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“連休恐怖症”は私だけじゃないと分かった〜私は私〜

私もあなたと同じことずっと思ってたの。
あなたの気持ち、めちゃくちゃよく分かるよ。

こないだ書いた“連休恐怖症”について。

それを読んでくれた人たちがいて、
『あなたの気持ち、とてもよく分かる』
そう言ってくれた。

私だけじゃなかったのか!という驚きと、
分かってくれる人がいるんや!という喜び。

休みの度に、家族みんなで
仲良くお出かけする人たちの話を聞くのが怖い。

休みの日に子供と自分だけ。
ショッピングモールには
楽しそうな家族たちがあふれかえっている。
世の中から取り残された、自分と子供。
世界から消えたくなる瞬間。

パパがキャンプに連れて行ってくれるねん!
嬉しそうにそんな話を聞かされるのが怖い。
自分と子供は
子供の父親とキャンプになんて行ったことない。そしてこれからも、そんな日は一生来ない。

私も同じ気持ち

そう言ってもらえると、心底ホッとする。
私だけじゃない。
分かってくれる人がいる。

『何で休みの日を子供と楽しめないの?
子供たちを自分の力で
楽しませてあげようと思えないの?
子供と自分だけでできることを
精一杯考えていれば、
そんな気持ちになんてならないはずやろ?』

ものすごい正論をいただく。

分かってます。
分かりすぎるくらい、心に刺さります。
分かってるけど、できないのです。
(出来る時もあるけど、激しく疲れるのです)

子供を生かして食べさせて、、、
そんな毎日を維持しているだけで
自分の活力のほとんどを使っています。

もう頑張れないのです。
頑張りたくないのです。

そしたらこうくる。

『何でそんなふうに頑張りすぎるわけ?
何で肩の力をを抜けないの?
そんな生活を維持することが厳しいなら、
頑張らずにゆったりすればいいだけやろ?
何でそれができないの?!
自分で変わろうと思えないわけ??』

もうがんじがらめ。

私は何もかも分かってるし、
はっきり理解している。

私が欲しいのは、
全面的な共感。
存在そのものを抱擁されたい気持ち。

あーしんどい。
あーー1人になりたい。
あーーーー休みたい。

あーーー...誰かに分かってほしい。

...できれば、近くにいる人に。

子供が朝から泣き叫び続ける。
夜中に体調が悪くて吐き続ける。
こちらがしんどい時に限って、
全く言うことを聞かずに
『お腹すいた!でもコレ食べたくない!
母さんバカ!!バカヤロウ!!!』
と発狂している。
皿を投げつけられて、ご飯が床にこぼれる。
それを無言で片付ける自分。

そんな毎日を必死に生きている人に必要な言葉は、ありふれた正論ではない。

『母さんはいつもいつも、
子供らのことを思って必死に生きてるやろ?、
子供らのこと、
誰よりも大事に思ってるやんか!!

だからお願い!!!

母さんのことも、
同じくらい大事にしてあげて!

“もう十分過ぎるくらいやってるから、
もう大丈夫!
何も心配ないから、
ゆっくり今は寝ていいよ。”』

そう言って抱きしめてあげて欲しい。

母であろうが、ただの人間。
ただ、大事にされたい。
ただ、解って欲しい。
あなたと同じ。

“連休恐怖症”の底にあるのは、

悲しみと
怒りと
恨みと、
こんな状況に陥れた誰かと、
自分自身への限りない憎しみ。

『数時間でも、
子供を誰かに預けたら楽になれるやろ?』

でも、みんながみんな、そうではない。

朝から晩まで、
お風呂も寝かしつけも含めて
子供から一切離れられなくて、

しかも、
その日々の気持ちを
誰とも気軽に共有できない人
に対して

そんな簡単に
正論ぶった言葉を投げかけないで欲しい。

悲しいよね。
そりゃ怒るよね。
憎らしいよね。
許せないよね。

そう言ってくれるだけで、
何もしなくていい。

そうやって寄り添ってくれる人がそばにいれば
どうにかやっていける。

みんな、きっとそう。
そうやと思うんよ。

私も、まだまだ連休が怖い。

でも、そんな私が私自身。
まだまだ許せないことも、
悲しいことも、憎しいことも、
恨み辛みも...たくさん持ってる。

でもそれが私。
必死に生きているから。

だからこんな人がいること、忘れないで。
知っといて。

それがきっと、
社会の中で、
みんなで生きるってことやと感じるから



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