「心鬼」の話

小学校4年生の時なんですけど、「心鬼」っていうのが流行ったんですよね。

最初は体育の授業でやったんですけど、担任の岸本先生がルール教えてくれて。
基本的には鬼ごっこの変化形なんですけど、どういうルールかっていうと

1、ジャンケンで鬼側と逃げる側に分かれる。人数は1:2の比率になるようにする。
2、逃げる側は「二個目の心臓」の場所を決める
3、その場所を黒ペンで10円玉くらいのサイズに丸く塗ってしるしをつける(見える位置に)
4、逃げる側は、「別の人と『二個目の心臓』のしるし同士をくっつけて立ち止まり、15秒数える」か、「決められた時間まで逃げ切る」ことができた人が勝ち
5、鬼は、「二個目の心臓」をタッチすると捕まえることができる(大体の位置でOK)
6、鬼側は、全員捕まえたら勝ち
7、鬼は間違った場所をタッチすると、5秒その場で待たなくてはいけない

っていう感じで、まあたぶん「心」臓をタッチする「鬼」ごっこだから「心鬼」ってことだと思うんですけど。
小学生にはそれなりに複雑なルールではあったんですけど、岸本先生はめちゃくちゃ優しくて丁寧で人気もある先生だったんで、教わりながら2回くらいやったらみんなできるようになって。
普通の鬼ごっこと違って、逃げる側は立ち止まらないと勝てないし、鬼側も慎重にタッチしないといけないっていうゲーム性の高さもあってか、みんなにすごい好評だったみたいなんですよね。

「だったみたい」っていうのは、当時わたしは参加できなかったんですよ。
子供のころ少し体が弱くて、喘息もあったんで、体育の時間は基本的に見学で。
ただやってる様子があまりにも楽しそうで、なんか印象に残って覚えてるんですけど。

あ、あと印象に残ってるのが、謎の設定があって、戦績に応じて「心臓」が獲得できるんですよ。
具体的には、逃げる側が「しるし同士をくっつけるやり方」で勝つと各1個ずつ、「時間まで逃げ切るやり方」で勝つと10個、鬼側が捕まえた人数分の個数「心臓」がもらえるんですよね。
競技性を上げたかったのかわかんないんですけど、先生はわざわざハートマークのシールを用意してて、心臓の数だけボードに貼ってクラス内に飾ってました。

特に「時間まで逃げ切った」子への褒め方が凄くて、「心臓十個分だよ!!!」とかいってクラスのみんなに拍手を求めたりとか、子供ながらに盛り上げ上手だなーと思ってました。ちなみに最初に「逃げ切った」のはササキ君という子だったんですけど、褒められすぎて照れに照れてました。
先生が言うには、心臓を多く獲得すればするほど、「二個目の心臓」に指定した場所が強くなるそうで(今考えると、先生なりの個性の伸ばし方だったんでしょうね)、そのRPG的な要素も人気の原因だったと思います。

そこからはもう空前の「心鬼」ブームで、体育の時間だけじゃなくて昼休みとか、放課後も夕方までクラスの子のほとんどがやってました。
特にササキ君は最初「逃げ切った」経験からか、入れ込み方が凄くて、元々飽きっぽいというか集中力がないような子だったんですけど、「心鬼」だけは熱心にずーっとやってました。

ササキ君は謎のこだわりもあって、絶対にどっちかの足を「二個目の心臓」に指定するのと、絶対に「逃げ切るやり方」で勝とうとするんですよね。
要は、より足を速くして、より勝てるようになりたい、ってことだと思うんですけど、思い込む力ってすごいというか、みるみるうちに足が速くなっていって。
そのうち誰も捕まえられないほど速くなっちゃって、ササキ君と逆側の役になると諦めてしまったりとかもあって、ササキ君だけハンデがつくようになっていったんですけど、それでもみんなずーっと飽きずにやってましたね。(それでもササキ君勝ってましたし)

岸本先生も「心鬼」がここまでウケたのが嬉しかったのか、昼休み終わりに、授業時間を使ってまで昼休みの「心鬼」の結果を聞いてシールを渡したり、総合の時間で「心鬼」の立ち回りを教えたり(余談ですが、元々岸本先生は陸上選手で、その後アジアを放浪したのち教員になったらしい)、熱心になってました。
特にササキ君は子供でも贔屓とわかるくらい溺愛していて、放課後に二人でグラウンドの隅で話したり特訓みたいなことをしているのをよく見てました。

ササキ君でひとつ不思議だったのは、その年の秋に持久走大会があったんですけど、その頃はもうボードに夥しい数のシールが貼られてるくらいササキ君は「心鬼」で無双してたんで、絶対優勝するだろうって誰もが思ってたんですよ。
学校の周りをぐるっと一周して戻って来る3kmほどのコースで、わたしは見学してたんですけど、スタートしてササキ君はとんでもないスピードで校門を出ていったと思ったら、3分くらいでひょこっと帰ってきちゃったんですよね。
校門のあたりで岸本先生に注意されたっぽくて、ちょっとしょんぼりして生徒席に戻ってきたんで、「どうしたの?」って聞いたら「つまんなかった」って言ってて。
汗一つかいてなかったんで、あぁ、たぶん「心鬼」のスリルになれちゃったから、ただ走るっていうのがつまんなくなって、出てすぐに戻ってきちゃったんだと思って納得したんですけど、なんか意外でしたね。
その日も「心鬼」はちゃっかりやってましたけど。

わたしは参加はしないんですけど、「心鬼」は楽しそうだなーと思ってて、
そんな様子を見て、一回友達がこっそり「心鬼」に誘ってくれたことがあって。
放課後にみんなで集まって、わたしが特別に逃げる側で参加することになったんですね。
みんな優しいんで、鬼役の子も「おまえは捕まえるの最後にしてやる」って見逃してくれて、自分の動ける範囲で楽しくやってたんですけど、気づいたら岸本先生が物凄い形相で走ってきて「何やってんの!!!!!」て激怒しちゃったんですよ。
わたしの体を気遣ってくれてのことだと思うんですけど、普段全く怒ったりしない人だったのでみんなびっくりしちゃって。

その後は元の先生に戻って、わたしにも「体大丈夫?捕まってない?疲れてない?」って心配して声かけてくれたりしたんですけど、結局後日学級会議で、わたしを絶対に「心鬼」に誘わないっていうルールができてしまって、その後は一回も参加できなかったんですよね。

その後も普通にやってたみたいなんですけど、聞いた話だと勝てる子と勝てない子の差が激しくなっちゃったみたいで、そこからなんとなくブームは下火になっていきました。
たぶん先生が競技性を上げすぎたんでしょうね。ササキ君をはじめ勝てる子はどんどん自信づいてより勝てるし、勝てない子はその逆、って感じで、つまんなくて人数が減っていっちゃって。

まあでもよかったと思います。勝てない子たちは最後のほうとか、終わったあと疲れ切ってげっそりしてて心配になるくらいだったので。
逆にササキ君は輪をかけて凄かったらしくて、わたしは見てないんですけど、最後のほうはササキ君が速すぎて消えたとか、空を飛んだとかふざけた噂まで飛び交ってました(笑)

それでもササキ君含む一部の子たちはやってたみたいなんですけど、その後急に岸本先生が異動かなにかでいなくなったのと、その一か月後くらいにササキ君が亡くなったのが決定打となって、みんなやらなくなっちゃいました。

たまに昔流行ってた遊びの話とかする時に話すんですけど、どの地域の人も知らなくて、うちの学校だけだったみたいなんですよね~
先生のオリジナルだったのかなーとも思うんですけど、これなんだったんですかね?
もし知ってる人がいたら教えてほしいです。

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