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小さな幸せを感じられるようになる、どこでもできる瞑想法

最近、瞑想に助けられています。
参考にしたのは
「自分を変える気づきの瞑想法」(著者:A・スマナサーラ)
という本です。この本を元に、自分が助けられた瞑想法があるので載せておきます。いつも心が焦っていて、人より幸せを感じられないと悩む方におすすめです。長文ですが、どなたかの参考になれば幸いです。

▷ 心が荒海のようだった私

病気をするまで、私は自分の性格が好きではありませんでした。
仕事も私生活も無駄に深読みしてこじらせて、私は不安や焦りに追われいつもあくせく過ごしていました。幼少期の生活や嫉妬深さからきていたのだと思いますが、自分で自分の足を引っ張りながら大海を泳いでいるような息苦しい感覚がいつもありました。寝る瞬間にも、です。

今思えば病気の一歩手前だったと思うのですが、もの心ついた頃からそんな状態だったので自分ではそれが普通だと思っていました。

瞑想を始めてから、そんな荒海のように乱れた心が少しづつ整っていく感覚がありました。
がんを告知されて初めてこの本を手に取ったのですが、入院中は時間がたっぷりあったので、自分と向き合う時間をたくさん持てました。瞑想を続けたことで、がんという人生の大きな波に飲まれることなく、入院中も退院後も不思議なほど心穏やかに過ごせています。

▷ まずは、心を落ちつかせることから

瞑想法はいたってシンプルです。
まずは荒海のような心を落ちつかせ、今という瞬間に集中することを目指します。

乱れた心を落ちつかせるには自分の心を苦しめているいろんな「雑念」を心の外に追いやることが必要です。
様々な不安や、痛みの記憶や、嫉妬や執着や、恨みなんかのドロドロとした全ての負の感情です。
八方美人で嫉妬深かった私にとって、この考え方はとても役立つものでした。周りの反応を気にしすぎたり、相手に何かを期待しすぎたりするのは、自分の心が弱いからであって、心を鍛えれば自分を長年苦しめてきたそんな感情をコントロールできるんだと気づくことができたからです。

心に溜まったドロドロを除くために、私は長年引きずっていた嫌な記憶の元を辿って、「嫌なことをした相手」を全て許すことから始めました。
誰でも、どうしても許せない過去の友人や恋人や親戚など、数人いるものですよね。いつまでも憎んでいると、その人やその記憶への執着が生まれ悪玉菌のように負の感情が心に住み着いてしまいます。心の悪玉菌はどんどん増殖して前向きな感情を呑み込み、日々の小さな幸せを感じることができなくなってしまいます。

どうしても許せなかった人とは今は連絡を取り合うこともないのですが、なぜか時々心の中に現れては必ず私の心を乱して、亡霊のようにすーっと去っていきます。
その人たちを許すために向き合うことで、
「あぁ、許せなかった人たちが(会ってもいないのに)今でも私の心を乱すのは、実はその人たちのせいではなく、私の心の問題なんだ」
と、あるとき気づくことができました。

長年心を乱していた嫌な記憶が、その人たちの問題ではなく「自分の問題だった」と気づくことができればこっちのものです。

何年も背中に背負っていた重い荷物(許せない気持ち)を、道の途中に置いていく感覚で「よっこらしょ」と記憶の中にポンと置いてくれば良いのです。
そうすると、そのとき味わった苦しみは「そのとき」のもので、今いる瞬間とはなんの関係もないことだと感じられます。
ときどき通り雨のように嫌な記憶のことをまた思い出したら、同じように何回でも「よっこらしょ」と遠い記憶の中に置いてくれば、いちいち心が乱されることはありません。

こんな感じで、嫌な記憶の元にある「許せなかった人を許す」ことで、私の心に引っかかっていた嫌な記憶が少しづつ薄くなっていきました。

そして、嫌な記憶には、自分の言動が原因だったものもいくつかあることに気づきました。
そんな記憶に対しては、自分が悪かったと素直に認めて、心の中で相手に謝罪します。(ものの本には、電話などですぐ相手に謝ると良い、と書かれたものもありますが)
いつまでも過去の失敗や後悔に足を引きずられていては前に進めません。
自分は未熟だったと素直に認め、もう同じ間違いはしないぞと心に決めればそれで良いと思うのです。
過去の自分への後悔も、同じように「よっこらしょ」と遠い記憶の中に置いていきます。

▷ 心の中を整理して「今」だけに集中する

そうやって自分を過去から解放していくと、今自分が立っている風景が霧が晴れるように少しづつクリアに見えてきました。

・がんになって治療しなくてはいけないこと。
・入院中、家のことや育児を誰かに頼まなくてはならないこと。
・仕事についてこの先どうするか決めること。

の3つが、私が「今」抱えている関心ごとでした。意外とあっさりしているものです。

自分ががんになったのはどうしてだろう、今までの食生活や生活態度が悪かったからかなとか、
まだ子供も小さいのに長期間入院したらこの先どうなっちゃうんだろうとか、
せっかく自分の仕事が忙しくなってきた時期なのにどうしてこのタイミングなんだろうとか、
今までの私であれば、マイナス思考の悪循環にはまって地獄の住人のような顔をしていたと思うのですが、心を整理していたおかげで「今」に集中して生きることができています。

過去のことは過去のこと。未来のことは未来のこと。
と分けて考えられるようになると、生きるのがどんなに楽か!

今までどうしてこんな風に考えられなかったんだろうと思わず後悔してしまうほどです。
確かに「今」の生活は、鎖のように過去と繋がってはいますが、「感情」までもが過去にとらわれることはないのです。
確かにがんになったのは過去の生活が原因かもしれませんが、(実際そう言ってくる人もいますが)「なぜがんになってしまったのか」を考えても絶対に答えは見つかりません。(見つけられたらノーベル賞ものです)
過去は変えられないし答えも見つけられそうにないので「そっか。これからは悪いところは変えて生きてみよう。」と心を入れ替えれば良いのだと思います。

心は時空を超えて活動できますが、過去のこと・未来のこと・今のことを整理し、「今考えるべきこと」を減らしたことで心にゆとりができ、今持っている自分の体と心でもっと楽しもうという前向きな心が芽生えてきました。

▷ いつでもどこでもできる瞑想

病気を告知され入院するまでの間、上記の本を参考に、私は家で一人になれるタイミングを見計らって毎日15分ほど瞑想を行いました。
最初は、椅子にきちんと座って静かな環境を整えてから、心を乱していた過去の記憶と向き合い集中力を高めることをしていましたが、数週間もすると場所を選ばなくなりました。
入院中、大部屋で誰かが会話をしていても自分のベッドの上で瞑想に集中できるようになり、今では満員電車の中でも気にせず行えます。

この本で言う瞑想とは「心の整理」や「今に集中する」ことを目的としているので、立っていても、歩いていても、自分の心しだいでいつでも行えるのが良いところでした。
必ずしも、座禅のように静かな場所で座って行うことは必要でなく、五感をシャットアウトし心を見つめ、不要なものがあったらその都度掃除するような感覚です。

▷ 心に余裕ができたら、自分が嫌いじゃなくなってきた

そうやって心に隙間ができて、風通しが良くなってきたら、次のステップです。
毎日、いつでも良いので
「自分と、自分の周りにいる人すべてが、今日も笑顔で健康に過ごせますように。」と心の中で祈ります。
私は無宗教なので特に何に祈る訳でもないのですが、なんとなく広くて穏やかな海や新緑の草原なんかを思い浮かべて祈ります。

ポイントは、今まで許せなかった人たちの顔も思い浮かべて祈ることです。
前の段階でその人たちの顔を思い浮かべても腹が立つことはなくなっていると思います。その人には、確かに嫌なことをされて過去にひどく心を傷つけられましたが、よく考えてみると、傷つけたその人だって誰かに傷つけられてそのとき心が荒んでいたのかもしれません。
「過去に自分を傷つけてきた人たちが、これからは毎日笑顔で穏やかな心を持てれば、もう二度と自分を傷つけて来ることはなくなるだろう」と信じて、その人の分までお祈りするのです。

嫌だった人の分までお祈りしていると、次第に
自分は自分。他人は他人。
誰だって幸せに穏やかになることを望んでいる。
ということが実感できるようになりました。
今までのように、他人の反応を過剰に気にしたり、将来のことをあれこれ不安がったり、心に住み着いた悪玉菌に影響を受けることが明らかに減ってきたのです。

過去のことは過去のこと。未来のことは未来のこと。
自分は自分。他人は他人。
誰だって「今」幸せを感じられることを望んでいる。

私なりの瞑想を続けて、辿りついた考えです。

仏教用語で「知恵があらわれる」という言葉があるそうです。
「心の霧を晴らし、物事をありのままに見つめる」ことを指しますが、私も瞑想を通じてクリアな心に近づいた気がしています。心に忍び込んでくる雑念をこまめに掃除して整理された状態を保っていたら、日々の小さな幸せを噛みしめることができました。
昨日は、偶然美味しいクレープ屋さんに出会えたし、今日は美味しい中華屋さんに外食です。
なんだか食べ物ばかりですが、いいんです。
「今」幸せなら。

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