30年後へのタイムカプセル
終幕。そして、幕開け。
袂を分つことにしました。
理由は色々あるんだろうけれど、遠い未来を共に描くことが出来なくなったことが大きな要因だと思います。
そう決まってから、自分自身が囚われていた、家族という属性、役割から解放されていくような感覚がありました。気づいていたけれど目を向けていなかった、「自分をアップデートしたい」という思いに素直に、そして静かに向き合えている。そんな風に感じている自分がいます。
なんでもない今日の記念に。これまでの自分自身と環境に愛を込めて。
始まりの記憶
思えば、私は、
「自分はこのチームにいないほうがいい」そんな言葉と共に、大切なチームメイトを、パートナーと呼んでもよかった相手を失ったことがありました。
その時の私は、それを受け入れる器も、受け止めるどんな言葉も持ち合わせていなくて、当時の自分では、為すすべのなかった状況を前にして、
自分を嫌いになるというのはこういうことだったのか、落ち込むというのはこういうことか、と思ったのです。
そんな小さな絶望を癒す術を知らずに、ただ時間が経つにつれて、傷が和らいだような気に、大人になった自分の目で見た if を考えることで、納得した気になっていただけかもしれません。
自分を形作るもの
今回、何度か話し合ううちに、「僕が君をだめにしてしまう気がする」「何を考えているかわからない」と言われました。
最近になって思うのですが、私には、自分にとって大切な場であると感じるほどに、自分の気持ちよりも相手の意向を窺うところがあるのだと思います。
それと同時に、みんなが本気になれること、自分の意思を主張し実現に向かえることが楽しさであり、理想であると信じて疑わない自分がいます。
そんな相反するかのような頭と心の間に立つと、相手の気持ちはわかるけれど、相手の意向に沿いたくない、相手や環境に染まりたくない、そんな自分がむくむくと立ち上がってきて、自分の中でうまく折り合いをつけられなくなってくるんです。
そして、そんな自分と折り合いをつける方法として、「そこにいるにふさわしい自分」を演じるという手段を取ってきたのかもしれません。
そうやって自分のβ版を作り上げていく内に、自分の気持ちが迷子になっていることにも気づかない自分がいたように思います。
小さな頃から、人の顔色を窺って、期待されているであろうことを察することができました。その一方で、自分の中には、期待通りに振舞うことがどうしようもなく嫌で、その期待の範疇からはみ出すぎない程度に、逸脱することを求めていた自分がいたように思います。
自分らしくありたいと願う反面、自由に振舞うことが怖かったのは期待通りじゃない自分を受け入れてもらえない不安を抱えていたからだと思います。
「すごいね」「なんでもできるよね」という言葉以上に、「変わっているよね」「自分を持っているよね」そんな言葉が嬉しかったのは、積み上げた自分のβ版が、いつしか本当の自分として、自分らしさとして、認められるような、受け入れられているような感覚があったからだと思います。
だけど、それは、どこまで行ってもβ版のままで、本当の自分ではなかったのかもしれません。
いつだって誰かの期待に沿いつつ、逸脱していると思われない程度に、個性を出すことができる。そんな自分を形づくって、そんな自分を受け入れてもらおうとしていたように思います。
そして、そんな自分の片隅にいつも、「本当は期待に応えられていない」と囁く自分を抱えていたような気がします。
大切にしてきた時間と私
幼い頃から、一人の世界が好きで、一人で過ごす時間にどうしようもないほど癒されるのは、自分のβ版や誰かの期待だと自分が認知しているものをすべて脇において、自分を自分として大切にできる時間だからだと、自分の心を素直に慈しむ空間だからだ、とようやく気付きました。
時に物語の中に、時に絵画の中に、時に誰かが造り上げた空間の中に、自分が自分としてそのまま浸って、自分自身の心で感じることができる。そんな時間が、私にとっては、苦しいほどに大切な時間だったのだと思います。
その時間が少しずつ取れなくなっていくにつれて、自分が段々とわからなくなっていき、何かが静かに崩れていっていたようにも感じます。
私は内と外を分けることで、自分を器用に、そして、ものすごく不器用に、自分を形づくってきました。「私自身」は全く統合されていなかったのです。
現在地
今、一人で思索の海に揺蕩っていると、自分の内側から call が鳴り響いているのを感じ取ることができる気がします。静かな声が knock を続けていたことを知った気がします。これからの自分に外側から見た大きな変化はきっとないのだと思います。自分自身も変化を認知し、形用することはできないかもしれません。
でも、なんとなく、遠い先を目指すような、険しい道をかき分けて進むような、そんな must を歩むのではなく、これまでよりも穏やかに will を進んでいけるような気がしています。
最近、ある人に「自分のことを大切にしているんだね」と言われました。
その言葉はとても嬉しく、自分の内側を大切に守り続けてきた自分が救われるような思いでした。
夜明けと共に
明日からの毎日に、そして自分自身に、穏やかな期待と愛を込めて。
これを第2章のプロローグとします。
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