『低温物理実験技法』§6.寒剤のトランスファー

 液体窒素と液体ヘリウムは性質が大きく異なるため、保存やトランスファーの方法が異なる[1]。特に重要な違いは、
・ヘリウムは蒸発の潜熱が液体窒素より小さい。沸点における蒸発の潜熱は、液体窒素で198 J/gに対し、ヘリウムは20.9 J/gである。
・ヘリウムガスはエンタルピーが大きい。77 Kから293 Kの温度変化におけるガスのエンタルピー変化は、窒素は234 J/gであるが、ヘリウムは1018 J/gである。

 温度を下げるのに必要な熱量を決める物理量は比熱である。物質の比熱は低温ほど小さいので、大きいとは言えない液体ヘリウムの潜熱でも大きな物体の温度を下げることができる。逆に言えば、少しの熱流入でも大きな温度上昇を引き起こす。

 ガス(気体)は状態数が大きいため、温度に依らない比熱(4Heの場合、(5/2)R)を持っている。このことは、寒剤を用いて物体を冷却するときは、潜熱に加えて、気化したガスのエンタルピーも利用すべきであることを意味する。

§6-1. 液体窒素
 液体窒素は蒸発の潜熱が大きく、非断熱のチューブを使って簡単にトランスファーできる。大抵の物質は77 Kでもろくなるので、トランスファーの最中に破裂する可能性がある(危険である)。従って、破裂しないステンレスのチューブなどを使うのが望ましい。もし長距離(10 m以上)に液体窒素をトランスファーしたいのならば、真空断熱層を有するトラスファーチューブが必要である。

 液体窒素はベッセルの中から供給される。自加圧式が通常である。そのような機構がついていない場合には、汲み出し用のサイフォンをステンレススチールのパイプで作り、加圧口にN2ガスボンベをつないで加圧する。空気で加圧するのは、液体O2の混入および氷の付着の心配があるので避ける。なお、10 l程度の小型の容器であれば手で傾ければ液体は出るが、容器の首の部分に大きな力がかかり容器の破損の恐れがあるのでやめたほうがよい[2]。

 超伝導マグネットやクライオスタットの中には、熱によるダメージを避けるためにゆっくりと冷やす必要性があるものがある。装置のマニュアルを確認する必要がある。

 なお、300 Kから77 Kに温度を冷やすときに必要な液体窒素の量は、
・蒸発の潜熱を使うときは、1.01 l/kg (アルミニウムの場合)、0.53 l/kg (ステンレススチールの場合)、0.46 l/kg (銅の場合)
・ガスのエンタルピーを使う場合は、0.64 l/kg (アルミニウムの場合)、0.33 l/kg (ステンレススチールの場合)、0.29 l/kg (銅の場合)
である。従って、急激にクライオスタットを冷やすよりかはゆっくりと冷やした方が若干(4割程度)効率は良い。

§6-2. 液体ヘリウム
 液体ヘリウムは扱いが難しく、正しい技術や道具を使わないと容易に液体が全て失われる。

 液体ヘリウムは、蒸発の潜熱が非常に小さい。従って、非常に小さい熱量で液体ヘリウムを蒸発させられる。一方で、ヘリウムガスは非常に高いエンタルピーをもつ。言い換えれば、4.2 Kのヘリウムガスを作るのは非常に簡単だが、それを温めるのは容易ではない。

 液体ヘリウムの蒸発では大きな冷凍能力が得られないが、ヘリウムガスを用いると大きな冷凍能力を得ることができる。例えば、300 Kから4.2 Kに冷やすときに必要な寒剤の量は、
    蒸発の潜熱を使うとき  v.s. ガスのエンタルピーを使うとき
アルミニウム 66.6 l/kg          1.61 l/kg
ステンレススチール  33.3 l/kg       0.79 l/kg
銅      31.1 l/kg           0.79 l/kg
である。クライオスタットを急速に冷やすとき(効率的でないトランスファーの場合)は、「蒸発の潜熱を使うとき」に相当する。一方、効率的なトランスファーは、「ガスのエンタルピーを使うとき」に相当する。

§6-3. 液体ヘリウムの効率的な利用
 液体ヘリウムは真空断熱層を有するチューブを用いてトランスファーされる必要がある。このチューブはサイフォンと呼ばれる。多くの異なった設計のチューブが手に入る。

 トランスファーチューブの片方をヘリウムベッセルに入れ、予冷したのち、もう一方をクライオスタットに入れる。トランスファーを速やかに行うために、ヘリウムベッセルの圧力を調整することが重要である。液体ヘリウムは潜熱が小さいので、ゴム風船を使って圧力をかけることができる。

 大抵のクライオスタットは液体窒素で77 Kに予冷し、すべて取り除いたのちにヘリウムをトランスファーする必要がある。室温から77 Kまで冷やすのに取り出さなくてはいけない熱量は、77 Kから4.2 Kまで冷やすのに取り出さなくてはいけない熱量の10倍以上であるため、液体窒素を使うことで液体Heの使用量を節約することができる。システムが4.2 Kまで冷えたら、可能な限りヘリウム層の一番下の部分に供給する。イニシャルの場合、ヘリウムはゆっくりトランスファーする必要がある。速すぎると、冷たいガスがクライオスタットからすぐに出て行ってしまい、冷凍能力(エンタルピー)を最大限利用することができない。速いトランスファーは若干速くシステムを冷却できるが、大量の余分のヘリウムを必要とする。大まかなガイドとしては、ヘリウム回収ラインが数m程度氷で覆われる程度の圧力が望ましい。もし液体が流れているのが回収ラインから見えたら、それはトランスファーレートが高すぎる。

 ヘリウム層が十分に冷えたら、液体ヘリウムがたまり始める。ヘリウム回収ラインの氷が急速に溶け始めるのが見えるはずである。そうしたら圧力を上げてトランスファーの速度を上げる。ゴム風船を利用しては圧力をあげるのは難しいかもしれないが、ヘリウムガスボンベを利用すれば容易に加圧できる。300 mbar (=30 kPa)の圧力が通常適切である。もしトランスファーがゆっくりすぎたら、トランスファーに時間がかかり、その分ヘリウムのロスも大きい(例えば、1時間に2リットル)。

 クライオスタットに再びヘリウムを充てんする場合には、トランスファーチューブを予冷する必要がある。そうしないと、温かいガスが大量の液体ヘリウムを蒸発させることになる。この場合はヘリウム層の最下部にトランスファーする必要はない。

 なお、トランスファーチューブを入れるヘリウムベッセルの口は、アメゴムのチューブを5 cmほどつけ、針金でしばって閉じられるようにしておく。しばるための針金は、直径1 mmの銅線が最適である[2]。

§6-4. ヘリウムトランスファーの工夫
 液体ヘリウムを効率的にトランスファーするのは難しい。以下の兆候が正しくトランスファーできているかのサインになる。

①タッチ:トランスファーチューブの内側と外側がタッチしていると、チューブに氷がまだらに付着しているのが見える。これが見えたら、トランスファーチューブで液体ヘリウムがロスしている可能性がある。

②真空度の不足:トランスファーチューブの真空度が不足しているときは、チューブの全体に氷が見える。

③リーク:トランスファーチューブと、クライオスタットのヘリウム貯蔵層のつなぎの部分にリークがあると、クライオポンプの原理により空気がクライオスタット内部に入る可能性がある。凍り付くと抜けなくなるので、77 Kより高温に温める必要がある。

④トランスファーレート:どれくらい回収ラインが凍り付くか予測する。多かったり少なかったりしたら、原因を考える。

§6-5. Heトランスファーにおける典型的な問題と解決法
①回収ラインが数m以上にわたって凍り付いているとき
 もし長い距離にわたって回収ラインが凍り付いているとき、トランスファーが速すぎてヘリウムをロスしている可能性がある。ベッセルの圧力を下げる必要がある。

②回収ラインの氷が少なすぎるとき
 トランスファーの速度がゆっくりすぎるか、以下のような理由が考えられる。
・トランスファーチューブかどこかの部分でブロックしている
・ヘリウムベッセルの圧力が弱すぎる。たまに、回収ラインの圧力がとても高い場合があり、適切に圧力を調整する。
・ヘリウムベッセルが空になっている。もしそうなら、圧力をかけてもすぐにまた低下する。
・トランスファーチューブが短すぎて、ヘリウムの液面にまで届いていない。エクステンションを利用することで解決できるが、ロスが増えるので30 cm以上のものを使うべきではない。エクステンションを使っても、真空断熱層がないので、ヘリウムがトランスファーされない可能性もある。

③クライオスタットが冷えない
 下記の可能性がある。
・液体がヘリウム貯蔵層下部にまで届いていない。トランスファーチューブが十分長いかどうか確認する。
・トランスファーがゆっくりすぎる。圧力を上げる。
・システムが十分に予冷されていない。例えば、70 Kから40 Kに冷やすよりも、100 Kから70 Kに冷やすほうが難しい。これは熱容量(比熱)が温度変化するからである。
・クライオスタットの真空が悪い。クライオスタット外部が結露するかどうかで判断できる。
・予冷のときに液体窒素が完全に取り除かれていない。窒素を凍らせて4.2 Kに冷やすまでには大量のヘリウムが必要になる。この兆候がある場合には、一度温度を上げたほうがよい。凍った窒素が蒸発するまでには時間を要する。
・エクステンションが長い場合には、(真空断熱されていないので)クライオスタットに到達するまでに蒸発する可能性がある。ガスがシステムを冷やすが、液体が溜まらないことになる。

④クライオスタットが期待したレベルにまでヘリウムが入らない
 液体ヘリウムが溜まり始めたが、突然蒸発が増加することがある。
・リークが始まった可能性もあるが、より可能性があるのは、冷えていないフランジにヘリウムレベルが到達した場合である。一度トランスファーを止めて、フランジが冷えるまで待つ(数分から数時間)。その後、トランスファーを再開する。
・ヘリウムレベルの計測計が正常に動作していない
・まれに回収ラインが熱振動を起こし、熱流入が起きることがある。使用する回収ラインの配置を交換する。
・回収ラインのガスメーターが振動を始めることがある。ガスメーターをバイパスすると、おさまる場合がある。
・トランスファーチューブに問題がある場合もある。交換する。
・回収ラインの圧力が高い場合、ヘリウムが入りづらいことがある。

⑤液体ヘリウムを再充填するときの問題
・トランスファーの最初に蒸発が激しい場合には、予冷をより徹底する必要がある。まずチューブをヘリウムベッセルに入れ、圧力を少しかける。チューブから振動音が聞こえる。液体が出始めたらクライオスタットに入れる。大抵の研究室では、ヘリウムの回収に厳格なルールがあるので、それに従う。

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