統合失調症?日記

4月26日
メンタルがしんどくなってからどれぐらいたつだろう。夜中に書くとどうしてもマイナスな文章になってしまうからと思いながら綴っている。明日朝を思うと辛くなる夜を何度迎えただろうか。ココが吠えて吠えてうるさい。可愛いけど今朝噛みつかれた。痛かった。小指から血が出てしまった。そんなに深くはないが飼い犬に噛まれるのは身体よりも心が痛い。
かわいくてかわいくてたまらなく愛でているのに噛まれてしまう飼い主の切なさは言葉でいい表せないぐらい辛いものがある。
そこが人間と違うのかもしれない。人間は噛みつかない。噛みつきたくなる感情が沸いたことがないと言われれば考えてしまうけれど。怒りだろうか?
でも可愛い顔をみていると簡単に許してしまえる。そこも人間だからだろうか?
うちのココからすればチョロいもんだろうな。だから噛まれてしまうんだろう。
なめられてるな。完全に。大きなため息。最近スピリチュアルだと信じていた声はあまり聞こえなくなった。実は単なる内なる声で思い込みだったのかもしれないと思うほどだ。
でもあの記憶はしっかりと私の記憶に残っている。なんのために声が聞こえていたのか?課題をクリアすべく必死に、声と向き合っていた自分がきっと報われると信じていたあの記憶。
呪縛霊のような悪い声ではなかったんだと思いたい気持ちに今日も重たい荷物を背中に背負ったようなむなしさが私を覆っていく。誰も答え
を、知らないし教えてくれはしない。
自分で折り合いをつけて今後の人生に不思議だけどあの記憶は何かしら誰かの役にたっていたり何かの役にたっているのだと信じていくしかない。なんにもならなかったならば今の私は神様に見放された自分が絶対になりたくない種類の人間に無理やりならされたようななんとも辛いやるせない気持ちをかかえて生きていくのではないだろうか。
神様からの声だった。そう信じるのは誰に文句を言われることはないだろしそう信じることでこれからの人生に小さな光を見いだせるのならばこんなに辛い日々を少し肯定的にとらえられるだろう。誰にもわかってはもらえないその体験が私にとっては神様への階段を昇るステージだったと思ったとしても誰に迷惑をかけるわけではないので勝手にそう思ってみよう。その時を振り返るとやはり脳の病気で起こったこととは思えない。凄く素晴らしいそして尊い体験だった。周りからすれば一人ごとをぶつぶつと話しておかしくみえたんだろうが私にとってはそちらの神様との交信のほうが大切に思えていたのだからしかたない。
今でもまた声が聞きたいと思うこともある。だが、現実よりも交信を優先してしまうと普通の生活をするのが大変になってきてしまう。そうならないように訓練する必要があるだろう。

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