見出し画像

幼い頃の記憶から。HSPが自分の本質を生きるために。

最近、幼い頃の記憶を、よく思い出している。

幼い頃、喘息持ちだった私。

風邪をひくと必ず発作が出て、息を吸うことができず、死ぬほど苦しかった。

その時を思い出して、浮かんでくるのは、母の困ったような顔。
心配していたのかもしれない。

幼い私は、母の表情を察知して、発作に苦しんでいる最中に、
「私は、母に迷惑をかけている。」
子供ながらに、そんな事を感じていた。

母に対して申し訳なく、母を遠くに感じながら、ひとり孤独に息苦しさに耐えていた記憶。

幼い頃の、安心の記憶を辿ってみるが、母の胸に抱かれていた安心の記憶は・・・思い出せない。

発作に耐えている間、せめて母の胸に抱かれ、安心していたかった。

人一倍、繊細で、敏感な子供だった私に、母は手を焼いていたのかもしれない。
どんな風に接したらいいのか、分からなかったのかも知れない。

そんな私に、母はとても厳しい躾けをした。
「他人に迷惑をかけてはいけない。」
それが、躾けの基本だった。

私は、自分の繊細さを、いつも自分の外側の世界を敏感に感じ取ることに使うようになった。
他人に迷惑をかけないために。

他人が心地良くしていることが、私の心地よさで、他人が行きたいところに一緒についていくことが私の喜びで、他人が辛い時、私も同じように辛くなる。

なるほど。
これが、私の形状記憶装置だ。

そうやって長年生きてきたから、いつしか私は、自分に対してその繊細さを使うことを忘れてしまったのだ。


私が自分の本質を生きるには、まず、その繊細さを自分に向ける、新しい癖付けをすることだ。

私は、今、何を感じているの?
何が好きで、何が楽しくて、どんな場所にいると安心するの?

繊細に、自分の気持ちを感じてみる。
そうして、今まで置き去りにしていた私自身に、出会っていきたい。

そうして、少しずつ、一歩ずつ、出会いたかった自分に近づいている。

私の人生は、これからが本番。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?