統合失調症?日記
3月16日
今日も1日スッキリしないままだった。
統合失調症とスピリチュアルの狭間で思いが揺れる。自分がこれからの人生をどうやっていくのか全く検討がつかない。だからこそ人生は面白いのかもしれないと前向きに、考えられればいいんだけど。なかなかそうはしかない。よどんだ不安だけがずつしりと私の全身を、おおっえいるようだ。なぜこんなにも不安感がおそってくるのか?長男が就職で旅立ち家に一人ぼっちになってしまうのが凄く心細いのだろう。
なんやかんや口喧嘩をしてきたが今はそれもよかったことだと思える。散らかった部屋をみるのは嫌だけどいなくなることのほうが何倍も嫌だと思える。だが就職で旅立つということは本当に喜ばしいことで親にとって最高のプレゼントを子供からもらったようなものだ。子供の自立は親の長年の夢でもある。夢が叶ったとおもえばこの寂しさも少しは癒えるだろうか。
子供の一人暮らしの、心配よりも自分の心細さのほうが心配となっている。だめな母親だ。
さいきんは声が聞こえなくなっている。注射治療の作用かもしれない。最近スピリチュアルに対する思いがずいぶん変わってきた。以前は崇高なものだと思っていた。きっと自分にとって大切な時間で他人のためになったり世の中のためになったりしているのだと思ってきた。
私のスピリチュアルの課題はとても大切な時間であったと思っていた。今もそうだと思いたい。旦那さんがスピリチュアルに対して少し理解を、もってくれるようになってきた。統合失調症の方達もきっとスピリチュアルの声が多くあると思われる。でもお薬で声をおさえられているというのも少しある気がする。スピリチュアルの声が脳に、どのように反応して認識できているのかこれからの医学で実証されていくのではないだろうか?でもその日は、まだ遠いような気がする。単に脳の、病気と、位置付けられている以上はなかなか難しいだろう。
私にとって聞こえてくる声は優しくいつも私を励ましてくれている。いつもそバにいてくれる貴重な存在だ。まるで恋愛をしているように甘い居心地のよさもある。神様やご先祖様なんだろう。でもその声と人生を共にしていくのは困難ではある入院前のように声に支配されてしまって現実の、生活がしずらくなってしまうようなことになりかねないからだ。それは絶対に阻止しなければ、ならない。
もう注射は打ちたくない。注射の長所は私にとっては皆無だ。統合失調症の方で注射治療をしている方にであえないだろうか?もしも出会えたら色々お話したい。ヒーラーの方と繋がっているが、とても、有難い。私にはキラキラしていて天使をみているようだ。私もそうなりたい。周りの人達を、勇気ずけたり元気に、したりする存在に、なっていきたい。
この状況を逆にいい体験だと思って色々な方達の、役にたてる時がくるだろう。そう信じている。仕事でももっと積極的に頑張っていこう。
今日は少しだけ、前向きな綴りになれた。ここに綴るときはいつも辛い思いばかりだったが今後は前向きな自分を綴っていければと思う。
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