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読書記録 旅人

読書記録 旅人〜ある物理学者の回想〜


湯川秀樹先生、自伝
角川文庫

今日は本棚から見つけた文庫本。
多分、学生時代、今と同じくらい時間がたくさんあったころ、本屋さんで買ったらしい本。
何回かの引っ越しを経てまだ私の手元に残ってる。



でも、もしかしたら、ダンナさんことプーさんが古本屋で買ったのかもな。

湯川秀樹先生のことは、ノーベル賞受賞者の物理学者、京都大学出身くらいしか知らない。

理系でない私が湯川先生の本がわかるかしら、と思いつつ、理系への憧れもあり、古い文庫本を開いてみました。

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◎概要
 湯川先生は明治41年、東京生まれ。
地質学者の父と主婦だが、東洋英和女学校を中退して、当時としてはインテリの母との間、五男二女の5人目の三男として生まれた。生家は小川姓で、小川秀樹が結婚する前の名前だ。

生後まもなく、一家は父の仕事先が京都大学に移ったため、東京から京都へ引っ越し、以来20年以上住むことになった。

幼少期は大人しく、どちらかというと無口だった。しかし兄さんたちと、かくれんぼや虫取りについていった思い出もあるようだ。でも、一番好きな遊びは、砂の上に小さな遊具を並べる箱庭だったと言う。




そして、祖父母に可愛がられた。

しかし父方の祖父は厳しく、中国の古典の論語の素読を毎日させられた。 
難しい漢字が並んでる意味のわからない本を祖父の指す指示棒のとおり、声を揃えて読んでいった。

ひどく苦痛だったが、その後どんな難しい漢字が出てくる本も読めるようになったのは、この祖父の素読のお陰である。




小学校は公立だが兄たちにならい、越境し学区外の学校へ。中学は一中、三高、京都大学と、京都のエリートコースを進み、しかも高等学校は旧制中学は5年のところ、4年で高等学校に合格してしまった。



けれど、中学でも高校でも比較的目立たない、読書好きの無口な生徒だったと書いてある。

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しかし、

父が秀樹先生が高等学校を卒業する時、その将来を心配し、大学ではなく専門学校に行かせようか、と、思ったが

たまたま中学で秀樹先生に数学を教えていたC先生に会い、

うちの秀樹どうですか、と尋ねると


他はわかりませんが、私の数学については、素晴らしく優秀です。

と、答えてくれ、父は秀樹はそんなふうに評価されていたのか、と改めて感心して大学に進学させることにした。



あと数学も得意だった湯川先生が、あえて物理学を専攻するに至ったのは、

高校時代のある先生、A先生との出会いがあった。

 A先生の授業はとにかく、授業中の先生の講義を全てノートにとるようにいわれた。

しかもすごいスピードで話す。みんな困っていた。

クラスに1人心臓の弱いBくんという生徒がいて、とてもそのスピードについていけず、先生に訴えた。

しかし、A先生はまったく意に介さず、すごいスピードで話し続けて、Bくんはとうとう具合が悪くなってしまった。

またA先生の試験で授業で教えられたのと、違う解き方をしたらその箇所が加点されずに採点されて返された。

教えられた通りの解答しか正答と認めないような狭い学問に、一生を託すのはいやだと思ったと、ある。

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その後、京都大学に進み、器用ではないため製図のある工学部も向かないし、結局、一つの課題に対して考えて抜いていく理論物理学を専攻に選んだ。

教授や仲間たちとの出会いの中で、理論物理学、原子や中性子といった研究テーマにせまるまでの、真面目にコツコツと一つの道を突き進む、過程がえがかれていた。

湯川先生は知人の紹介で結婚した、夫人に

「そろそろ英語の論文を書いてください」

と、促され終わっている。

この後世界的な研究実績を積み重ねていく湯川先生を支えていたのは、夫人の存在も大きかったのだろう。



◎感想
 湯川先生の文章は写実的で、難しい例えや修飾が少なく、読みやすかった。大家族でみな優秀ではあるが、裕福ではなくどちらかというと質素な家庭について、平易な文で綴られていて昭和の私には身近に感じた。

高校の数学の先生のエピソードは、他の人の気持ちに気づかない人や、弱い者を大切にしない人は好きになれない、湯川先生の優しさと芯の強さがうかがわれた。
また、もしかしてこの出会いがなかったら、湯川先生は数学者になっていたのだろうか、とも思った。

大家族の中で、祖父母や父母に愛され、兄妹姉妹との日常の中で物事の道理を学びながら、育ったんだろうなと思った。

また、結婚した後一緒に暮らした湯川家の養父母の静かで見晴らしのよい家、夫人や子ども達との生活は、研究の疲れを癒し、自分の頑なさを和らげてくれたようだった。家族の存在ってやはり、大きい。


そして、私は理系ではないので私の理解力をこえてしまうかもしれないけれど、この27歳以降の湯川先生の人生を知りたくなった。

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