およそ60円分の損

胸ポケットを信頼している。

イヤホン、目薬、鍵、あらゆる小物を軽率に入れる。
取り出しやすいし入れやすい、その割に今まで何かが落ちたという記憶もない。
目立たないが、間違いは起こさない真面目な仕事ぶりでここまでの地位を築き上げてきた。社長にはならないが着実に出世するタイプだ。まもなく課長くらいにはなるだろう。

中でも特に信頼している水色ストライプのシャツの胸ポケットは、幅が広くて縫い付けもしっかりしているのでなんでも入れる。

今ここには350mlの缶ビールが入っている。
始めからドリンクホルダーとして生まれてきたような収まりの良さ、安定感である。
2、3口飲んでいればたとえ転んでもほとんど濡れない自信がある。
持ってから口までのストロークの短さもいい。
パンパンに丸く膨らんでいるが、片乳だけ豊胸したみたいで気分は良い。
少し前屈みになる時は文字通り零れないように胸を押さえておく。謎に格調高い行為のように思えてくる。胸ポケットに酒を入れるという無作法がこれで打ち消されて許される。

そういえばなんで胸ポケットは必ず左胸なんだろう。
映画みたいに、心臓を撃たれたけど硬いものを入れていたおかげで助かったみたいな逸話があって、慣例として左に作ることになった、みたいなことなのかな。
だとしたら缶ビールでは守れないだろうな。きっとビールと血が混ざった液体が流れ出るだろう。

大分酔っていたせいか、派手に転んで胸ポケットから心臓が転がり出た。路上に血がトクトク流れている。


死んだ、と思ったが、冷静に普通に考えてそれは缶ビールだった。余計なことを考えていたせいだ。

ビールを片付けた。
昇進は少し考え直さなければならないかもしれない。

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