思考停止の組織について強烈な違和感をもつ者であり続けたい
今年、小学校のPTAのクラス役員になった。
コロナということで全体の会合はなく、
紙を提出したら
いつの間にか役員になっていた。
全く意味は分からないが、
そうか...と受け取った。
今年一月に引っ越してきて、
わりと都会“みたいな”ドライな付き合いを望む
、市内で最も大きな小学校に通っているムスメ。
昨年度の最後の学級懇談会にも
ほぼほぼ人は集まらず、今年度は
コロナで様々な行事がなくなって今に至る。
はっきり言って
何も分からないままの小学校生活。
自治体も変われば
学校も全く違う。
2年間クラス替え無しで
同じ先生が持ち上がりで担任する文化が
まだあるのかと感心する。
(私が子どもの頃に通っていた、
熊本の小学校と同じ文化)
きっと、
学級崩壊とか
子供や親同士の揉め事(あの子と来年はクラスを離して欲しい)とか...
そういうことが無いってことなのかな。
なんて平和なんやろう。
(田舎はどこもそうなのかは分からないが)
いまだに“学校の先生”の地位はわりと高いようで、『先生の言うことは聞きなさいよ』という通説が、親の間でもまだまだ通じている様子。
『〜に関する能力を高めるために、先生はどのような意図で授業を組み立てておられるんですか?』とか、
(これは同期の子が言われてた)
『去年、○○先生は成績をよくつけてくれたのに、今年度になってなぜ我が子の成績が下がったのか、先生に分かりやすく説明していただきたい』と言って、夏休みに親が学校にやって来る、、、なんてことは絶対になさそう。
(これは私には間違いはなかったので、
前年度の担任を恨んだ!)
(ちなみに上の二つの意見は、とても素晴らしいと思う。勇気を持って、学校という組織に自分の思いを提示してくれた保護者の方たちに感謝です)
学校って何なんやろな?
PTAもそう。
平日の夜19時集合。
田舎に、私のような
近隣に親族のいないシングル家庭がどれくらいいるかは分からないが、
何とも言えない気持ちになる。
どうしろって言うのよ。
『そんな人、他にもいるから!』
って言われてもね。
他にも“そんな人”がいるから
オッケーかといえば、
そんなはずはなかろう。
『なぜ、その組織(活動)が必要なんですか?
根本的に、しっかり考え直してみませんか?』
公務員の時、
ことある度にそう思っていた。
その質問を誰かに投げかける度に、
『ん?今までやってきたからに決まってるでしょ?』
『私も昔、同じことを疑問に思って、先輩に聞いたのよ。そしたら〜って言ってた。だから、それは必要なのよ。分かった?』
という答えが返ってきた。
それ以上食い下がると
“面倒な奴”になってしまうので、
しっかり空気を読んで黙っていた私。
思考停止の組織...
かもしれないな。
もちろん、
日々学校の先生たちは頑張りまくっているし、
子どものため!と思えば
自分の私生活なんて簡単に無しにしてしまうくらい、必死に働いている。
何もかもがチグハグ。
それが今の学校の状態やと感じる。
公務員を辞めてから
初めて知ったことがある。
不慮の災害(コロナ含む)など
自分に非がない状態で、
突然給与が減る(なくなる)とはどういうことなのか。
今まで自分が
ぬるま湯で生きてきたということを痛感した。
(悪いことではないけど、世間知らずであることには違いない)
最近出会う高校生たちが、
しきりに語っていること。
語り合うことで初めて、
相手のことを知れるようになる。
知ることから始まることはたくさんある。
対話しよう!
語り合おう!
10代の若者でさえ、
とっくに気付いてる。
なのにオトナは
何を怖がっているんやろう?
流れない水は腐る。
大きなブラックホールみたいな“既存の仕組み”に争うつもりは毛頭ない。
でも、
なんか変やんな?
なんかちゃうと思うねんけど、どう?!
そう問い続けられるオトナでいたいと思う。
(今、夢ある若者たちと絡みたいと感じている。
導く者でなく、共に歩む者として)
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