「さっきのところで泣きたい」が意味していたこと

最近、次男のかんしゃくを起こす頻度が増えてきたように思う。

現在年長の彼。発達に遅れがあるが、特別かんしゃく持ちということはない。年中の時に不安定な時期はあったものの、ここ数か月はすっかり落ち着いていた。

心が成長する過程でバランスを取りづらくなるというのは、程度の差はあれどきっと自然なこと。次男も、気持ちを切り替える力や他の方法でマイナスの感情を表現する力が、成長する心に追いついていないのかもしれない。だから、かんしゃくに対しても、自然のものとして、ただ受け止め寄り添っていたいと思っている。

「ただ受け止め寄り添っていたいと思っている」ことに嘘いつわりはないのだが、現実はそうはいかない。かんしゃくを起こしたのが外であれば、何よりもまず、少しでも周りの迷惑にならないよう、通行の邪魔にならないように場所を移すことを考える。家の中でさえ、集合住宅の他の住戸に音が響かないかを心配する。我が子の心配よりも先に。

怒り泣き暴れる次男を抱きかかえつつ、彼のことだけを考えてあげられないことに申し訳なさを感じているとき、ふと思い出したことがある。現在小学生の長男が小さかった頃のことだ。


長男は外でかんしゃくを起こすことが多かった。原因は、遊び場から帰りたくない、とか、お友だちよりも先に○○したかった、とかいろいろ。

とりあえず店を出る、道の端に寄る、など、移動させられることを長男はひどく嫌った。移動させられるとヒートアップして、もともとのかんしゃくの原因をすっかり忘れたかのように「さっきのところで泣きたい」とひたすら泣きわめいた。

なんだそりゃ、とそのときの私は思っていた。ずっと泣いていると、泣いている理由はなんでもよくなってくるのだな、と。でもおそらくそうではなかった。

今ならわかる。私が彼以外のものに気持ちを向けたことに、彼は気づき怒っていたのだ。自分の母親は、泣いている自分のことよりも自分が誰かの迷惑になることを気にしている。そのことの方が、もともとの原因よりも悲しかったのかもしれない。


物理的にそばにいても、心が他に向くのを子どもはたぶん見抜いてしまう。だからこそもっとちゃんと寄り添っていたい。

我が子が心のバランスを取れずに辛い思いをしているとき、あなたのことをいちばんに考えている人がそばにいると、せめて伝えたい。

「迷惑にならない」ことを優先しなければならない環境であっても、ちゃんと寄り添いたい。寄り添う術を持ちたい。

私は、寄り添える母でいたい。

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