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夢や目標を持たねば価値がない!なんてことはない(夢と移住の関連性)

近頃、今までの自分の考え方(価値観)を疑うことが増えてきている。


例えば、

“夢や目標は必要!!”

特に、若者には
夢も希望も絶対必要!

そう信じてきてやってきたわけなのだが、今はその思いを疑いまくっている。

ほんまに夢や目標がないとあかんのか?


仕事で高校生たちと関わる中で、よく出会う場面。


大人たちが、生徒を褒める。

やりたいことや、目標が見つかって本当に良かった!その前向きさがとても素敵!!


確かに素敵。
その時の生徒たちは笑っているし、嬉しそうに見える。

多分その時は、生徒自身も幸せな気持ちになっているはず。『自分にも、人並みに夢や目標があるんだ!って思えたことが嬉しい!』そんな状態なんやと思う。

でもそれって...心の奥底ではどうなの?

 


〈行動力がある子のパターン〉

夢や目標を見つけられた!


夢や目標をカタチにするために頑張らなきゃ!
(何か行動しなきゃ!)


周りに評価されたり、認められたりする自分でありたい!(他の人と比べて、私はどうなの?ということが気になり始める)


行動!実践!アクション!!


夢や目標に向かって好きなことをやっているはずなのに、なんか実は楽しくない。
(心が整理しきれてないからか、想いと行動に解離が生じ始めている)

でももそれは、自分の怠慢のせいやと感じる。そんな自分を否定しながら、どうにか意地でも前に進もうとする。(だけど、見る人が見れば、そこに心が入ってないことを見抜かれるので、なかなか事態はうまく前に進まない)


(私みたいな人に)
『ほんまにソレ、やりたいの?自分の気持ちがほんまにソレをしたいと言ってんの?イマイチ、心を感じない...想いが伝わってこないんやけど、もしかして、自分で自分に嘘ついたり、何かを思い込ませて無理やり頑張ろうとしていない?』などと言われる。


『実は、ほんまはもうしんどい。何か行動しないと、何か形にしないと、そんな自分が許せないからやっている。でも、ほんまはしんどい。』という本音が見えてくる。


この時点で、再度自分の心に向き合うところまで戻れる子もいれば、自分の心に嘘をつくことを認めることでしか前に進めない状態になってしまっている子もいる。


結果、自分と向き合い切れていない10代がまた増えていく...



〈そんなに行動的ではない子のパターン〉

夢や目標が見つかった!


よし!何かしなきゃ!


(時間が過ぎていく)よし!何かしなきゃ!、、、でも何からすればいい?


何かせなあかんのに、どうしたらええのかよく分からなくなってきた!


どうしよ?どうしよ?どうしよ??
(こんな自分はダメで恥ずかしい奴やと思っているので、周りにどうヘルプを求めていいのか分からない)


こんな自分が大嫌い!やっぱり私はダメや!全然あかん!こんな自分、許せない!


振り出しに戻る...




人間は年齢に関わらず、常にスパイラルの中に生きている。何度も何度も同じことを繰り返して、何度も何度も失敗や挫折をしながら、少しずつ成長していく。


大人になった今でも、私は『何回同じこと言い続けるわけ?』などと周りに言われて泣いていることがある笑。それと同じ。


生徒自身の言葉として、
『私は本当に成長できました!自分と向き合うことができました!』

そんな前向きな感想が出れば、それで終わりなのか?それが成果なのか?


私は?と感じるが、周りの人たちはみんな、満足そうな笑みで『素晴らしい結果が出たね』と喜んでいる。私の?だけが、フワフワと空中に浮いている。



どうにもこうにも
違和感がある。

これって実は、移住を推進しようとしている自治体の心理構造ととても似ている気がしている。


『移住できて、新しい環境の中で素敵な人たちに囲まれている今、本当に楽しいです!』

その感想が得られれば、自治体としてはもう終わり!目標達成!なのである。

んなことあるか!


ほんまに大事なのは、その人の一番心の奥底の気持ちに寄り添い続けることである。それが、『まちをつくる』『人と人とがつながる(つなげる)』ということである。


移住する(人生を大きく変える)ことが、その人にとってどれだけ勇気のいることで、どれだけの痛みを伴うことなのか(もしくは、その反動で大きな期待感を持ち過ぎているバランスの悪い状態なのか)知ってる?知ろうとしてくれる?

自治体も、生徒と向き合う大人の(一部)も、そういう、[今までとは違う違和感]にいまいち気付いていないような気がしてならない。

少子高齢化で、どんどん人口は減る。
地方都市はどこもほぼ例外なく過疎化に向かっていて、都市部への人口一極集中は進む。
天災はますます増え、人とのつながりをより強固に持っている人が生きやすい世の中になっていく。(孤立無援は死を意味する)


教育や福祉やまちづくり...

夢や目標を持たせて、前向きに頑張る!と宣言できる人を増やすことも大事。でも、それは結果ではない。あくまで、一過程であることに気づいていきたい。


ぶっちゃけ、私は夢や目標をがなくてもええと思ってる。(とりあえずはね)
人とのつながりの中で、小さくてもいいから、【持続可能な希望をずっと持ち続けていられる方が】ずっとずっと生きていきやすくなるし、これからの社会の変容に合っている気がするんよ。


その成果は、結果は、ほんまにゴールですか?

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