どんなあなたも愛してるよって言ってくれる人がいるだけで
誰にでも、いろんな顔がある。
穏やかで平凡な人生を
ゆったりまったり生きるはずやったのに、
どういう訳か、
終わることのない地味な山あり谷ありの中に
いつもいる私。
おいおい...
MINMIの『サマータイム』♫の顔と、
鬼束ちひろの『月光』♫の顔。
ほんまに同じ人間か?というくらいに違う。
今までよく生きてきたよね。
ここまで生き延びてきただけでも奇跡!
ほんまよく頑張ったよね。
そんなことを自分で自分に言ってやれるようになったのは、ほんま最近のこと。
近頃仕事で、
頻繁に高校生たちと話している。
今の私の仕事はメンター。
生徒との個別面談を通して、彼らの夢をカタチにしていくお手伝い(伴走)をしている。
突然の予定変更にパニックになり、
人が変わったように大騒ぎする子。
受験と家の家事を一手に引き受けてるしんどさ(父子家庭)とで、倒れかけてる女の子。
自分の考えをビジネスにして、たくさんお金を稼いで有名になる方法を必死に探っている子。
......
みんなみんな、
誰かに話を聞いて欲しいし、
寄り添って欲しいって思ってる。
やたらとエラそーな物言いしたり、
別に自分はどーでもいいんすよ!
とかカッコつけて言ってても、
内面はそんなこたぁない。
今日話した、高3の女の子。
『私はそもそも産まれなくてもよかったし、別に特に生きていたいとも思わない人なので、夢とかそういうものは持ってないです。そもそも夢も希望もどうでもいいです。
でも、今まで頑張ってきちゃったし、今勉強やめたら今までの努力がもったいないので、◯◯大学(かなり偏差値高い)にはいきたいです。狙えないわけでもないんで。でも勉強ヤバくて死にそう。』
夢や希望は要らないといいつつ、
自分の中で決めた“やらなければならない”ことに向き合いながら、一生懸命に生きてる彼女。
今までの私なら、
こう言っていたような気がする。
『産まれなくてもいい命はないし、
あなたはほんまに大事で必要とされてる人なんやから、あなたは大切な存在!
一緒にがんばろ!』
でも今日の私は、
こう言っていた。
『そうか...そう思いながら一生懸命生きてんのか。そうかそうか。。
本音で話せる友達やオトナは周りにいる?
自分のほんまの気持ちを理解しようとしてくれる人はいる?
そっか、ちゃんといるのか。
そかそか、よかった!』
これまでの私と今の私。
想いの根底、基礎部分に何も変化はないけれど、確実に何かは変わった気がした。
最近ほんまによく思うのだが、
別に自分のことが嫌いでも、
めちゃくちゃネクラでメンヘラでも、
夢も希望もなくても、
もう死んでもええやとか思ってても...
本音で話せる人、
この人は自分の気持ちに寄り添ってくれると思える人、
しんどい時にただただそばにおってくれる人...
そんな人らがいてるなら、
なんか大丈夫。
(関西的に言えば、)
“なんか知らんけど”、
大丈夫なんやと思う。
究極論かも知れないけど、
それが案外、真理なんやと思ってる。
私にも、
あの子たちにも、
その子たちにも、
本音で話せる人、
どんな自分も受け止めてくれたり、
それでええよと認めてくれたりする人...
そんな人たちが当たり前にいていいし、
そんな人たちにずっとそばにいてて欲しい。
まぁまず、
私自身がこんな風になる。
⚫︎喜怒哀楽をしっかり感じながら、(できれば哀しみよりは多めに)楽しく笑って生きること。
⚫︎自分で一つ一つ決断しながら前に進んでいって、納得のいく人生を過ごすこと。
(人生は壮大な暇つぶし)
私にできることは、まだまだある。
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