を抜群なバランスで運営しているので、きっと仕事でもうまくいくに違いないと信じて二人三脚をしてたのだけど、二人三脚って速度や歩幅や、ましてや向かう先が違うと、その未来は横転しかない。
つまづく度に(つまづくというよりすっ転げて流血レベルなのですが)対話を重ねるのだけど、なんだか折り合いがつかず、

(私)「もうちょっと優しく伝える」
(夫)「もうちょっと哲学を重んじる」

と、お互いハグを交わして柔らかな空気を取り戻したはいいものの、いやはやそれ結局、速度と歩幅と向かう先の話してなくない?というかしてるのに、話しても話しても平行線では?私たちの合流地点てどこ?と、何度も迷子になっていました。

めちゃくちゃ心強い壁打ち相手もいて、間に入ってもらい「NUDGEのしたいこと」(「私」でも「夫」でもなく、主語をNUDGEにしたときに、このブランドは人格を持ってると思う)を常々整理しながら、一年ほど経って、一旦今の私たちはまだビジネスパートナーとして手を組むには早過ぎた、という結論になりました。

正直、なんでこんなに私の想いや考えが伝わらないんやろ?と、怒りと悲しみが織り混ざった感情が湧く度、(今思うと私も、夫の想いや考えを受け取る扉を開いてなかった。でもNUDGEは私が始めたことやから私を尊重すべし、と頑なな思い込みもあった。)ライフパートナーとしての夫も少しず嫌いになっていく(直球すぎる言葉を使いますが)感覚がありました。
この不完全すぎる私のパートナーでいてくれる人なんて夫以外にあり得ないと、それだけは確信してるのに、このまま嫌いになるって怖すぎる。
そう思い、NUDGEと夫の心地よい距離感を掴むため、まずは段階的に夫は業務委託で他の仕事をやってみることに。(ご縁を繋いでくれた友人には感謝しかない)
そしたら水を得た魚!
めちゃくちゃ目の輝きを取り戻した上に、夫はその仕事で貢献し、とても喜ばれたのです。

NUDGEではあまりに私と噛み合わなくて、一方的に「無能!」(直球ニ投目)と、判断を下していたけれど、夫は全然無能じゃなかった。そりゃそうやわ、なんていったってもう8年も私の夫をしている。玉井優子の夫という超難易度の高いプロジェクトをやりこなしているひとです。
その携わった仕事での活躍ぶりを見ながら、NUDGEの現在のステージがもう何段階かあがってからの方が、そもそも夫の能力が活きるんだなと、今後の景色が見えた気がしました。
そんな紆余曲折を経て今年の10月、夫はNUDGEでの業務はミニマルにし、東京のベンチャー企業に就職しました。

そうです。
私は夫が就職した新しい会社に勤めて、たった1ヶ月でヘルニアになりました。就職時、先方の社長に「なにがあっても家族第一優先」を面談で伝えていたので、社長も快く夫がしばらく明石にいることを認めてくれ、夫はどのくらいの期間入院するのか目処もない中、文句ひとつなく粛々と家事育児、
新しい職場での仕事を全うしてくれてました。
時には3時4時まで持ち越して仕事していることもあったから、私に嫌味の一つでもいいたくなる条件は完全に揃いきってるのに、なにひとつ文句言わず
口に出すのは、労りの言葉ばかり。(私だったら文句しか言わない気がする。)

私は「分かち合いたい」という欲求がとても強い人間なので、ひとはひと、自分は自分と、自己と他者をきちんと分離し自分軸で淡々と生きてる夫との間に「分かち合えた」という経験が乏しく、それがNUDGEの運営でも火種によくなってたけど、(私の分かち合いたい欲求のせいで、夫によく、
「共感の強要」とのハラスメントを訴えられた。その上、共感が生まれないと不機嫌になるのだけど、それはフキハラ(不機嫌ハラスメント)らしい。ごめんなさい。)
今回はその淡々と目の前の役割を一つずつ受け入れて消化する夫に救われ続けました。

そして、すごく好きになった。
すごく尊敬できました。

一年一緒に夫婦経営をして、湧いた感情たちがここにきてようやく成仏したような。
都合が良すぎですね。でも私はそういう人間です。

誰かに対する感情や印象、その誰かが私に持つそれらは、ほとんどの場合移り変わると思う。
むしろ、移ろいを起こすために、関係を紡いでいってるのかもしれない。
もっと好きになったり、何かが嫌いになったり。

そうやって友人たちも含め、たくさんの人と交わる中で、今の夫には夫自身の魅力に惹かれたというより(失礼すぎる)夫といる自分が、他の誰といるときよりも寛いで、自然体でいられると感じられました。
それは、「この人は絶対に私のこと生涯愛してる」という確信からくるもの。今よく言われる心理的安全性そのもの。

夫にも、そして子供たちにも、私へ向けられた確固たる愛情を感じます。
今回の非常事態時、より強く思えました。

インドの喧騒にて。
私の頭と心の中も、インドに負けず劣らずカオス。

この諸行無常の世の中で、夫や子供たちが、私を生涯愛し続けてくれるかを「絶対」だと信じる拠り所はないけれど、幻の「絶対」を確信させてくれる存在ってすごいよな。なんでも移ろうのが世のことわりの中、移ろわないと疑いの余地なく信じたからこうやって家族になったんだ、と、私の移ろう夫への想いの中で気付かされたのでした。これからは大好きな友人たちにするのと同じくらい、丁寧に夫にも感謝と愛を伝えることを怠らずにいます。

写真は結婚式での誓いの言葉。夫が私に誓った時に会場が失笑に包まれました。

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