戦略的に痛いヤツになる

今日は週に2回の出社日。

たまたま同じく出社していた後輩の方に、海外から案件できている米国の方と飲みに行くから来ないかと言われて、私は基本飲むの好きなので是非にということでお誘いしてもらった。

とはいえ、完璧な、ウィットに富んだ英語が喋れるわけでもなく、よくわからない時はとりあえず笑い、米国の方も同じようにしているように見えた。

笑いたくもないつまらない会話で無理やり笑ってもらうなんて、なんてもうしわけないことしているんだろう、というのが、瞬発的に感じた感情。

エネルギーで生きたいとかいいながら、こうやってすぐに、息をするように、自分を責めるのがもはやライフスタイルみたいな生活をしている。

帰りの電車で、誘ってくださった後輩の方と同じ電車になり、みんな私のこと尊敬してますよと嬉しいお世辞を言ってくれたりして、

でも私は、いやいやいや、みんな本当に私が思っていること(やめたい、しんどい、みんな私を頼らないで欲しい、私はみんなの役には立てないなどなど…笑)をわかってないからそう言うふうに言えるんですよって思いながら、

そんなことないですよ、あなたこそ組織に必要な人ですよ(本当に才能と技術力とコミュニケーション能力に優れた方で一緒にお仕事させていただけるだけで、ありがたいような、後輩なんです)と、ほんとうに心から、思っていることをお伝えしたんだけれども、

自分の最寄駅から自宅までの15分くらいの道のりで、

素ぶりとして自分を卑下するのはまあいいとして、

心底わたしなんてマジで役に立ってないっておもっているけど、

少なからず、仮に一万歩譲ってお世辞を言ってくれていたとしても、

わたしの、「内側の」受け取り方としては、

なんでこんな使えない人間にこんなこと言ってくれるんだろう

とかって思うんではなく、

たとえね、、
それが、お世辞だったとしても、

うわー、嬉しい、わたしのことそんなふうに思ってくれている人、いるんだー嬉しいなーらありがたいなーって、思ってもいいんじゃない?

って気がついた。

空気読めないただの痛いヤツだろうか。

でも、お世辞かもしれない可能性を残しつつも、そこに対してプラスに捉えるって言う捉え方するって事はなんだかんだ世界宇宙全体で見たときにproductiveなんじゃないだろうか。

そんなことをふと考えた、酔っ払いの帰り道。

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