かつての港町サウス・ストリート・シーポート

マンハッタンの南東にあるかつて港だったエリア。South Street Seaport: Pier 17は川沿いに建つ複合商業施設である。倉庫街には小売店が並び、波止場には古い帆船が展示されている。

初めてのFourth of July(独立記念日)はPier 17で花火を見て過ごした。陽が沈む何時間も前から座り込み、どんどん溢れ出るように人が集まって来るのを眺めた。
川沿いの花火が真ん前に見える場所に陣取り始まるのを待つ。途中、友人と交互にショップを見に行ったり、飲み物を買いに行ったり、なにしろ時間はたっぷりあるのだから。

大歓声と共に花火大会は終わり、長い行列をつくってフルトン・ストリート駅まで歩き地下鉄に乗る。満員電車の中では皆言葉少なく、暑さで疲れ果て、足をひきずるように帰路につく。“祭りの後”は切なくて寂しい。

花火のことはほとんど覚えていないけど、あの暑さ、溢れる人、汗、帰りの倦怠感は思い出にのこっている。

同僚Kの帰国が間近になったある日、彼はNYの思い出にブルックリンにあるRiver Caféで食事をしたいとのこと。当時からとても人気のあるレストランだった。彼は私の仕事が終わる時間まで待ち、私達はマンハッタンのミッドタウンからタクシーでブルックリンへ向かった。いざ到着すると、Kの服装がラフすぎたようで入店を断られた。さて、どうしよう、と川向うの綺麗な夜景を見ると、Pier 17が見えた。
そして、私たちはそこをめがけてまた再度タクシーに乗った。

Pier17の3階にあったそのレストランはRiver Café ほどは人気はなかったが、雰囲気は素敵で料理も美しかった。私達のテーブルからはブルックリンのRiver Café
界隈の灯りを眺めることができた。

Kは私のルームメイトに気があり、そのせいか私にとても親切に接してくれた。
その夜も“実らなかった恋のお話”をしたと思う。彼は最後まで関心するほど紳士で、きちんとアパートの前まで送り届けてくれた。

最後に訪れたのは2019年の12月、Pier 17は大々的なリノベーションが行われたあとで様変わりしていた。屋上にはスケートリンクがあり、そこから見えるブルックリンブリッジとイーストリバーの眺めは格別である。

その時期、石畳の広場に設置されたステージでコーラス隊が歌うクリスマス・ソングを楽しむことができる。

フルトン駅からPier17まで行く間のストリート、特に週末の午前中は人が少なく、わざと高層ビルに囲まれた陽の当たらない狭い道を適当に歩きまわる時、何故か私の心は弾む。

川沿いを目指してしばらく歩くと大通りが見えてくる。そこを渡れば、石畳の道、赤レンガの建物、この空間がNYを恋しく思う理由のひとつである。

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