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『猫を抱いて象と泳ぐ』 -ネタバレ無しで本作の読みどころを語る!

1・小川洋子が用意した、深~い沼にハマってみてください!

この記事は小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』のオススメ文です。
事前に内容を知りたくない人に向けて、ネタバレ無しで私なりに本作の読みどころを書きます。
読後の感想は別の記事で上げますので、ぜひそちらも読んでみてください。

作品を紹介する前に、作者である小川洋子について少しだけ語ります。彼女は1988年のデビュー以降30年以上も活動を続けているベテラン作家で、芥川賞をはじめとする多数の賞を取っています。彼女の著作には小説を書く女性が何度か登場し、遅筆の作家として描くことが少なくありません。またエッセイではしばしば自分自身を「筆が遅い」と表現していますが、現実の彼女はかなり多作です。小説作品だけでも平均して年1冊以上のペースで刊行し、エッセイや対談を加えれば刊行書籍は2020年時点で50を超えていますから、「筆が遅い」というのは謙遜かちょっとオチャメなキャラ作りと受け取って良いでしょう。いくつかの文学賞の選考員もしていますし、世界でもメジャーな文学賞で最終選考に残ったことや、フランスで映画化された作品があることなどから、文筆家として国内外を問わず高い評価を得ています。


ここまで業績をたくさん並べたのは、ファンとして「小川洋子すごいんだよ!」と言いたいのもありますが、これだけの業績と確かな力がありながら、あまり表舞台に出てこない作者の人柄を知ってほしいからです。

私は小川洋子という作家の業績が、今回紹介する『猫を抱いて象と泳ぐ』のキャラクターたちと重なる面が多いと感じています。
本作の登場人物は、かなり地味な人ばかりです。しかし読み進めていくとそれぞれの凄さが見えてくるし、読後にはほとんどの登場人物を愛したい気持ちになると思います。結末の余韻豊かな雰囲気もあって何度も読み返したくなる作品ですが、そのたびに主人公やヒロインはもちろん、それ以外のキャラの魅力にも気付いていくと思います。そして最初に読み始めたときに感じた「地味で何とも取り柄がなさそうな人たち」が、どんどん愛すべきキャラになっていくのです。

小川洋子作品にはこのような地味な人、世界の隅っこに追いやられた人が多く登場しますが、本作はその描き方が非常に秀逸で、小川洋子の一つの到達点と言える仕上がりです。
小川洋子という「沼」の中央にある最も深い部分、それが『猫を抱いて象と泳ぐ』なのです。この沼は遠くから見ればあまり冴えないものに見えるかもしれませんが、近づいてみると多くの珍しい動植物が生息していて、美しい景色も見えます。ぜひこの機会にこの沼のほとりに足を踏み入れてみてください。

2・本作のオススメ度を図表にしてみよう

オススメ度や読みどころを比較しやすいように、図表を掲載します。
なお、評価値や着眼点は当舎比です。

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3・何かを極める人 – 小川洋子が得意とする作風が見どころ!

小川洋子作品では、何かを極めようとする人がしばしば出てきます。映画にもなった『博士の愛した数式』は数学を極めようとしている博士が非常に有名ですが、本作はチェスに取り組む男性が描かれます。
本作の主人公リトル・アリョーヒンはチェスという勝敗がある世界に身を置きながらも「勝利」や「名誉」に執着せず、「美しい棋譜」を描くことにこだわります。チェスは相手と打つもので、強い二人が打てば自然と名勝負になる確率も上がります。しかし、リトル・アリョーヒンは弱い相手にもチェスを楽しんでほしいという気持ちで優しく打つことで、一緒に「美しい棋譜」を描こうとします。彼は日常の他のことにほとんどこだわりません。ただひたむきにチェスの海に潜り、その海の深さや美しさに身をゆだね続け、その結果として名勝負が残されていく、そんな展開が静かに描かれるのが本作の大きな見どころです。

4・著者小川洋子の気持ちを受け取ってほしい!

小川洋子はもともとエンタメではなく文学志向の作家ですが、2000年代前半には、前述の『博士の愛した数式』のように心温まる作品や、『ミーナの行進』のように共感しやすい主人公を描いた読みやすい作品が多数ありました。
しかし本作に登場するキャラクターは、始めは共感しにくい人物ばかりです。主人公リトル・アリョーヒンや、チェスの師匠となるマスター、主人公の家族や老婆令嬢などのキャラたちは、それぞれの世界で密やかだけどしっかり生きていて、そもそも多くの人の共感を求めていないのです。それは作者小川洋子の一つの挑戦なのだと私は考えています。読んでいく中で、私自身が彼らの生き方に少しずつ共感を覚えていったのですが、それこそが本作の特徴と言えるでしょう。
一言で語れるようなカッコ良さ、華麗さなどは本作にはありません。キャラクターの多くは貧しく口下手で、世界の片隅に追いやられたような人ばかり。目に見えて痛快なシーンも少なく、最初の何ページかは興味を引きにくいかもしれません。
目を引く設定や分かりやすさを排除すると、当然本としては売れにくくなります。しかし、本作は何かに懸命に取り組む人を、ていねいな文章で書くことで結果的に感動と心地よさを与えてくれます。売りやすい本が選ばれることが多い本屋大賞で5位にランクインしていることから、実際には多くの人に親しまれる作品に仕上がっていることは明確です。むしろ安易な共感を安売りせずしっかり評価されているのは、それだけ作者と作品に大きな力があることの証明でしょう。私はこの作品で小川洋子という作家が「売れる作風」から、文章表現を極める作家であることを、それまで以上に重視し始めたのだと感じました。

5・まとめ –地味だけどしっかり楽しめます!

繰り返して言いますが、本作は前半4章くらいまで地味な展開が続きます。しかし、リトル・アリョーヒンの冒険とチェスに掛ける情熱はいつの間にか読み手を引き込んでくれます。主人公たちがどうなっていくのか?と思わせる予測不能な展開もしっかりありますし、リトル・アリョーヒンとヒロインの不器用な恋愛の行方も最後まで気になります。
痛快娯楽小説を読みたいときには不向きですが、ゆったりと文章の美しさを味わいたいときにオススメです。

単行本、文庫本があります。買おうかどうしようかと迷った人は、ぜひ最寄りの図書館で借りて読んでみてください。


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