すっかり落ち着くまで何度だって言い続けてあげるから
前から気づいていたけど、
いつの頃からか
私は〝連休恐怖症〟やった。
しかもどんどん悪化してて、
連休のことを思うと、動悸がして、
下手すりゃ息ができなくなる。
私、完全におかしくなってるやん!
それは分かってるのに、
どうしたらええんか分からんねん...。
誰にも言えないけど、
ずっとずっと辛かった。
さすがに向き合わなきゃな、、、最近ようやく
そう覚悟したところやった。
私の想いはこうやった。
↓
連休は、みんな地元や家族と共に過ごす。
ここで私たち三人だけ、取り残される。
みんなが嬉々として好きなことをする様を見ていると、なぜか私は消えてしまいたくなる。
『じゃあお前ら、関西帰れよ』
そう言われるわな。
うん、帰れる時は帰る。
でも、お金もかかるし、
兵庫大阪の距離くらいの気持ちでは帰れない。それに、そんなに長いこと、実家にいたい気持ちにはなれない(私は)。
公務員をしていた時は、
ひたすら仕事に逃げていた。
やってもやっても終わらん量の仕事を
常に抱えていたから、
『仕事します』と言って
親や誰かに
子供らを預けていればよかった。
(パソコン開きながら、
一人手に涙が頬を伝った時は、
さすがに病気になる!と思ってやめたけど)
でも今は、そうもいかない。
仕事自体が前とは違う。
逃げ場がない。
しかも、周りの人間関係は、まだまだ構築中。
怖い怖い。。
悲しさとか寂しさとか不安とか、、、
そういう何かが、
私の心の“奥”につっかえてる。
それをいつか、ちゃんと表に出さんと、
このおかしな恐怖症は克服できひん。。
今日、私は勇気を出した。
『私、〝連休恐怖症〟やねん。』
信頼できると思える人に初めて伝えた。
言語化して世の中に出したのは、
生まれて初めてのことやった。
『どゆこと?』
そらそうなるわね。
どこかの家族に迷惑かけたくない、
邪魔したくない、
家族水入らずの時間に入り込んだらアカン。
何故かそう思い込んでいる私。
ある程度私の話を聞いたあと、
『いい加減、肩の荷、おろしたら?』
そう言われて、思った。
『これからも頑張り続けるか、もう頑張らなくてもいいのか。それを決めるんは、私しかいないやん。』
そんなことを思っていたら、
朝も夜も、
ただただ理由なく機嫌の悪いムスコ(4歳)が、
降園後、自宅でギャン泣きしていた。
私は、悲しむことも許されないのか...
辛かった。
キンキン響く泣き声が聞こえないように耳を塞いで、布団に潜った。(アカン母親やな。)
『母さん、今無理!
頼むから、ほっといて!今だけ一人にして!
(晩ご飯は作ってるから、そっちで食べといて!)』
そしたら悲しくて虚しくて、
泣けて泣けて...
心の奥から出てきた想いは、
『頑張るから許して!』
頑張らなければ、
一生懸命に何かに取り組んでいなければ、
『あんたは、アカン子や!』と怒られて、
認めらてもらえなくて、
愛されないと思っていた、幼少期の私。
いつも自分で自分に言い聞かせていた言葉。
『次は絶対、がんばろう!』
『こんなんじゃあかん!もっともっとがんばろう!』
『まだダメ!全然ダメ!こんな自分許されへん!頑張りが足らへん!』
そして、〝家族〟という単位をものすごく大事にしていた祖父と母。
家族以外に迷惑をかけるな。
家族のことは家族で解決するんや。
絶対にヨソではみっともない真似をするな。
絶対にヨソ様には迷惑をかけるな。
ずーっとそう言われて育った気がする。
その家族という枠組みは、
ほんまにほんまにしんどい縛りやった。
だからこそ、
“自分だけの家族〟に憧れた。
なのに私は、“自分の家族〟も満足に作れないままで、シングルのまま。
ようやく全部が全部、繋がった気がした。
連休恐怖症の奥にあった、
〝自分の家族〟への強い憧れと
もう頑張りたくないという本音。
『もう頑張らなくていい。もう十分頑張ってるから、これ以上、何も頑張らなくていい。』
折に触れて
自分で自分に言ってやらなきゃ。
しんどくて、自分ではどうしても言えない時は、解ってくれる人に代わりに言ってもらえばいいよね。
『もう頑張らなくていい。もういい。もう十分。自分が思うように生きていい。』
今まで繰り返し言ってきたはずなのに、
まだまだ足りないらしい。
私は母も祖父も全く恨んではいない。
むしろ、感謝している。
ただ、あの時自分が隠してしまって
無いことにしてしまった気持ちを、
何度も何度も、折に触れて、
昇華して無くなるまで、
大事にしてやらなきゃいけないってことだけ。
今日もしっかり、生きた気がする。
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