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今こそ「大日本帝国憲法」を学ぼう


なぜ今「大日本帝国憲法」なのか

皆さんこんにちは、(自称)憲法学者のゆっくり法律です。皆さんは、大日本帝国憲法を勉強したことがあるでしょうか。学校の授業では存在がちらっと出てくるだけで、中身に踏み込むことはなかったはずです。また、司法試験や予備試験には憲法という科目がありますが、そちらも専ら日本国憲法しか出題されません。ですので、司法試験に合格した弁護士などの法律家ですら、大日本帝国憲法のことはさっぱり知らない人が多いです。まあ、当然と言えば当然ですよね。大日本帝国憲法は1947年に運用が終了しているので、今更学ぶ必要がない、これは正論に聞こえます。

しかし、今運用されている日本国憲法を理解するためには、実は大日本帝国憲法の理解が重要なのです。というのも、そもそも日本国憲法というのは大日本帝国憲法を改正して作られたものだからです。意外と多くの人が勘違いしていることですが、大日本帝国憲法が破棄されて新しく日本国憲法が作られたわけではありません。あくまでも大日本帝国憲法の手続きに従って、憲法改正が行われた結果、今の日本国憲法になったんです。

しかし、冒頭で述べたように、ほとんどの人は新しい日本国憲法の方だけを勉強します。そうすると何が起きるのかというと、大日本帝国憲法との連続性を無視して、独自の解釈をしてしまう人が出てきます。これも当たり前な話で、アニメで言うと1期を見ずに2期だけ見て作品を語っているのと同じような状況なのです。2期だけ見ても十分面白いですが、その後に1期を見ると裏設定やパロディなどが分かり、作品がより深く理解でき、楽しめるのです。

少し脱線しましたが、まとめると、大日本帝国憲法を勉強することによって、日本国憲法の本質的理解をしよう、というのが私の言いたいことです。とは言っても、大日本帝国憲法は一つの記事で解説できるほど簡単ではありませんから、今後複数回にわたって解説していきたいと思います。今回は、初回として、大日本帝国と日本国憲法の連続性、それから、逆に両者の違いが何かということについて、解説していきます。

大日本帝国憲法と日本国憲法の連続性


繰り返しになりますが、日本国憲法は大日本帝国憲法を改正して作られたものです。改正手続に瑕疵があったので改正は無効であり、連続性はないという理論(八月革命説)もありますが、ここでは一旦考えないことにしましょう。今しきりに叫ばれてる憲法改正が、実は80年前に行われていたんですね。とはいっても、GHQの命令によるものであり、自主的な改正ではありませんが(笑)

以上を踏まえて、日本国憲法と大日本帝国憲法を比較してみましょう。手元に六法がある方は六法を開いてみてください。六法がない方はインターネットで検索してみましょう。

まず、条文数ですが、日本国憲法は103条、大日本帝国憲法は76条、日本国憲法の方が多いですね。つまり、日本国憲法は大幅に条文が追加されたのです。特に、大日本帝国憲法は今でいう内閣に該当する条文が2条しかないのに対し、日本国憲法は11条もあります。大日本帝国憲法に内閣総理大臣に関する規定がなかったことは軍部大臣現役武官制の要因にもなったのですが、この点はまた別の記事で解説します。現在の憲法は内閣に関する規定を充実させて、大日本帝国憲法の欠陥を補ったわけです。

次に、章のタイトルについてみていきましょう。大日本帝国憲法は第1章天皇、第2章臣民権利義務、第3章帝国議会、第4章国務大臣及枢密顧問、第5章司法、第6章会計、第7章捕則となっています。対して、日本国憲法は第1章天皇、第2章戦争の放棄、第3章国民の権利及び義務、第4章国会、第5章内閣、第6章司法、第7章財政、第8章地方自治、第9章改正、第10章最高法規、第11章補則となっています。

こうやって眺めると、天皇から始まる章の順番は完全に一致していることが分かります。改正だから当然ですよね。注目したいのが、日本国憲法の第2章戦争の放棄と第8章地方自治です。この2つは大日本帝国憲法には一切存在しないオリジナルの内容です。ちなみに第9章改正は大日本帝国憲法の補則にあった内容(第73条)を独立させたものなので、オリジナルではありません。また、章のタイトルが変遷していることも分かりますよね。例えば「臣民権利義務」は「国民の権利及び義務」に置き換わっていますし、「帝国議会」は「国会」、「国務大臣及枢密顧問」は「内閣」、などとそれぞれ変更されています。まとめると、日本国憲法の章立てというのは、大日本帝国憲法を基に、適宜タイトルを修正して作られており、戦争の放棄と地方自治だけは完全にオリジナル、ということが分かると思います。

ちなみに、憲法の章の順番について一言触れておきます。一般論から言うと、憲法では最も大事な内容を最初に持ってきます。日本の場合、天皇が最も大事なので、第1章にもってきています。第1条が何を定めているかについても大日本帝国憲法、日本国憲法それぞれで確認しておきましょう。司法試験の勉強をしていたときは、第1章が全然試験に出題されなかったので、重要ではないのだと思っていましたが、それが誤りだということが最近になってようやく分かりました。

大日本帝国憲法と日本国憲法の差異

次に、大日本帝国憲法と日本国憲法の違いについてみていきましょう。細かい違いを全て解説していたらきりがないので、重要な部分に絞って指摘します。

まず、前文に注目してください。大事な違いが隠れています。分かりましたか?そう、作成者が違うのです。大日本帝国憲法の前文には「朕~臣民に対し此の不磨の大典を宣布す」と書いてあります。主語は「朕」、つまり天皇陛下です。それに対し、日本国憲法の前文には「日本国民は、~この憲法を確定する」と書いてあります。主語は「日本国民」なので、作成者は日本国民ということになります。普段はスルーしてしまう前文ですが、このように大事な事実が隠れていたんですね。ちなみに、大日本帝国憲法のように王様が作った憲法を欽定憲法、日本国憲法のように国民が作った憲法を民定憲法と呼びます。それにしても、憲法改正で作成者までまるっきり変えてしまうなんて、できるんでしょうかね笑

次に、重要な違いとしては、天皇の権力が挙げられます。大日本帝国憲法では、天皇は「統治権の総攬者」(第4条)とされ、数々の天皇大権が定められていました。天皇大権とは天皇にのみ属する権能のことをいい、その中には立法権や統帥権、非常大権など、なんだかすごそうな権力が多数含まれています。具体的には、第6条から第16条に定められていた事項を大権事項と呼びます。天皇大権は日本国憲法では削除されており、代わりに国事行為というものが定められています。天皇は一切の政治的権力を失ったわけです。天皇大権の一部は国事行為に引き継がれ(国会の召集など)、一部は別の機関に移行し(立法権など)、さらに一部は完全になくなりました(統帥権や非常大権など)。この天皇大権がどこに行ったかという視点で日本国憲法を見ると非常に面白くなります。天皇大権は重要なテーマですので、引き続き別の記事で検討することにします。

終わりに

いかがだったでしょうか。馴染みのなかった大日本帝国憲法が身近に感じられたのはないでしょうか?感想があればTwitterで是非聞かせてください。今後は、大日本帝国憲法の各論を、少しずつnoteで発表していこうと思っています。

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