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プラタナスの木の下で時速4キロの旅を考える

ある休みの日のいつもの散歩中、ひと休みしていたプラタナスの木の下で思い出した。

ずいぶんと以前の話。

今からみれば石器時代のような遠いむかし、むかしのはなし。

飛行機の後部座席では喫煙が可能だったし、手紙やポストカードが闊歩していた牧歌的時代。当然携帯電話なんて存在しない。あったかもしれないが興味がなかった。電話に追われる生活はしない。それが決定事項。

石器時代に生きていた私のはじめての海外はネパール。

石器時代にも飛行機はあったし、カトマンズ行きの飛行機もあった。

ネパールについて。当時は国の名前しか知らなかった。もちろんネパールとバリ島の違いもわからない。ネルソン・マンデラやネルソン・ピケとネパールの違いも知らない。

さて、ある日のこと。
牧歌人である私に一本の電話。仙人の容姿の知人からだ。ゼンキョウトーの戦士だったらしい。

“ネパールに行かないか?”

“行きます!“

即答した。

これが人生の運命の糸になった。

そうだ!  ネパールに行こう!

思い立った日、行こうと決めた日が最良の日だ。ネパールへはトレッキングが目的ではなかったけど、トレッキング並みに歩いた。最終目的地はダウラギリが神々しく見えるちっぽけな村。谷あいの村だったが標高2600メートル。電気、ガス、水道なし。水は川の水。医者なし、お店なし。役所も警察もコンビニも何もない。
歩くことを前提にした荷物は徹底的に軽量化。milletのバックパックに35ミリカメラと寝袋を詰め込む。

その村に行く道中はひたすら歩く。当時(今も変わりないと思う)車道は整備されておらず、川沿いの谷あいの道、山肌の隙間に歩く道らしきところがあった。だから雨期には道はなくなる、ヤクは墜落する、そんな道。
最終目的地までは3泊4日。宿泊はトレッキング目的のための簡易宿泊施設。食事はウェスタンスタイルの食事もあったが、ダルバートがいちばんおいしい。ダルバートはネパールでは主食。豆スープ、ごはん、カレー味の副菜。これを混ぜて食べる。ダルバートは最初、現地の人と同じように右手でたべようとしたが下手すぎてスプーンで食べるようになった。

ネパールの事前情報は “ヒマラヤ”

牧歌人は事前情報を頭に入れない。目覚めたときに向かう先が目的地。感じたことがすべて。視覚、嗅覚を働かせ感じる。感覚は外れることが圧倒的に多いが当たることもある。

たぶんたくさん山があるだろう。きれいだろう、雄大だろう、雄大な自然にあこがれていた。

すばらしい!

インド大陸がまだユーラシア大陸にぶっかっている最中。控えめにいって荒削りな風景。カリガンダキ(Kaligandaki river)には2メートル四方の大きな石がゴロゴロ。渓流の流れではない。だからぜんぜん美しくない。

そこに在る。それだけだ。そこには何かがある。でもすべてが形而上。

かつてはチベット高原からインドへ塩を運ぶ交易の道。
山肌に住む人にとっては生活の道、touristにとってはtrekking route。歩いていると生活用品を運ぶヤクたちが無言で列をなし歩く。200年前と今の違いはcokeがあるなどうかの違い。シャーマンもまだいる。茶屋でひと休みしているとき、足を怪我した、住民を発見。

“おぬし、足を怪我しておるのお。化膿もしておる、ほおっておくと蜂窩織炎になるぞ。”

“これを傷口に塗るとよい”とゲンタシン軟膏渡す。

お代は? 問われるも、

“おぬしの快方が最高のお代じゃ”

軟膏薬を渡して“Good Doctor !!”と呼ばれる村。

ヤクは人間に関心なく、ヤクの関心事は前を歩くヤクとぶつからないように一定間隔を保ち歩くこと。それが唯一の関心事であり、目的のすべて。牧歌人たちはそこを縫うようにして歩く。道幅は広いところで2メートル弱、道はアップダウン激しく、木製のつり橋もある。時々絶望の淵に落とされることもある、あそこまで下って、またあそこまで登らなければならない。牧歌人の目的は山登りでは断じてない。こんな苦しみいつまで続くんだ。

橋の下に流れるカリガンダキ。橋の足場の間隔は時々、間引かれていることもあり30センチから60センチにひとつぐらい。ヤク、人間、ロバ、みんなここを歩く。だからときどき落ちる。時々、背中に病院を背負った人、トタン板を背負った人、いろんな人が道を歩く。

みんな今日を、そして今を生きている人たち。

明日とか、来年とか、未来のために生きていない。今日一日を精一杯生きて寝る。そして太陽が昇り、次の日に生きる。その連続。

牧歌人は牧歌的に悠然と泰然に生きているつもり、だったけど、お前はあやしいぞ、あやしいぞ!! そう語りかけられているようだった。所詮“箱庭”の牧歌キャラだった。箱庭のスナフキン。世界に飛び出したとき、はじめて箱庭で生きていたことに気づく。

運命の糸は、箱庭的、牧歌的、抒情的世界から現実世界に引き上げる糸だったのだ。

このとき、吟遊詩人であることをやめた。YETIに遭うまでは。

プラタナスの木の下で考えた時速4キロの旅。

Old friends pass away, new friends appear. It is just like the days.
An old day passes, a new day arrives.
The important thing is to make it meaningful:
a meaningful friend – or a meaningful day
ーDalai Lama XIV

ネパールの荒涼とした大地ではチベット仏教がハートに突き刺さる

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