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イメージを形にして、それに自分で感動したい。

頭の中に漂っている不確かなイメージを、「目に見えるもの」としてなんとか形にしたい。って、もしかしたら誰にでも(たとえ、当人がそうと気づいていなかったとしても)存在する欲求なのではないかと思う。

なんとなく思っていること、考えていることって、常時ふわ〜っとしていて、次の瞬間には簡単に消えて無くなったりするじゃないですか。

もしそれがシンガーソングライターだったら、夜ベッドに入ってまどろんでいるときにふと頭の中に舞い降りてきたメロディーや歌詞なんかを、忘れないうちにすぐ書き留められるように、枕元にノートとペンを常に備えてあったりするんじゃないかなぁと思ったりする。

ミスチルの曲にも、そういう歌詞があるよね(「あんまり覚えてないや」)。

そういう「アイデアの種」みたいなやつって、自分だけが見るノートに書きためておいてもいいし、気心の知れた人に話してみるのもいいと思う。

誰かに自分の考えを聞いてもらうことって、それ自体にすごく意味があると私は思う。

それは、何かいいアドバイスがもらえるとか、背中を押してもらえるとか、そういう相手からのなんらかの"アクション"を期待しているのではなくて、「自分の頭の中にあることを、言葉にして説明する」というその行為そのものに価値がある。

そして私は誰かのそういう話を、ただ「うん、うん」って水をささずにしっかり聴ける人になりたいと思う。

人の話を聞いていると自分も言いたいことがたくさん湧き上がってしまうから、つい自分もしゃべってしまうけど(普通の会話において、必ずしもそれが悪いことではないはずだけど)、できれば相手が安心して考えを言葉にして、「話せてよかった」っていうすっきりした気分で帰ってくれるような、そういう話し相手になれたらいいなと思っている。

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まぁ、それはいいとして。

ちょっと話がそれちゃった。

それで、私はさらに、「イメージを描ける」ようになりたいなって最近すごく思う。

人の絵を描く練習をするようになってわかったのが、私はモチーフを観察して、それをできるだけ正確なかたちで描く(って、そんなデッサン的な本格的な意味じゃなく、イラストレーションとして)のでもういっぱいいっぱいだということ。

実際の形を「参考程度に」頭のなかのイメージをイラストにする、とかはまだ全然できない。

っていうか、頭の中にイメージがない。モチーフがないと、何を描きたいのか、何を描いたらいいのかがわからない。

見たものを単純化して描く、とか、キャラクターを自分のタッチで描く、とか、何かを適当に模写することよりも格段に難しいことだったんだなぁって知った。

きっと、そういう「自分だけの美意識」みたいなのがしっかり育ってくると、絵を描くことって本格的に面白くなってくるんだと思う。

描いたことがあるものしか描けない。で、私には描いたことがないものが多すぎるので、とりあえず「それを描く」画力を身に付けるのが先だ。

人から褒められる素晴らしい絵を描きたい、っていうのとはちょっと違う。

自分好みの絵を、自分の力で生み出せたら最高だなって思う。だから、絵がうまくなりたい。かっこいい絵が描けるようになりたい。自分のために。

本当にごくたまにだけど、「これはいい文章書いたわ」って自分で思う時がある。そういうとき、すごく気持ちいい。誰に評価されるでもなく。

そういうのを、自分が描いた絵にも感じれるようになりたい。

『ジョジョの奇妙な冒険』作者の荒木飛呂彦先生も、ある本のインタビューで

いいシーンができたときは一日じゅう何回も読み直しては自分で泣いています。「ほんとにいいシーンだな」って(笑)。

って言ってて、そんな荒木先生を思い浮かべるとちょっと面白いけど、すっごくいいなって思った。最高じゃないですか、そういうのって。

自分が生み出したものに、自分が一番感動する。むちゃくちゃかっこいい。なんかもう、すごく羨ましい。

「すっごい大変だったけど、すっごくいい絵が描けた」。そういう感動を味わえるくらい、絵がうまくなりたい。

そんで、そこからまた新しい繋がりとかが生まれていったら、もう最高だよねって思う。

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