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子どもの為と思ってやっていることって、実は自分の為なのではないか。

ちゃんと持ち物チェックしたの?
明日漢字の小テストあるんじゃないの?
いちいち口出ししたくなってしまう。これは何に対する不安なのか。低学年の子どもにはある程度親の目が必要な面もあるが、高学年以上にもなれば失敗は子ども自身の責任だし、経験ではないか。と私は自分に言い聞かす。

勉強や生活面の注意など、小中学生のうちに身につけてくれないと、子どもがいい高校に入れないとか、いい職に就けないのではないかと不安になるのは、子どもの将来を心配しているようで、実は自分が将来苦労することを避けたいという自分を守るための行動のような気がする。

勉強がはかどらない、成績が伸びない、このままだと高校受験やばいとか…
それって本人が一番分かっていることで、分かってはいるけどなかなかやる気が出ないとか、進路が明確ではないからモチベーションが上がらないとか、何か理由がある。
やらなきゃいけないことが分かっていても、できずにもがいている時期ってあるはずだ。
親は言いたい気持ちをグッと我慢しなければならない。本人が動き出すのを信じて待つことが、子どもを信頼している証となる。 

親は子どもよりも長く生きてきているから、良くも悪くも自分の経験から、ついつい先回りして口出しをしてしまいがちだ。
だけど、その人生を歩んでいるのは子ども自身である。
だいたい昔とは時代も違うのに、自分の子どもの頃のような感覚で口出しするのもおかしな話だし、親がしゃしゃり出る幕ではない。
言うタイミングを間違えれば、せっかくのやる気を失くさせてしまうかもしれない。

子どもの為にと、言葉を発したりアクションを起こす前に、まず自分で自分に問いただしてみなければならない。
『それは、子どもの為なのか?』
『ほんとは、私の為なんじゃないか?』
呪文のように毎日唱えるのだ。

とはいえ…
「中間終わったらティアキンやれるー!」の娘の声を聞くと、
あぁ、またゼルダにどっぷりの生活が始まるのか。と言いたいウズウズもまた始まる。

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