友人の母 ミセス・ゴードン

初めて住んだのは71丁目の1番街と2番街の間のアパートメントの4階。
地下鉄の駅は68丁目のレキシントン街、ハンターカレッジ前である。

広めのスタジオで、キッチンは小さいけれどもセパレート。バス&トイレは淡い
ピンク色だった。

そのアパートの近くに友人のジョンが住んでいた。73丁目のヨーク・アヴェニュー。大きなコンドミニアムに母親とふたり暮らし。アメリカ人の成人男性が母親と住むのは珍しいと思うが、他州の大学を卒業し、その後1年間は日本で暮らし
(そこでジョンと私は知り合った)、一旦NYへ戻り、翌年にはボストンの大学院に通う予定だったため、母との同居はボストンへ行く前の数ヶ月間のことだった。

ちょうどその頃、私が1年間NYに住む予定で近くにアパートを借りたのである。

私はジョンの母をミセス・ゴードン(Gordon)と呼んだ。
雰囲気が女優のシャリー・マックレーンに似た個性的な美人である。ジョンの男友達がミセス・ゴードンの写真を見ると「誰?この美人は!」と必ず驚く。

ミセス・ゴードンはミッドタウンのイーストサイドで小さなレストランを経営していた。

彼女はほとんど英語の出来ない私によく電話をしてきた。一方的に話して、最後に「OK?」と念を押し、私は「OK」と答える。

用件はほとんど「私の息子がそちらに行っていないかしら」とか、「たまにはレストランに食事に来なさい」とか、「犬を飼ったの、見に来てね」ということだった。

ありがたいことに、彼女は私を気にかけてくれていたのである。

その間、ジョンはまた日本へ旅に出た。この時は3週間だけの滞在だった。
ジョンが日本へ発った数日後、ミセス・ゴードンから電話がかかってきた。
「私の息子が滞在しているところ、わかるかしら」

実はこの時、ジョンは母には秘密にしていたガールフレンドとふたりで日本へ行ったのである。滞在先はおおよそ見当がつくが、教えて良いものかどうか迷ったあげく、「わかったら連絡します」と言って電話を切った。

翌日、ジョンと連絡が取れ、自分の母に電話をするように伝えた。

そして、またミセス・ゴードンから電話があった。
「私の息子はひとりで日本へ行っているのかしら?」
私は「ひとりだと思います」と答えた。

あっという間に1年が過ぎ、私が日本へ帰国する前日の夜、ジョンと私はミセス・ゴードンのレストランで食事をした。いつもはそうしないのだが、その日、彼女は私達のテーブルに座った。

「これからどうするの?」
「また、NYに来たいです」
「英語が出来ないのに、どうやって暮らしていくの?」

その英語が出来ない私に頻繁に電話をしてきたミセス・ゴードン。

天国へ召されたと知り、いろいろなことが思い出される。
ミセス・ゴードン、楽しかったです、ありがとう。

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