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「雑な扱い」というのは知らず知らず扱われた側の心身を蝕んでいくものなのだな
と、おそらく初めて認識した。いや本当は心のどこかではきっとずっと解っていた。意識的に「そういうものなのだ」と認識したのが、これが初めてだったのだ。あー、これ、もしかしてわたし、雑な扱いされてる? 目を背けていた嫌な事実にうっかりピントが合ってしまった瞬間、それは訪れる。
「疲れた」
流石に疲れた。そう、嫌いになったとか好きじゃなくなったとかどうでもよくなったとか、そのどれでもない。そもそもそういう次元にない。そんなことを認識できるような健やかな次元に自分がもう居ない。
だって削れてしまったんだもの。わたし。
こういう時は「疲れる」のか。そうか。「疲れた」という表現があまりにしっくりきすぎて、ほんの少しだけ口角が上がった。
こうなったらもう、やる気が勝手に湧き出るまで、ずうっと布団に包まって何にもしないをしていたくなる。この悪性の「疲れた」のお陰で何をするにもまず繕うところから始める必要があるのだ。いっぱいいっぱいの、頭の表層の方で浅く浅くしかできない思考。
だから「休む」。休ませてくれ。休んだところで雑に扱われて削れてしまった「わたし」は戻らないけど。せめて残りの「わたし」でまた深く潜れるようになるまで。
何年かかるのかも、もう知ったことではない。
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