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ゆうこのお気楽人生

今日は、所属するオンラインコミュニティの
「死ぬときに…」というお話し会へ参加しました。

『7つの習慣』の中に、
「どんな弔辞を読まれたいか?」という
項目があるそうで、そこからヒントを得た
「どんな風に死にたいか?」
「死ぬときにどんな気持ちでいたいか」
といったことをシェアするお話し会でした。

私が言ったこと

いつの頃からか、
「いつ死んでも後悔しないように」
という思いで生きているので、
心の声に正直に生きることができている、ということ。

私が20歳の時に亡くなった祖父のお葬式で、
たくさんの方が来てくださった様子を見て、
お葬式でその人の人生がわかる、と思ったこと、
自分もそうなりたい、と思ったこと。

「楽しませてもらった」「自由な人だった」
「死んでいても楽しそう」と言われたい、ということ。

周りの人に対しては感謝の気持ちしかないだろうけど、
死んでしまってからでは伝えることができないので、
やはりそれは日頃に伝えるよう心がけるべきだと
改めて思ったこと。

そんな話をしました。

子どもに対する罪悪感

海外在住のメンバーも多かったことから、
親から遠く離れた異国に住むことも含め、
自由に生きることについての親への罪悪感、
好きなことをする親として子供への罪悪感、
といった話も出ました。

好きに生きてる人代表だからか(笑)、
「その辺どうですか?」と振られましたが…

私は、子どもに対する(親に対しても)
罪悪感はありません。

もし今、私が死んだとしたら、
子どもはまだ9歳と4歳なので、
そりゃあ大きな喪失にはなると思いますが、
好きなように楽しそうに生きている姿は、
きっと子どもたちにもパワーを与えられる。

私が幸せじゃないと、周りの人に
幸せを与えることはできないと思うので、
好きなことをして幸せでいることは、
大切なことであって悪いことではない。

親に対してはなおさら。
自分が親になったからこそよりわかりますが、
親は子どもの幸せが一番。

そしてその幸せは親が決めるものじゃなく、
子ども本人が決めるもの。

ちゃんとその物差しを持っている親なら、
子どもが幸せそうにしていたら安心するはず。

だから罪悪感はありません。

薄っぺらいのは幸せな証拠⁈

他のメンバーからはさまざまなお話が出て、
親との関係、親の生き方、それに対する子からの見方、
などなどいろんな話がありました。

それを聞いて思うところ、自分の親の話など、
私もそれなりにいろいろ話しました。

そして、最後に感想を聞かれ…うまく言えない私。

いや、うまく言えないと言うか、
何も考えてないだけかもしれない。笑

その後、他の方の感想を聞いてなおさら、
自分のした話にしても感想にしても、
とにかく浅くて薄っぺらいなーと。

お話し会が終わってから、
なんでいつも私はこうなんだろう…と考えていると、
それって実は幸せな証拠なのかもしれない!と閃きました。

人は、さまざまな問題に直面すればするほど深く考える。

問題があまり起こってないから、
深く考えることがないだけなのかもしれない。

もちろん、何かの事象を問題と捉えるか捉えないか、
というところもあるとは思いますが。

そう考えたら、私の人生ってお気楽だな!
いい意味でそう思えたので、
これからもこの「お気楽人生」を全うしよう!!
と思えた3月1日でした。チャンチャン!

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