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え?!うちってドンだけキビシイの!?

今朝のコーヒーは

"グァテマラ マリアージュ ショコラ・オ・レ SHB"様

ネーミングにひかれて購入。


「何でショコラなんだろうね~」

「あ!粗びきになりすぎちゃった!」

などと話しかけながら抽出

(あ!写真が横になっちゃった!)


初めてなので飲みながらも

やれ、もう少し濃いめに入れれば良かったなかぁ、だの

やれ、お湯の量が多すぎたかなぁ、だの

やいのやいの。


ミルクを入れて飲み比べをしてみたり、散々、あーでもない、こーでもないやって楽しんだあとに私が呟いた一言。


『ま、最終的には、冷めた状態で飲んでみないと解らないけどね(*^^*)』


え!Σ( ̄□ ̄;)


いや、、、何気なく口からでた、なんの悪気もない言葉だったんだけど、これって過酷な言葉かも、、、

だって、

『今は淹れたてのポテンシャルでそれなりに楽しいし美味しいけど、冷めた時のポテンシャルも見てみないと最終的には判断できないよね(*^^*)』

ってことでしょ!?


条件付きの愛!ってやつじゃないですかぁ( 。゚Д゚。)


私の珈琲愛はその程度のものなんや( 。゚Д゚。)( 。゚Д゚。)


珈琲好きを気取りながら、その背後に、

『冷めても尚美味しければ、ワレナンジを愛す

それでなければ、我が家の珈琲として認めまシェン』

という非言語のメッセージを隠していたのかも( >Д<;)


、、、


とここまで書いて少し冷静さを取り戻す。


、、、

さて、どうなんだろう?珈琲好きだからって、すべての珈琲を無条件に愛することなんてできる??

いや、だって不味いものは不味い(※好みの問題です)

口に合わないものは買いたくないし、飲みたくない。

好みの問題ならまだしも、焙煎技術の問題だとしたら、それこそ、珈琲に失礼やろが!

一杯の珈琲のために働いてくれてる方たちに失礼やろが!


、、、


なるほど。

そうなんだ。

私の"愛"はそこにあるんだ。

"関わってくだっている方たちに失礼のないように"

"美味しく飲んでもらえるものを提供しましょうよ"


って。


だから私は、珈琲屋さんでもなければ、カフェオーナーでもないのに、家で大事に大事に時間をかけて珈琲を淹れるんだ。


たぶん、他のことも、こういう目線が入っているから(こういう視点をもって取り組んでいるから)、色々、切り捨てられなかったり、時間がかかったり、時には丁寧すぎるとのご指摘をいただいたりもするのでしょうね。


一杯の珈琲から、自己理解が深まる。


そんな朝となりました。

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