かなしみやよろこびをみそひと文字はやさしくうけとめて
いつもnoteで楽しく交流させていただいている接続されたデレラさん☺️
文芸はもとより哲学、美術、科学、アニメ漫画映画いろんなジャンルに精通しており精密で緻密でマシーンな記事に最初はずっと最新のAIかなんかだと思っておりました☺️からの~ときおりチラ見せるデレラさんの中の人に「あら💕ヒューマンだったのね☺️」って、そのギャップに萌えっ🤣
そのデレラさんが質問を募集されていたので応募しました😃質問内容は、note始めたきっかけ。これシンプルですが、わりと聞かれた方の本質というか根底の部分が垣間チラ見れるかもしれないと。
で、きたきた~お答えがこちらっ✨
😂安定のデレラさん節が展開😂
↓はデレラさんの持論へわたしなりの解釈を加えた作品です。
かなり相当飛躍した解釈をしている感が…😃
そもそも深くないから瀬であり浅くないから淵で、深い瀬と浅い淵のとりあわせ、それはデレラさんの言う深層と表層。
受け取れないのは偽りで自分のことしか考えられないのはわたしであり。甌穴があいているのは誰かであり。ダイモンジソウの白い花はわたしなのである。
すべての事象は対角線を軸にして反転している。相手の表層の言葉や態度だけを受け止めて認知のゆがみも加えていたら深層を見落としてしまう。
あ、でも、わざと深層を見ないようにすることもある。わたしはそこまで賢くて強い女ではないから。
デレラさんからわたしへさらっと質問返しが☺️わたしがnoteを選んだ理由と短歌を書く行為とは?にお答えします~。
noteを選んだ理由は、TwitterとかInstagramとかSNSをいっさいやったことがなかったので新しいことやってみようかと。たまたま友だちがnoteを教えてくれたのでアプリをインストールしました。
その時は短歌とか詩とかまったく作っていなくて、短歌を投稿しようという発想すらなかった状態でした。
ノープランノーライフ☺️…んっ🤔
なにを投稿しようかなぁ?って考えてて。短歌は三十一文字の定型がわたしの感情をやさしく受け止めて受け入れてくれる感じがしたからなのね☺️
というかわたしはずっとずっと短歌や詩がつくりたかったのに、自分で自分に罰をあたえるためにつくることを禁止していたのだと思う。
なんの罪かというと、お母さんを助けてあげられなかった罪。
どんだけマザコンなんだって😂話しだけど、子ども3人産んでわたしがどれだけまわりからみたらバリバリの母親になっても、自分のなかには子ども時代に子どもをすることを許されなかった子どものわたしが泣いているのね。わたしは彼女を迎えにいって、助けて癒さないといけないんだ。って気づいて。
それにはどうすればいいか?そのさびしいかなしい気持ちを短歌や詩などにのせて、開放してあげることだと。
まだ試行錯誤の途上だけど。
デレラさん☺️noteって楽しいですね。いろんな差違がある方々と交流すると、自分の世界が広がる。
ありがとうね。デレラさん、そしてnoteの皆さん💕めっちゃ直感型でとっちらかった気まぐれな動きをするわたしですが、どうぞこれからも接続よろしくです☺️
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