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愛と恋は何が違うのかについて自分なりに考察した成果

昨晩突然、恋と愛の違いについて自分なりの答えが出ていることに気付いて、一人で喜んでいた。


忘れないように、書き留めておく。



★愛と恋の違い★

愛っていうのは、相手のために自分を変えることを厭わないこと。


母親は、我が子を愛している。


だからこそ、本当は眠くても、自らの睡眠時間を削って子どものために授乳する。
本当は大好きな〜のLIVEに行きたいけど、我が子のためにそれを諦めて、子供と向き合う時間にする...

これは愛やと思う。


自分のほんまの気持ちを押し殺して、いやいや我慢してるんやで!


ということではなく、


相手(我が子)を大事に思うからこそ、自分の思いより相手の思いを優先する。相手のために、自分を変える決断ができる。


単純に、自分が何かをほんの少しでも変えることで、相手が喜んでくれる日常が嬉しいのである。


『愛を維持するのには、努力がいる』というのはきっとこういうこと。努力してでも、一緒に生きていきたい人がいる。その人がそこにいてくれることが何より大事。私はそのためなら、自分を変えることを厭わない。


一方。


恋は、私のありのままを相手に受け止めてほしいと思うこと。


ありのままの自分を受け止めてもらえる相手だと思えば喜びは増すし、相手を好きやと思う気持ちも深まる。


だからこそ、


相手が自分のありのままを受け止めてくれないと分かると、次第に気持ちは離れる。


トキメキ、ドキドキ...

そんな火花が散ったようなスタートは切れても、お互いが自分を変えることにまで思いが及ぶことはないのだから、いつかサヨナラの日が来るのは明らか。


でも、サヨナラの日が来るからこそ、恋は刹那的で美しい。そんな時間を必要とする時も、人生の中ではたくさんある。なので、恋が必要ないとは微塵も思わない。


ただ、お互いの努力で変わり続けられない関係であれば、必ずいつかは終わるということである。


『俺はこういう人間やし、これからもずっとこんな感じの人間やから、好きなようにやらせてや!』

『私は嫌なもんは嫌で、好きなもんは好きやねん。それが私やねんから、そんなん言われても無理!』


俺が俺が!
私が私が!!

こんな二人が、この先までずっと続くような愛を育むのはかなり難しい。



きっとこの二人は別々の人生を歩んだ方がええし、もっと他にええ人がおるんやろな〜という状態。


途中まで上手くいってたとしても、相手に必死に合わせていた方が疲れ果てた時がサヨナラの時になる。


『この人のことは好きやけど、多分、ずっと一緒にいるのは無理やわ。だって、変わるつもりのないこの人と、これから先一緒にいても辛いことの方が増えてくるのは明白』


私を含む離婚した周りの人たちや、これから離婚に向かっている友達らを見ていると、恋のまま結婚したのかも...と思う。



『俺(私)はこういう人間やねん!俺(私)のことを愛してるなら、ありのままを全て受け止めて、ありのままを理解するのが当然!』


『俺(私)のことを愛してないん?愛してたら、そんなことくらい理解してくれて当然やろ?!』

こんな身勝手な発言をしても許される唯一の相手は、親(父母)だけである!!!


他人との関係性の中で、相手のために変えられないものがそんなにたくさんあるならば、一生独りで生きるか、一生親の子供として生きるか...の二択でええと思う。


誤解のないように言うが、そんな人生を本人が望んでいるならば、その選択も◎には違いない。



自分がどう生きたいか、が全てのベース。



今の私が言うのもなんだが、
年月と共に変わっていく相手を一番近くで見ていられることは幸せではないんかい?(もちろん、ムカつくことも、悲しいことも死ぬほどあるのは分かった上で。)


心許せる誰かと共に少しずつ変わっていく日々って、ワクワクするやんな?!


巷の奴らが、愛だの恋だのうるせーわw


聞かれてないのに言わせてもらうと、
私はいつも愛が欲しい!


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