なんか嫌なことがあったんだろうな
今日の日記
二郎系のラーメンって、現代のおとぎ話なんじゃないでしょうか。
食欲に溺れた人間が匂いにつられて店に入ると、殺伐とした雰囲気と独自のルールに脅かされて、気づいたら鬼のような量のラーメンが出てきて、満腹という苦しみを味わって逃げていく。
知らないけど、「注文の多い料理店」ってこんな話じゃないんですか。
ただこの話の怖いところは、ループものでもあるんですよ。
みんなどんなに苦しい思いをしても、ちょっとしたらまた行ってしまうんですよね。
何時間並んでも我慢できるし、なんなら前食べれなかった増し方でまたオーダーしてしまう。
思うに、自分に「いじわるじいさん」を投影しているんじゃないでしょうか。
花咲かじいさんやこぶとりじいさんに出てくるような、主人公のじいさんの得した話を聞きつけて自分も得しようと欲をかいて、結果こらしめられる系じいさん。じいさん多いな。
人っていうのは欲をかいた人間がこらしめられる話が大好きですから、あの暴力的な量と悪魔的な味を貪っている醜い「いじわるじいさん」である自分が、腹パンパンで苦しんでいるのがちょうど良い罰になってるんでしょうね。
そのシンプルな物語の流れが気持ちよくて、また行っちゃうんじゃないでしょうか。
いや実際、脂や糖質や化学調味料のせいですけどね、多分。
そんな私は今日、とある二郎に向かっていたら、大好きな歌手の青葉市子さんを見かけまして(本当)、森の奥に住んでいる妖精のような凛としたオーラに圧倒され、二郎に向かっている自分が恥ずかしくなっていたところ、神が見かねたのか、二郎はお盆休みになっていて満腹という苦しみを味わわずに済んだのでした。
嘘。本当は近くの家系ラーメンに行って大盛りを食べて腹パンになって死ぬかと思いましたわ!!ガハハ!!(醜悪スマイル)
その後、写真展を見に行きました。
今日の感想:上田義彦 写真展「いつでも夢を」
血糖値爆上がりで朦朧としながら、Twitter(ツイッター)のRT(リツイート)で見かけた写真展に行きました。
恥ずかしながらほとんど何も知らずに行ったんですが、上田義彦さん、本当にすごい方なんですね。
後半のブースで氏の手がけたCM集が流れてたんですけど、1990年〜2010年代のいわゆるセンス系のCMほとんどこの方が作っている気がする。(CMにどのようにどこまで携わっていらっしゃるのかはわかりませんが、、。)
特に資生堂のやつで、ドライブ中で顔が影で見えたり見えなくなったりを繰り返すのが衝撃でした。美白を強調するためにあえて影を当てて点滅させている。
全般、光の使い方が上手すぎるなと思いました。写真家に言うのはおこがましいですが。
写真、素晴らしくて、柔らかい光を中心とした朧げな中国の風景、氏の言葉を借りれば「遥か感」のある風景はもちろん良かったんですけど、それ以上に意外なほど良く感じられたのは、「アウェー感」もしくは「異界感」のようなものでした。
通常、人物写真なんかはできるだけ距離感を縮めて自然な表情を引き出そうとするものだと思うんですけど、ほとんどそうした形跡が見られない。
もちろん、広告のモデルさんとかはキリッと良い表情なんですけど、おそらく現地の方々を撮ってる時は全く違うやり方で撮ってる気がしてて、被写体が普通に警戒して睨んでる時とかすらある。
物理的な距離も遠目の写真が多かったりして、撮影者、こちら側が異邦人である事が強調される。
ただそれが、霧に囲まれた湖のほとりや草原で、柔らかな光やソフトフォーカスで撮られていると、「アウェー感」に「遥か感」が加わり、異世界に迷い込んだような気になってきます。
さらに、人物に花や物が(本来切れそうであるのに)被っていたり、ピントをずらしたりブレさせていたりすることで引っかかりや違和感を作っていて、柔らかな狂気とでも言えるような写真もあります。
下記の写真が一番わかりやすいと思います。
背景の"どこにでもありそうで、どこにもない"雰囲気や霧の存在、少女たちは全員違う方を向いていて、表情は何を思っているか分からない、そして(単純にバレエのターンをしているだけなのですが)手足の位置の圧倒的な奇妙さ、、凄すぎる。
比べてはいけないものですが昨今のAIが作るアートにも通ずるような、不完全ゆえの狂気みたいなものを感じました。
今日の感想(小):Aマッソ「ヘンリー・ヒャッハーの帽子はどこだ?」
橋本絵莉子とフワちゃんのラジオ、ちゃんとロングトーク聞きたかったな。
えっちゃんの声の高さはカラオケで大勢のアラサー女性の喉をカリカリに痛めてきたでお馴染みですが、そんな彼女が自身の声の高さに言及していたのが面白かった。
書き下ろしの曲も良かった。サビに向かって振っていくのが目的であろう前半の歌詞もえっちゃんの声で歌われると単純に響く。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?