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「全部が好き」とは言いたくない

好きなのものがあったとして、好きな部分は素直に好きと言う。一方で、好きだからこそ根本はこうあってほしいという思いがあるからだろうか、好きではない部分も見つけてしまう。好きなものの全部を手放しで好きだとは言いたくない。

もし好きなものの全部が好きだと言うことしか許されないような雰囲気の中で生きて、もし心が離れた時、実は最近はあまり好きではないんですとか、言ってしまったらその場の他の人たちから抹消されそうな気がして生きづらい。好きなものがどれだけ好きなのか、これが好きならもちろんこれも知っているよねみたいな雰囲気の中だと息が詰まる。

四六時中、好きなもののことばかりを考え続けているわけではないですし、知らないことだってあるわけで、知ったところでそれを好きになるとは限らないですし。

好きなものでも嫌いな部分があれば嫌いだなと思いたいし、今の自分としてはこの部分があんまり好きではないんだよなとか息抜き程度に言いたい時もある。


自分の記憶をさかのぼって、そう考えるようになったきっかけを考えたところ、ポンキッキーズのある曲の歌詞を思い出した。

ピーピピピピピカソも ダビンチもいいか どうかは 自分で決める

みんながすでに良いと評価しているものでも、いいかどうかは自分で決める。幼かった頃の自分にその思想を与えたのが「ピピカソ」という曲だった。


好きなものがあっても手放しで全部が好きだとは言いたくない。

いいか どうかは 自分で決める。

自分で決めて本当に全部が好きなら、全部が好きだと言いたい。

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