自分が何者か?なんてどうでもええやん!...までのこと
『ゆきんこはすごいな。
ちゃんと自分がしたいことをする道、選んでるもんな。自分にはそういうのんないからな。
やりたい仕事なんてないし。
なんでもええねん。
やから、ゆきんこはやっぱすごいな。』
22歳、大学を卒業する時に
友達に言われた言葉を時々思い出す。
大学に入った時にできた友達。
容姿淡麗で、爽やかで、運動神経が良くて、頭の回転も速くて、大手有名企業の面接に次々に受かって、そのうちの一つに意気揚々と内定を決めた人やった。
いわゆる、
よくいるタイプの人。
(男女問わず、このタイプの人は当時よくいた)
その友達にそんなことを言われた時、
私はニコニコしながら
心の中で強烈にこう思っていた。
『そら当たり前やろ!!
私は今まで、
自分は何者か?
何ができるか?何がしたいか?
そのことをひたすら突き詰めるために
貴重な学生生活の時間を費やしてきたんやぞ!
(でもほんまは、
ほんまに自分が先生になりたいかなんて
今も分からん!
これでええねん!って自分に思い込ませることで、私は無理矢理前に進むんじゃ!)』
高2あたりから、
ずっと(今まで?)そんなことを考えていた。
自分は何者?
自分は何がしたいの?
ひたすら考えて、悩んで、挑み続ける人やったなと思う。(自分のこと)
大学では、福祉系のボランティアと小学校や支援学校のスクールボランティアを掛け持ちして、なんやかんやと毎日忙しくしていた。
今となれば、
もっとただただ遊べばよかったやん!
と思うけれど、
現場の空気感の中で、己の知的好奇心を満たすためにひたすら動き続けている方がずっとずっと楽しかったので、私はこれでよかったんやと思う。(このスタンスだけは今も変わらない)
大学を卒業する時、
私は就活をしなかった。
でも、前向きに学校の先生になりたいわけでもなかった。
困った末、
ずっと続けていた福祉系のボランティアで得た経験を、確固たる知識にしたいと思った私。
突然めちゃくちゃ勉強をして、
特別支援教育系の大学院に2年間行った。
そこでまた
突然めちゃくちゃ頑張って、
“自閉症スペクトラムの表情認知と感情理解について”という、事例研究の論文を書いた。
(封印、抹消レベル)
今ある社会の枠組みの、どこに自分が入りたいか。どこに入るとしっくりくるのか。
そんなことを
ひたすら模索し続けてきた時間やった。
なんかそんなことを
36歳あたりまで
ずーっと続けてきた気がする。
そしてそこから、
自分の固くて分厚い殻を脱ぐために必要やった?ことを次々に経験して、今に至る。
私が何者かなんて
どーでもええんじゃ!
今はそう思う。
でもなぜかずっと私は、
“仕事”でしか実現できないことが多すぎる!
と思っていた。
だけどまぁ...
そういうもんでもないよな。
何でもええねん。
どんなでもええねん。
心地いいと思えることが仕事になったり、
お金を稼げたりするかは、
あくまで結果。
私には今、
お金をもらえている仕事はあるしな。
経済的な生命維持はどうにかできている。
ま、それはそれとしてキープしておこう!
確かな安全基地が存在していて(自宅)
自由に
いつも動き回っていて
あちらこちらが
居場所である
今のキーワードはそんな感じ。
続きはまた今度。
祖父母がいる福島県飯野町。
やたらシュールで、でもみんなマジなのが
実にオモロイ。
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