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13年半働いた会社を辞めました!

本日10月31日(日)付けで、新卒で入社して13年半働いた会社を退職した。
29日(金)で最終出社を終え、引継ぎ、挨拶などバタバタした日々も落ち着き、ようやく心静かな週末を迎えた。

今回退職するに至った経緯などは転職活動についての記事をもうすぐアップ予定なので、そちらに書くことにして。
人生で初めての転職を明日に控えた今日は、13年半お世話になった会社について書き残しておきたいと思う。

社会人になって以来、大阪で8年、シンガポールで1年、東京で4年半過ごしてきた。
予想外に大阪で始まった私の社会人生活は、人並みにいいことも悪いこともあった。

私が社会人になったのは2008年4月。
リーマンショックが起きる直前で、就職活動をしていた大学3〜4年生の時はまさにイケイケ売り手市場だった。
私はいわゆる東京の有名イケイケ大学にいて、周りは大学4年になったばかりの春にはイケイケ大企業の内定を取り、
さらに卒業までの単位も取り切って、イケイケ遊んでいた。
そんな中、私は卒業までの単位も取り切れていなかったし、夏になってもどこの会社からも内定を貰えなかった。

中学受験も第一志望に合格し、大学も第一志望は落ちたけど、ある意味第一志望より偏差値の高いところに合格して調子に乗った。
今まで順風満帆、自分の努力で自分で欲しいものを掴んできたつもりだったけど、実際は誰かが引いてくれたレールを走っていたに過ぎなかったんだと、就職活動を通して思い知らされた。

売り手市場なのに。有名大学なのに。
社会に出ればきっと人並みに役に立つ人間なのに、私は働くことも許されないのか?
もう本当にどうしたらいいか分からなくなって、途方に暮れ、多摩川の河川敷で1人で泣いた日もあった。

どうすればいいか分からないまま少し時間が経った頃、
東京で働くなんて無理なんだから大阪に帰ってきなさいと、親から大阪の新聞に載っていた求人票をいくつか送られてきた。
ほとんどが興味を持てない会社だったが、ここなら受けてみてもいいかも、と思ったのが、後に入社することになる会社だった。
毎週大阪に帰って筆記試験や面接などを受けた結果、無事に内定を貰えることができ、やっと、働くことを許された。
大学4年生のちょうど今頃だった。

私は東京で働きたいから東京の大学に進んだのに、誰も知らないような会社で働くために大阪に帰ることになった。
卒業式の翌日、華やかな六本木で派手に飲んだ後、新入社員研修のために大阪に戻る新幹線の中で、惨めで悔しくてたまらなかった。

これが「就職活動を失敗した」経験として、ここから13年半もの間、自分を縛ることになる。

いざ入社してみると、今まで出会ったことのない人たちと働くことになった。
色んな意味でカルチャーショックが凄くて、今までいかに恵まれた環境で、すごい人たちに囲まれてきたのかを思い知ることになった。

ここは私の居場所ではない。

でも、この会社は私に働く機会をくれた会社。
私はここで働くんだ。ここで誰よりも成長してみせる。
そう決めて、必死で働いた。

会社に目指すべき人はいない。だから、社外にロールモデルを求めた。
そして私の基準はいつだって東京の大企業に勤める友人たちだった。
彼女たちが深夜まで働いている話を聞けば、私も深夜まで働いた。
もっともっと成長したくて、ビジネススクールに通ったり、コピーライター養成講座にも通った。

会社では重要な役割を任され始めてきたけれど、いつまで経っても東京コンプレックスは消えない。
そこにさらに、海外駐在に行く友人が増えてきた。
元々海外留学を経験している友人も多く、自分も海外留学を諦めた経緯があって海外に行きたい気持ちが燻っていて、
どうにかこうにか海外に行く方法を模索し続けていた。

東京。海外。20代後半は特にこのキーワードに敏感になり、聞くたび心が傷んだ。

働き始めて9年目、30歳になるタイミングで勇気を出して親会社の公募研修に応募し、無事に合格。
やっと長年の夢を叶えてシンガポールで働くことになった。
1年間という短い期間だったが、アジアの中心地で働いた日々はとても刺激的で、ようやく自分の居場所に戻ってきた感覚があった。

シンガポールから東京に帰任することになり、東京で働き始めた。
ここでずっと苦しんできた「東京・海外コンプレックス」が消えた。

東京で働くなかで、私生活に大きな変化が起こることはなく、管理職になった。
ここでようやく、周りの友人と足並みが揃ってきた気がした。

管理職になり、会社からの期待に応えるのではなく、今度は自分が目標を作って部下に指示することを求められた時、
私に働く機会をくれた会社に感謝し、身を捧げるように働いてきた自分の奴隷根性に気がついた。
会社に支配された人生を生きていたことに絶望した。

他にも色んな理由があり、この状況を打破するために転職活動をすることになったのだが、転職活動は思いの外順調に進んだ。
今まで頑張ってきた結果、他の会社からも一緒に働きたいと思える人材になれてるんだ。
内定をいただけた時、やっと、やっと、「就職活動に失敗した」コンプレックスが消えた。

14年前、社会にとって何の価値もないと言われたような気がして、多摩川で途方に暮れていた大学生の自分。
私はそんな昔の自分と一緒に転職活動をしていたんだと思うし、「内定」をいただけた時、ようやく昔の自分の魂が浄化された気がした。

結局自分のコンプレックスや傷を乗り越えるのは、自分の新しい経験なのだ。

内定をいただき、会社を辞めると決めてから約2ヶ月間。
ありがたいことに社内外の多くの人から、慰留や労い、感謝の言葉をいただいた。
それは自分の予想を遥かに超える反響で、自分が会社にとってどれほどの存在であったかを教えてくれた。

今はどうしていいかわからないかもしれないけれど、これからたくさんの夢が叶う会社に出会えるよ。
今、その悔しさがあるから、誰よりも頑張れるよ。
そして、色んな人から「一緒に働きたい」と思ってもらえる人間に成長できるよ。
だからもう、自分は価値がない人間なんて思わなくていいよ。

あの多摩川にタイムスリップして、自分を抱きしめてあげたい。

入社して3ヶ月で、「仕事、飽きたやろ?」と上司に言わせてしまった私が、13年半もの間ここで働くなんて誰も想像していなかっただろう。

13年半という時間を過ごさなければ、経験できなかったことがある。出会えなかった人がいる。
あの悔しさも、惨めさも。
自分は社会にとって価値のない人間なんかじゃないことを証明したくて、必死だった自分も。
人生肯定ができるようになった今、全部ひっくるめて就職活動は失敗ではなかったと思える。

この会社に入って良かった。
そう思って、退職することができた。

名残惜しい気持ちで迎えた最終出社日に、尊敬する上司に言われた言葉。

キャリアアップしたいと自分で決めて辞めるんやから、絶対に活躍してください。

明日から新しい会社で、新しい生活が始まる。
初めての転職。社会人、第二幕。
楽しみです。

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