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しがらみ

 今日は何も書きたくない。
 エッセイとして書くには十分すぎる出来事が、私の身に起こった。しかし私はまだ、それを言葉にしたくない。
 昨日は下書きにあった文章でお茶を濁した。だが本日はその余裕すらない。
 私の文章を書くモチベーションは、端的に言えば"憂愁"であった。(明確な目標もあったが、筆を動かす原動力は辛さである。辛くないと私の筆は動かない)憂き心に駆り立てられた私は、抱える絶望感を希釈して、解釈して、翻訳して、日々のエッセイに綴っていた。
 だが、昨日今日と、辛さが文章へと昇華できる範疇を超えた。そもそも、こうして生きているのもたまらなく辛い。
 以前絶望感は人を殺さないと書いた。それ故辛いのだと。
 確かに絶望感は人を殺さない、しかし、死の淵の、その際まで私たちを追い込む。
 その状態下で、何かに背中を押された時、私たちは自殺をする。……。私は今、首の皮一枚繋がっている!! 
 し風が吹けば、私は死の淵へと転落するだろう。命の花が、まるで桜の花びらのように、散っていくだろう。しかしその様子は、桜の花びらと違い、ひどく無様だ。私の死は美化されない、何者でもないものの死だから。私の死は解釈されない、ありきたりな死因だから。
 だが、私の死は看過されない、周りの人々に悲しみを呼ぶから。

 全く難儀な世の中である。私には、死ねないしがらみがある。首の皮一枚、それは、人間関係を指す。

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