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クライミングの壁 〜壁を建てて壁を壊せ〜

Yuki Uranishi

この記事は 壁 Advent Calendar 2021 23日目の記事です.

はじめに 〜その時歴史が動いた〜

バンド活動をしている男がいるとする.
その男は自らのバンド活動ではまだお金を稼げず,生活費は全てコンビニのアルバイトで稼いでいる.

さて,このとき,この男は何であると説明されるであろうか.
おそらく,「バンドマン」であるということに異論を挟むものはさほど多くないはずである.


というわけで,私はクライマーである.こんにちは,yukiuranishi です.同姓同名の大学教員がいるみたいですが,その人とは別人です.

フクベ・ブーメランスネイク1級 (未完登)

さて,散々言い尽くされているが,COVID-19である.2020年,地球を覆い尽くしたCOVID-19は世界中に甚大な影響を与えたが,それは大学教員にとっても例外ではなかった.ANAダイヤモンドメンバーの85%,エアポート投稿おじさんの70%を占める大学教員 (当社調べ.Facebook上の観測に基づく) にとって,COVID-19による出張の激減はまさに生き方を変える出来事であり,今や大学教員は翼を捥がれた鳥である.文字通り.

ちょうど世間がダイヤモンド・プリンセス号の話題で持ちきりだった頃,クライミングに関する研究テーマを選んでくれる学生さんが3名ほど現れた.そこから数ヶ月はサーベイしたり,少し状況が落ち着いた頃には民間のクライミングジムをお借りしつつ研究を進めていたのだが,どうにもデータ取りなどが非常に困難であった.

すなわち,私はこのような状況に陥っていた.

  • 出張できなくて旅費が余る

  • ジムを借りて研究を進めることは予想以上に難しい

そして皆さん,いよいよ今日のその時がやってまいります……
私はこう考えたのである.

研究室にプライベートウォール建てたらええんちゃうん

と.

関連研究

クライミングの登攀技術向上支援に関する研究は広く行われており,主にHCI (Human Computer Interaction) , Entertainment Computing (EC) およびMixed/Augmented/Virtual Reality (XR) 分野において発表されている.

まず,クライミングにおける情報提示システムを紹介する.betaCube [Wiehr+, 2016] はデプスセンサとプロジェクタによる情報提示システムであり,自己較正可能かつ持ち運び可能なシステムを構築している.また,ClimbVis [Kosmalla+, 2017] は登攀の様子をプロジェクタやHead Mounted Display (HMD) でユーザの視界内に直接提示する手法である.これらとは別のアプローチとして,Digiwall [Liljedahl+, 2005] は半透明のホールドに発光ダイオード (Light Emitting Diode; LED) を埋め込み,かつ壁面には圧力センサが埋め込まれているクライミングウォールであり,LEDによる情報提示に加えて,クライミングにおける計測可能である.提示内容の検討まで言及している研究として,Kajastilaらによるthe Augmented Climbing Wall [Kajastila+, 2016] は,プロジェクタカメラシステムを用いてクライミングウォールにインタラクティブなコンテンツを投影するシステムであり,エンタテインメントを重視している.Daiberらは,スマートフォンを用いて複数の登攀者によるトレーニングをサポートするBouldARを開発した [Daiber+, 2013].Augmented Reality (AR) による直感的な課題の表示などを機能として備えており,登攀者の間でトレーニングの進行状況やコメントを共有できる.

一方,クライミングにおける熟練者と非熟練者のムーブの差異を明らかにする研究としては,Pfeilらにより提案されたClimbing Route Designer [Pfeil+, 2011] や,Shiroらにより提案されたInterPoser [Shiro+, 2019] が挙げられる.しかしながら,Pfeilらの手法は独自の指標を用いてルートの難易度を定義しており,登攀者の間で共通認識が得られている既存のグレーディングシステムに従っていない.一方,InterPoserは熟練者と非熟練者のモーションを単純に補間して中間姿勢を生成する手法であり,補間された姿勢は熟練度と必ずしも対応するものではない.視覚情報以外の情報から登攀者の能力を評価する研究として,クライマーの両手首に装着された加速度センサからクライミングのパフォーマンスを分析するClimbAXという手法がある [Ladha+, 2013].ただし,この手法における評価指標は,power, control, stabilityおよび speedという4つの特徴に止まっており,既存のグレーディングシステムとは関連していない.

自身がクライマーとして,ユーザとして用いることを考えたとき,既存の研究には以下の課題があると考えている.

  • ウォールやホールドの加工を伴う手法は,ウォールの建設自体から行うことは実用的でなく,ホールドに関しても独自のホールドの使用はクライマーからのコンセンサスを得難い

  • 手首や足首にセンサを装着したり,特にボルダリング競技時にHMDを装着することは,登攀の邪魔になったり,落下時に怪我や器具破損の原因となる

  • 既存のグレーディングシステムと独立した指標で議論されており,クライマーのコンセンサスを得ることが難しい

翻って我々の目的は,下記を満たすクライミング登攀支援手法を確立することである.

  • 既存のジムやウォールでの活用を考えると,ウォールやホールドの加工をできるだけ避けること

  • 登攀を妨げないように,特にボルダリング競技において登攀者へのセンサなど器具の装着をできるだけ避けること

  • クライマーからコンセンサスが得られている既存のグレーディングシステムの上で議論可能であること

TK-Wall

上述の目的を達成すべく,我々が手に入れたのがTK-Wallである (ところでTKは小室哲哉氏のことではない).

TK-Wall近影.こんなものが研究室にあるとか

壁の傾斜は110度で,いわゆる「薄かぶり」と呼ばれる角度である.横4.2m, 鉛直方向の高さ2.5mとコンパクトなサイズではあるが,これは主に部屋の天井高に制約されている.成人男性なら地上から手を伸ばせば最上部のホールドに届く高さであり,このスペックから必然的にトラバース課題が多い.2020年9月に壁が建設されてからセットは3回行われ,毎回6級から2級以上の課題が各グレード2−4本程度セットされ,加えてまぶしのホールドが多数付けられている.ルートセットは毎回クライミングジムにお願いしており,名前を出すのは控えておくが「BJC出場経験のある5.14dクライマー」などがゲストセッターとして入っている豪華仕様である.プライベートとしておくのは実に勿体無い.

セット1回目 (2020/10)

セット1回目

とりあえず導入.これで100個くらい.ホールドが高価であり,当時の予算規模ではこれが限界であった.

セット2回目 (2021/3)

セット2回目

セットの主目的がホールドのデータ取りであったため,ホールドを新たに導入した.ホールドの設置数は186個とのことである.

セット3回目 (2021/11)

セット3回目

記事公開時点ではこのセットで運用している.修士論文の被験者実験用のセットなので,ルートにはかなり色々と注文をつけさせていただいた.今回は壁面に変化をつけるため,ハリボテを導入している.

ClimbXRプロジェクト

このプロジェクトにはClimbXRという名前が付いている.大きく分けて2つの研究トピックが進行しており,発展途上ではあるものの,これまでに下記の国内学会や研究会発表を行っている.今後はHCI/XR系の国際会議や論文誌へ順次投稿予定である.

Augmented Realityによる登攀動作上達支援

  • 浜本多聞, 浦西友樹, Photchara Ratsamee, 東田学, 劉暢, 山本豪志朗, "ボルダリングにおける登攀上達を支援する投影情報の検討", 日本バーチャルリアリティ学会 複合現実感研究会, MR2022-5, オンライン (2022.1) to appear

  • 浦西友樹, 長濱愛珠咲, 大西和歩, 浜本多聞, オーロスキ ジェーソン, ラサミー ポチャラ, 竹村治雄, "ClimbAR: クライミングにおける暗黙知の定量化と拡張現実による情報提示", 第65回システム制御情報学会研究発表講演会 論文集, TS12-02-2, オンライン (2021.5)

  • 大西和歩, オーロスキ ジェーソン, 浦西友樹, ラサミー ポチャラ, 竹村 治雄, "スポーツクライミングにおけるOST-HMDの利用と効果の検証", 日本バーチャルリアリティ学会 複合現実感研究会, MR2021-2, オンライン (2021.1)

プロジェクタを用いた情報提示 [浦西+, 2021]

課題の難度推定およびムーブの練度推定

  • 大西和歩, 浦西友樹, Photchara Ratsamee, 東田学, 劉暢, 山本豪志朗, "ホールド形状を考慮したボルダリング課題の難度推定", 日本バーチャルリアリティ学会 複合現実感研究会, MR2022-6, オンライン (2022.1) to appear

  • 長濱愛珠咲, 浦西友樹, Photchara Ratsamee, Jason Orlosky, 竹村治雄, "登攀動作に内在する練度の定量化", 日本バーチャルリアリティ学会 複合現実感研究会, MR2020-14, 函館/オンライン (2020.10)

登攀動作に内在する練度の定量化 [長濱+, 2020]

FAQ

ウォールは研究費で建つの?

建ちます.最初会計に書類を出すときはどうなることかと思いましたが,すんなり通りました.

ホールドは研究費で買えるの?

買えます.

ルートセットに要する費用は研究費で賄っているの?

そうです.

財源は何?

僕はこの研究でファンドをまだ獲れていないので,必然的に財源は大学の運営費となります.余談ですが,このウォールは研究室構成員の福利厚生のためという一面も持つことから,我々の研究室ではクライミング部が結成されています.ちなみに,未経験の状態から半年で2級を登れる学生も登場しており,もしかするとこのウォール一番の成果かもしれません.

どのくらいの費用で建つの?

ご興味がある方は個人的に連絡してください.

そういうあなたはどれくらい強いの?

定量的指標で言えば,FL1級,RP初段となっております.ジムに行ったら2級から初段に手を出すくらいの人ですが,初段はほぼ登れません.マイクロホールドを保持する力と股関節の柔らかさで世の中を渡っています.ハリボテを駆け抜ける系のコーディネーションは壊滅的に苦手です.そもそも怪我するのが怖いのであんまりやりません.長期的な目標は「一般人の限界」と言われる3段を登ることです.

おわりに 〜壁を壊せ〜

情報科学系の研究室において,クライミングウォールを建てるという行為がどの程度ふざけているのかはもはや私には分からない.しかし,本人は至って本気であり,1年以上このウォールを用いて研究を進めている.まとまった成果を発表できるタイミングにも差し掛かりつつあり,極一部のコミュニティでは「研究室にクライミングウォールがある変な人」としての知名度も得られてきている (かもしれない).

ちょっとだけ真面目な話をする.

我々の周囲には,ふざけた研究をしてはならない,役に立つ研究と皆が言う研究をしなければならないという壁が存在している.「いい肉食べたいから焼肉の研究で科研費申請しようぜ」みたいなことを全ての研究者はバーベキューのたびに言う (当方調べ) が,本当に申請する者は言う者の1億分の1くらいしか居ない,と言うやつである.しかし,本当に誰かの役に立つと自身が信念を持ってディフェンスできるのであれば,それはされるべき研究なのである (ただし,これは工学者としての考え方であると言う点に注意しなければならない).その壁は壊されるべきものだ.

「クライミングの研究したいな,それなら毎日クライミングのことを考えながら仕事できるのに」とやってみたら本当に実現できて,「研究室にクライミングウォールがあったらいいな,それなら毎日クライミングしながら仕事できるのに」とやってみたらこれも実現できた.意外とこのようなことはできるものである.ただ当然,本人はこの研究はクライミングの未来に寄与すると考えている.大事なのは本気かどうか,あとはただやるかどうかだけだ.あと,こんな無茶を笑って認めてくれた研究室のボスをはじめとして,一緒に研究してくれているメンバーには感謝以外の言葉がない.

皆も壁を壊すために壁を建てろ,壁を建てて壁を壊せ.

「高ければ高い壁の方が 登った時 気持ちいいもんな」

終わりなき旅 by KAZUTOSHI SAKURAI, 1998


ここからはあとがきである.

壁ACは元々ボルダリングのアドベントカレンダーである,という情報のみを鵜呑みにして気楽に1日分を引き受けてしまったが,壁ACの増し続けるプレッシャーに胃が痛くなっていく日々であった.正確に言えば,壁ACにふさわしいネタこそ持ってるがどう料理すればいいのか全く分からない状態であった.しかも,よりによって引き受けた相手はかの伝説の男こと jellied_unagi であり,「あんなもん書けるかよ…」と2週間くらいずっと頭を抱えていた (あんなもんの例1 あんなもんの例2).最終的には研究設備の紹介,というマジでおもんない落とし所になってしまった.壁ACの壁は高い.

参考文献

[Daiber+, 2013] F. Daiber et al., "BouldAR: Using Augmented Reality to Support Collaborative Boulder Training", Proc. ACM CHI’13 EA on Human Factors in Computing Systems, pp.949-954 (2013)
[Kajastila+, 2016] R. Kajastila et al., "The Augmented Climbing Wall: High-exertion Proximity Interaction on a Wall-sized Interactive Surface", Proc. the 2016 CHI Conf. on Human Factors in Computing Systems, pp.758-769 (2016)
[Kosmalla+, 2017] F. Kosmalla et al., "ClimbVis ― Investigating In-situ
Visualizations for Understanding Climbing Movements by Demonstration", Proc. ACM ISS 2017, pp.270–279 (2017)
[Ladha+, 2013] C. Ladha et al., "ClimbAX: Skill Assessment for Climbing Enthusiasts", Proc. the 2013 ACM Int'l Joint Conf. on Pervasive and Ubiquitous Computing, pp.235-244 (2013)
[Liljedahl+, 2005] M. Liljedahl et al., "Digiwall: An Interactive Climbing Wall", Proc. the 2005 ACM ACE 2005, pp.225–228 (2005)
[Pfeil+, 2011] J. Pfeil et al., "Interactive Climbing Route Design Using Asimulated Virtual Climber", SIGGRAPH Asia 2011 Sketches, pp.1-2 (2011)
[Shiro+, 2019] K Shiro et al., "InterPoser: Visualizing Interpolated Movements for Bouldering Training", Proc. IEEE VR 2019 (2019)
[Wiehr+, 2016] F. Wiehr et al., "betaCube – Enhancing Training for Climbing by a Self-Calibrating CameraProjection Unit", Proc. ACM CHI’16 EA, pp.1998–2004 (2016)

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