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人生についての思考実行フローには2パターンあると考える。

ひとつめは、人生の目標やありたい姿をスタートにまず設定し逆算することによって今すべきことや数ヶ月後数年後のプランを立てる。

ふたつめは、今したいことや学びたいことをした結果仕事や自分のアイデンティティとなるものが少しずつ形作られていく、あるいは知らず知らずのうちに出来ている。そしてそれを繰り返していく。

私はひとつめのタイプを選択し、22年間生きてきたように思う。また受験勉強に励んできた人はふたつめタイプが多いのではないかと推測する。◯◯高校△△大学に合格する、という目標を掲げるのが受験勉強の皮切りにもその後のモチベーション維持にも不可欠だからだ。

中高生の頃私の周りではそれほど、というか今ほどSNS(特にInstagram)は流行っておらず、人を羨むような作用は果たされていなかった。大学生になる頃にはインスタグラマーと呼ばれる人が台頭してくるようになった。フォローしていなくともリコメンドで視界に入る仕様。またフォローしている友人も映えを意識しだした。これらはただひたすらにオシャレなお店や海外、ニッチな場所、風景、レアなイベント等に走る民の指数関数的増加を促進し、リポスト/リツイートがまたさらにそうさせた。

そうして人を羨んだり、キャパを超えた選択をしたり、酷い場合は人を妬み悪口を言うようになった。
例に漏れず私はSNSを見るたびに羨む感情をフツフツさせていた。

なぜ羨むか。私と違う選択肢を取っていける人であるから、というのが私の場合ではあったかもしれない。ただ好きなこと、美しいと思うこと、楽しそう!の直感に従えること。そして今ではそれをインスタグラマーという形で職業にできること。これはふたつめに書いたフローのわかりやすい形である。

それが将来なんのためになるん?
甘すぎ。
それじゃ食ってけないよ。
逃げてるんじゃない?
結婚できないよ。

この言葉は私も小さい頃からよく聞いてきた。子供が一生懸命、大人顔負けのキレキレダンスを披露するテレビ番組を見ていたときも、一緒にいたある人が「ダンスが将来なんのためになるんや」と言っていたのを思い出す。

可愛い!きれい!楽しそう!やってみたい!面白そう!に従い生きることは、人生の醍醐味じゃないのか、それこそ人間であり、何も間違っていないんじゃないか。だけどお金や周りの目がこれを阻んでいた。お金や周りの目がこれを阻むということにすら気づけずに選択の積み重ねをしているときもある。

私だって大学生になって、しかも、ほんの最近、やっとはっきりそれに気がつけた。そしてしたくもない後悔をしている。もっともっとただ好きなことを興味あるものを、たとえ一貫性がないように見えたとしてもそう選択してこればよかった。どんな選択をしようと、それがどんなニッチなものであっても、受け入れてくれるコミュニティや人は存在するんだと、今になって知る。

私はこれからそうしていけばいい。
そして小さな子たちは自分の選択でその子らしく成長してほしい。

あー、あの発言がダンスをする本人達ではなくテレビに向かってで本当によかった。

そしてここで難しいことは、ひとつめの選択をすることもはなまる120点満点だということである。

そしてもうひとつ難しいことは、「自分の思うままに、周りの目とか気にせずしたいことしていいんだよ」を言うことは押し付けでもあり、間接的に巧妙にその人に対し選択肢を狭める行為であるという矛盾の顕在化だ。

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