すごくはっきりしないものが、欲しい。
はっきり見えるもの、見えないもの。見えないものを見ようとしたら何が見えるのかな。見えないんだから、見えないまま、そっとしておいてもいいのかな。
余白やあそび
世の中に、誰のものでもないような余白があったらいいなと思う。制度や価値観、何らかのラインから外れたとしても、その余白の曖昧さを受け入れる空気があれば、案外なんとかなったり、うまくいくことがありそう。
余白やあそびがあれば、もっといろいろなことが柔らかくなる。それはシステムのようなものもそうだし、人と人との関わりも。
余白やあそびは、どうやったらできるのかな。
見えるような見えないような
いま、私はすごくはっきりしないものが、欲しい。揺れと揺れの間にあるような、見えるような見えないような。そんなものたちの狭間に身を置きたい。
何が正しいとか、何が間違っているとか、そういうのを一度脇に置いてみて、余白やあそびの空間で、自分がゆらゆらと揺れてみたい。
あるかもしれないし、ないかもしれない。そんな曖昧な何か。なくてもいいし、あったら出会ってみる。そんなことができる余白やあそびが、すぐそこにあるような気がする。
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