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夫婦ブログ『どうして、名もなき家事ができるようになったのですか? その自覚はありますか? 家事をやってみてどう感じていますか?』への返答。夫りょういち編

とある朝、僕が以前に比べ家事を沢山するようになった、という会話が夫婦間で産まれました。

そこで、

「それは一体何故なのか?」という、ゆっきぃ(奥様)への質問に対する僕の答えとしてスタートしたのが今回の夫婦ブログ。

今回で家事の件についての3回目。

因みに1回目と2回目がこれ☟☟☟

1回目の僕のブログで書いてあるように、僕が以前に比べ家事を色々するようになった理由は、

僕は仕事らしい仕事を殆どしてない現在、何かしらやらないと暇すぎて虚しいから

・収入面も家事も両方面倒みてもらうってのも、流石にゆっきぃに呆れられてしまうんじゃないか?という危惧から

上記の2点以外にも色々ともう少し立派な理由をくっつけたりする事はできたんです。

少しは人のためになる事をしたいとか、家にいる時間が増えた事で主婦業の大変さを実感した結果、とか。

男性とか女性とかの既成観念に捕らわれず、共同生活をするパートナーとしての意識が高まった。

とか、そんな立派な理由。

それも決して嘘ではない。

嘘ではなく実際にそういう感覚もある。それも事実。

でもその下、というかもう少し根本的な所にある理由には、上記の2点がどうしても流れていたのです。

何もしないと暇(虚しさを味わいたくない)

呆れられたくない(嫌われたくない)

この2点に共通しているのは立派な理由に比べると随分自己中心的な印象がある、というところだと思います。

でも、あえて自己中心的なところを選ぶ。

この、自己中心的な動機を自分の行動理由として公言する、というやり口。

これは、わりと僕にそういう習慣がいつの間にか身についていた、ってだけのことです。

ほんと、たったそれだけのこと。

でもお陰で「自分を飾らない人で好印象を受けました」

みたいな類の誉め言葉を頂戴することが度々あるんです。

凄くありがたくて嬉しいです。

でも同時に、ちょっと申し訳ない感じが湧いてくるのも事実。

いつだって僕が言葉にして表現するのは僕の中に幾つもある理由の一側面を取り上げて表現しているに過ぎないからです。

だから決して「そういう人」ではないんです。

「自分を飾らない人」

っていう印象を持たれやすいだけで、決して「飾らない人」ではありません。

まったくもって。

たった今こうして書いている文章、この文章ですら「飾らない人」という隠れ蓑を使って自分を飾りたてている最中です。

「最中です」なんて如何にも飾らない人っぽくて

無限ループです。


しかも「どうしてそうしたの?」の理由。

その理由なんて聞かれた後で意味づけしてることが殆どです。

いや、殆どというより全部そうだ、と思うのです。

つまり理由は全部後付けで、選択の起こったその場にはいつだって共通した動機があった。

ようはその場の自分をスッキリさせたいだけだった。

ようは自分に整理がついた状態にしたいだけだった。

僕の今迄の選択や行動の動機を聞かれれば、何時でもこれが底辺に流れていたのではないか?と思うのです。

そうです、

いつだってスッキリしたいだけなのです。

「今より理想の現実に踏み出した」というのは意味づけで、ようはスッキリ感が欲しかった。

「人生は辛い事の連続だ」と諦めようと試みることによってスッキリ感が欲しかった。

「困難な道に一歩踏み出せた」と勇敢になった気分でスッキリしたかった。

実際に行動に移した時も、行動に移さなかった時も、いつも底辺にある動機はこんなものではなかったのか? 

と思うのです。

結婚したり、仕事辞めたり、一人旅に出たり、

断捨離したり、とっておいたり、質屋に売ったり、

皿洗ったり、洗剤補充したり、見て見ぬフリしたり、

立派な理由も自己中心的な理由もいくらだってつけられる。

「僕はこういう理由でこうしました」なんて他者に対して自己イメージをアピールできる格好の機会だと思うのです。

それぞれ得意なパターンでアピールすれば良いんじゃないだろうか?と思う。

どんな理由づけにしろ自分にそういうアイデアが浮かんだんなら決して嘘ではなく事実の一側面という事でいいんじゃないか、と思う。

たまにはネット上で他者を批判することによって暗に自分の優位性を示す、というやり口で自己アピールするなんていう高等技術もおススメの一手です。(←いやらしい書き方だなぁ~)

ただ、

いつだって根本にはスッキリしたいって動機があるだけ。

みんながどうだか知らないけど。

きっとみんなもそうなんだろうとも思うけど。

だから、

『どうして、名もなき家事ができるようになったのですか? その自覚はありますか? 家事をやってみてどう感じていますか?』

なんて聞かれたって

僕には名もなき家事名がある家事も関係ない。

その自覚もない。

いつだってスッキリしたいだけなのです。

ほっぽらかしでやらない時もそっちの方がよりスッキリだった、ってだけなのです。

家事をやってみてどう感じていますか?

については、

家事っていうのは、やっては次、やっては次、で果てしがないですね、って感じです。

モヤモヤが一見スッキリするような気がしても、すぐに次のモヤモヤが訪れる。

ほんとうにきりがないな~ って思います。

いつかホンモノのスッキリが訪れないものだろうか?

いつか問題が無くならないものだろうか?

なんてつい期待してしまいます。

まるで、今までやこれからの人生と同じように。

そして

「ほんとにスッキリする未来なんて日は永遠に訪れないのだ」

という理解だけが、

ほんのひと時のスッキリをもたらすんだなぁ

と思うのです。








藤山家嫁ゆっきぃ 最愛の旦那さん亮一さんと最愛の娘(7歳)空さん、義理母きみ子さんの4人&愛猫2匹でめっちゃ幸せに暮らしている。亮一さんと私、双方から1つのテーマについてやりとり形式のブログを書き綴っていきます。 夫婦のこと、SEXのこと、子育て…亮一さんの面白い視点に注目!