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魔王と勇者(下巻)



 審議の渦中に、魔王は立たされていた。
 魔王の周りには、囲うように座り見下ろす、威厳を放つ魔界の重鎮、元老院。
「静粛に」
 打ち鳴らされる木槌の音に、観望に来ていた魔物共が静まり返った。
「魔王ディよ、釈明は有るか」
「そんなもん、無ぇよ」
 ひょうひょうと、魔王は肩を上げ、目を伏せた。口元はニヤリと緩んでいる。
 一斉に高ぶる魔物に元老院は、魔王の態度に焚きつけられて咆哮した。
 次々に浴びせられる叱責も罵声も、若き魔王の耳には入らない。
「やれやれ…」
 元老の中で一人、老悪魔が静かに頭を振った。
「聴いておるのか、魔王よ! ──これだから、穢れた半人前のごくつぶしが!」
「今、何と言った」
 魔王の紅い眼が、ぐるりと元老院を睨み回した。魔王が放つ静かな覇気に、騒ぎ立てていた魔物共が静まり返る。
「穢れた人間の血なぞが流れておる半人前が! 儂らの情けが無ければ、魔王の地位は疎か、魔族を名乗る事も出来んのに関わらず! この、恩知らずの、木偶人形が!」
「何だと!?」
 カッとなった魔王の魔力が、紅く禍々しく光柱になり、掌に収束し始めた。
「止めんか!」
 傍観していた老悪魔の上げた怒号に、審議の間が震撼する。
 そんな中、平気な顔をしているのは魔王だけ。
「ここで独り気勢を上げてなんとする、魔王よ。
 貴様ら元老も、孫に対する辱めは我が侮辱も同然、覚悟は有るか」
「──これはこれは、ゼノア興。僭越ながら申し上げますと、これは魔王の責務を果たせない若者への、老鋲からの助言にございます。侮辱などとは、滅相も無い」
 ゆったりと席を立ち、黒い豪奢なマントを一振りして肩に掛け、老悪魔が魔王に歩み寄った。
「これ以上の審議は無用である。懲罰ならば、儂が下す」
「そんなそんな、ゼノア興のお手をわずらわすなど、もってのほか。我らは早々に、醜い人間とは縁を切ってもらえれば、と。それだけです…」
「それしきのことで、この騒ぎか。年老い共が集まって赤子苛めとは、全く呆れる」
「赤子じゃねぇよ、成人してるし! …あ、痛ッ!!?」
 ぽかりと、魔王の頭に老悪魔の拳が降りた。
「ややこしくなるから、黙っておれ」
「嫌だね! こいつら、好き放題言いやがって、勘弁ならねぇ! 俺は離縁しねぇぞ、絶対!」
「魔王様にその気が無いとの事でしたら、我らが執るべき道は一つ…」
 元老共の瞳が怪しく光る。
「──殺すのか?」
 魔王の問いかけに、答える者は居なかった。
 ドオンッと立ち昇った魔王の魔力に、天井が崩れ落ちる。
「止めんか!」
 バシッと、魔王は老悪魔から降りる腕を掴んだ。
「止めてくれるな、ジジィ。俺の可愛い嫁に危険が迫ってんだ。こいつら、今、殺らねぇと」
 魔王の挑発に、元老院はどよめき立つ。
「わっぱ! 主ごときの力で儂らに敵うとでも思うたか! 驕りも大概にせい!」
 昂る魔王に頭の固い元老に、老悪魔は呆れてかぶりを振り振り、溜息一つ。
「やれやれ…可愛い孫を見殺しには出来んな」
「ジジィ…」
「肩入れするのは今回だけだぞ、後で酒でも奢ってくれ」
「ああ。とびっきり、キツイのをくれてやる!」
 いきり立ち太い声を上げ掛かってくる魔界の深淵に、魔王と祖父はたった二人、背中を合わせて立ち向かった。  

魔王と勇者 

第七章

 勇者としての資質、魔王としての責務。
 やらねければならない事が何なのか、しなければならない事は何なのか、全ての答えは決まっている。
 言いなりになるのは、まっぴら御免だ。もう、自分で何も決められない、赤子じゃ無い。
 魔王は考え込むことが多くなり、当然口数も減った。
 重要なところを忘れてしまったガルトは、感慨にふける魔王を、ただただ心配するだけ。
「ディ」
「!!!」
 無心で鳩に餌をやっていた魔王は、ガルトの気配に気付かなかった。ばらばらと零れたパンくずに、鳩が群がりついばんだ。
「そんなに餌をやっては、肥えて飛べなくなってしまうぞ」
「ははッ…何だ、驚かせるなよ…」
 ガルトにそっと掴まれた腕が、温かい。
「最近、変だぞ」
「……」
 ガルトの瞳がじっと魔王を覗き込む。
 魔王は窓辺に腰掛けると、ガルトを膝に招いた。
 強いくらいに抱き締めて、ガルトのうなじに額を埋める。
「どうした、しおらしいな。魔王のくせに」
「ははッ…」
 魔王は苦笑して、長く息を吐いた。
「──不安なんだ」
「何が」
「ガルトが、俺の前から居なくなる日が、来るかと思うと…あ、痛ッ!」
 弱気な魔王の天頂部に、ガルトの後頭部が降り下りた。
「私はこうして、貴様と一緒に在るではないか。世迷いごとを」
「……」
「それとも、私と居るのが嫌になったか?」
「そんなこと無い!そんなこと無い…けど…」
 顔を上げた魔王の歯切れは悪い。
「けど?」
 魔王はガルトを抱く腕に力を込めた。
「お前を…お前と腹の子を護り切れるか、不安なんだよ」
「それは精神的にか? 肉体的にか?」
「肉体的…かな」
 ガルトはするっと腕から逃れて向き直り、魔王に向かってニッと笑んだ。
「馬鹿だな、自分の身ぐらい、自分で護れる。みくびるなよ」
 自身に満ち溢れた弾ける笑顔に、煌めく瞳にドキリとさせられた。魔王は思わず、釣られて笑っていた。 

 夜のとばりが降りて尚、魔王城は闇に包まれたまま。
 いつもと変りない、冷やりとした石の廊下。
 風が吹き込み、寝室のカーテンが棚引いた。
 静かな寝息を立てるガルトの横で、魔王がゆっくりと身を起こした。
 暗闇の中で、魔王の紅い瞳がギラリと光る。
 そっと床に降り立つと、壁に立てかけてあるガルトの愛刀を、自分の代わりにベッドに置いた。
 足音を殺して部屋を出る。
 いつもと、なんら変わりない…
 静寂が尖った耳を支配する。
 ──静か過ぎる。
 大広間に下りて、魔王は玉座に深く座ると、光る眼を閉じ頬杖を着いた。
 長い沈黙。
 魔王がカッと眼を見開いた。
 バッと、頭上から鮮血が降りしきる。
 魔王が掲げた右腕には、胴を貫かれた一体の魔物。
「寝首でも掻こうと思ったか? 浅はかだな」
 魔王は右腕を振り下ろし、べしゃりと地べたに這いつくばって痙攣している魔物を見据え、ほくそ笑んだ。
「──ようこそ、魔王城へ。元老院の飼い犬共よ」
 魔王が軽やかに両手を広げると、物陰から暗闇から隠れていた魔物共が、一斉に飛び掛かった。 

 少年の様な笑みを浮かべ、魔王は次々と魔物を薙ぎ倒す。
「雑魚ばかりか。数で敵うと思ったか?」
 間も無く屍で埋まった広間の床を、蹴り飛ばしながら闊歩する。
 微かに息を殺す魔物を足蹴にして、魔王は尋ねた。
「親玉は、どうした」
「──粋がっていられるのも…今のうちだ、若造…悔やんだところで、遅…ッ!!」
 ぐしゃりと、魔王は魔物の頭を踏み潰した。
「まったく、こりゃあ…後片付けが大変だな…」
 魔王は呟き肩を落として、ゆっくり広間を後にした。

 寝室の戸に寄り掛かり、魔王は煙をくゆらせていた。
 目の前には、羽根を生やした悪魔の剣を愛刀で受け、鍔ぜり合っている愛妻の姿。
 羽根の悪魔は紅い眼を光らせて、ガルトの刀を圧していく。
「──観てないで、手伝えッ!!!」
 ガルトの叫びに、魔王は長く煙を吐き出した。
「『自分の身ぐらい、自分で護れる』ん、だろ?」
「こんちくしょう!」
 ガルトは舌打ちして、力一杯、悪魔の腹を蹴り飛ばした。
 ひらりと回転して悪魔は窓辺に降り立つと、剣を構え直した。
「こいつ、何者だ?」
 ガルトも体勢を立て直し、後ろ目に魔王に尋ねる。
「お前を殺りに、来たらしいよ」
「らしい…って、他人事みたいに!」
 羽根を畳んで斬りかかる悪魔の剣線に、搗ち合う刀の金属音が木霊する。
「──思ったより早く、上がってこられましたね」
「なあに、あんなの時間稼ぎにもならないさ」
「その様で…ッ!」

 ギインッ!

 高い金属音を響かせて、空を舞ったのは刀だった。

「そこまでだ」
 ガルトに迫る剣を、魔王が素手で止めていた。
 魔王がチラリとガルトに目を遣る。
「ガルト、何故、本気を出さない」
「だ…だって…この人…」
「だってもクソもあるか! 殺されかけてんだぞ!
 貴様も! 命が惜しかったら、さっさとこの城から出て行け!」
 魔王の怒号に、気負った羽根の悪魔は小さい悲鳴を上げると、逃げるように窓から飛び立って行った。
 掌に残された剣がカランと床に落ち、魔王の血が滴り床に染みをつくる。
「…済まない」
 ガルトは駆け寄って魔王の手を取ると、傷を塞ぐように強く握った。
「大した事ない、かすり傷だ。そんな事より」
 魔王の咎めるような瞳に、ガルトは顔を背けた。
「お前が本気を出せば、勝てない相手じゃないだろう」
「……」
 うつむいたガルトの握る掌が、強くなる。
「魔王が、人を殺さないのなら、私も、魔王の同族を殺める事は、出来ない」
「はッ、馬鹿か」
 鼻で嗤われたので、ムッとした。
「俺が人間を殺さないと、約束でもしたか? してないだろ」
「だが! 私がこの城に来てから一度も、ディは人間を殺していない!」
「あのなぁ…」
 魔王はすっかり呆れて、くしゃくしゃと頭を掻き毟った。
「偶然だ。たまたま、そういう期間だっただけの話だ。俺はいつだって、人間を殺戮する。殺さない保障なんて、無い」
「……」
「だから、妙な情けを掛けて、おっ死ぬような、馬鹿な真似だけはよしてくれ。──頼むから」
 ガルトは口を噤んだまま、小さく頷いた。
 バシンッ!
「!!?」
 魔王が突然、自分の額を平手打ったので驚いた。
「くうぅ~、失敗した! アイツとっ捕まえて、後片付けさせりゃあ良かった!」
 なんか良く分からんが、魔王は酷く悔やんでいる。

 魔界の深淵に逃げ延びた羽根の悪魔が、元老院に報告していた。
 チラリと窓から見えた玉座の間には、累々たる残骸が広がり、一面に血の海が出来ていた、と。
「一筋縄ではいかんと思っていたが、そこまで…」
「奥方のエリシール姫も、並みの人間では無いと…」
 先日の痛手をかばいつつ、元老院は頭を抱えた。
「垣間見た魔王の力は、ゼノア興の力添えがあったにしても、我らを凌ぐ力量であった」
「並みの手練れでは太刀打ち出来まい」
「何か…弱みでもあれば…」
 ほとほと弱って軒並み首を傾げているうち、一人が思い立ったように頭を上げた。
「先日の披露の宴席、余興で姫は自分を『ガリウスの子』だと言ったと、耳にした」
「まさか、ガリウスの子は男子だろう。それに、エリシール姫の父親はグラハム二世だ」
「だが…ひょっとして…」
 顔を見合わせる元老院が、一致した。
「「 “姫” では、無い」」
 言葉が揃った。勝ち誇ったような笑みが沸き上がる。
「本当に彼奴がガリウスの子ならば、つけ入られる!」
 高らかな笑いが絶え間無く、元老院に響き渡った。 

第八章

 薄暗い大広間に、ろうそくの炎が揺らめく。
 王妃を傍らにして玉座に陣取った魔王は、魔界からの来訪者を見下していた。
「──これはこれは。正面切って貴方がた自らがおいでになるとは。ようこそ、魔王城へ。
 年寄り共が雁首揃えて何用だ」
 魔王の前に居並ぶは、武装した元老院。
「早々に、魔王城を開け放して頂きたい。これは勧告では無い、布告である。
 断れば…」
「まぁ、まてまて。長旅で疲れてるんだろう? ちょっとは楽にしたらどうだ、クソジジィ共」
「小僧! ただでは済まさんぞ!」
 太い咆哮が城を揺らした。
「ガルト、下がっていろ」
 魔王はゆらりと玉座から立ち上がると、ガルトを護るように前へ出て、自ら広間に降り立った。 

 詠唱している輩が居る。禁術か、厄介だ。城の中では大きな魔法を使えないし、どうするか。
 ── “不死者の術” 。
 何かを、呼び出そうとしているな。
 古の禁術を扱う死霊術士が、元老の中に居た。かばうように他の元老が邪魔をして、魔王は辿り着けないでいた。
 年老いても精鋭揃い、薙いでも薙いでも、向かって来やがる。
 禍々しい瘴気が集束して、死霊術士は詠唱を終える。広間の左右に元老共がはけた。
 床に焼き付けられた陣から、陽炎の様に人影が顕れる。
「はッ! 今更、死霊が増えたところで、俺様が怯むとでも…!」
「父さん」
 背後の呟きに、魔王は一瞬、硬直した。
 玉座の隣でガルトは口を手で覆い、みるみる顔が蒼ざめて、小刻みに震え今にも嗚咽しだしそうだ。
「──人間なんぞ呼び出したところで、俺様の相手では無い」
 精一杯、減らず口を叩いた。
 死霊は背中に背負った刀をスラリと抜いた。
 あの波紋、ガルトが持ってるやつと同じ。対だったか…否、あれ以上に、どす黒い。
 ──妖刀 “桜女” 。
 名のある銘工が打ったその刀は、数多の生き血を啜り来て、鮮血色のオーラを放っている。人柱の桜にも似て、禍々しくも美しい。
 妖刀を構えた死霊に隙は無い。
 過去、先代魔王を討ち取った、歴戦の勇者。
「魔王よ、貴様は知らぬであろう。英雄ガリウスは…」
 高見に入った元老院が、魔王を、勇者を、あざわらう。
「己が力を高めるために、悪魔と契約し交わった、最強の “魔人” よ!」
 勇者の成れの果ては紅い瞳を光らせて、魔王の背後のガルトを睨んだ。
「ハッタリだ! 惑わされんな!」
 魔王の言葉は、ガルトの耳には間に合わなかった。
 魔王の眼に入ったのは、後方に吹き飛ばされたガルトの姿。
 魔王の隣を一瞬で駆け抜けた魔人の一閃を、鞘から抜くことも出来なかった刀で受け、ガルトは衝撃で壁に叩き付けられた。
「──が、はッ」
 魔人がガルトを追い討とうとしたのを、魔王が間に入って止めた。
 腕が交じり合っただけの風圧で、魔王城が震撼する。
「──クソ!」
 魔人の妖力に、魔王の腕が鈍い音を立てる。
 魔王を遥かに凌駕した英雄に、元老院は手を叩いて喝采を上げた。
「ジジィ共…」
 同じ魔族でありながら、人間の英雄をもてはやすとは、なんて誇りの無い。大義も名分も無い、ただの下衆だ。

 片腕で爪撃を繰り出しても、いなされる。
 弾かれて、弾かれて、魔王の爪はひび割れ、指先に赤い血が滲む。
 妖刀は尚も鮮血を求め、魔王の血を取り込んでは、妖力が増幅して放つ瘴気が濃く重くなる。
「 “魔王に、死を” 」
 死霊が言葉を放った。
 意識が遺っている? まさか、そんな筈は…
「 “魔族を、滅する” 」
 うわごとのように繰り返される言霊は、耳障りでならない。

 ──死して尚、間に堕ちて尚、使命を全うしようとするとは、真の “勇者” ──

 気を抜くと、敵を世辞てる自分が居る。
 気高く、崇高に、己が正義に則って…

「ラチが明かんな」
 魔王はチラリと、気絶したままのガルトを見た。
「刮目しろ。これが、魔王の真髄だ」
 ドオンと、魔王の魔力が光柱になって、死霊を弾いた。
 魔王の常人より細い体が隆起する。
 牙が伸び、爪は硬く、浅黒い肌が漆黒の鋼に転じる。
「おおおッ!」
 猛りぶつかる魔と妖の力は、衝撃波を生んでは城を、大地を、揺るがした。 

 振動する魔王城に、ガルトの背中が揺さぶられた。
 薄っすらと目を開くと、知らない悪魔と魔人が合戦している。
 呆然と、自分では立ち入れない、異形の闘いを眺めた。
 千切れ裂かれた魔人の体。立っているのが、不思議な程だ。
 ──決着は、既に着いている。
 悪魔の片腕が、魔人の首を締め上げ、高く掲げた。
 黒い悪魔は紅い瞳をギラつかせ、ぼろ雑巾の様な魔人に向かい、ほくそ笑んでいる。
「父さん…」
 ガルトの呟きは耳には入らず、魔王の腕が、英雄の胸を穿った。
 バッと飛び散る冷たい飛沫が、ガルトを頭から赤く染める。
 びしゃりと、投げ捨てられた、父の体。
 変り果てた父親に、ガルトは震える手を差し伸ばす。 

 ぐしゃり

 父の頭が踏み潰された。
 あまりに残酷で、あまりにむごく。魔王は、仄暗い微笑みをたたえている。 

「さて、と。まだやるか? ジジィ共」
 変化を解いて魔王は、肩を回しながら振り向いた。
「…おっと、誰も居ないじゃん」
 元老共は、とっくに魔王城から逃げ出していた。魔族の誇りなど、微塵も無い。否、魔族だからこその、自由かな。
 魔王は英雄の骸の傍らで、固まったまま動かないガルトに手を差し伸べた。
 声にならない悲鳴が上がる。
 両腕が自分を護るように、魔王と自身の間に交差する。
 光る瞳は戦慄して、定まらない。
 魔王は何かが、壊れたのを、感じた──

 あれ? 前にも、この眼を見たな…… 

 遠い記憶に甦る、先代魔王が討たれた日の事。
 英雄ガリウスを殺したのは、父の仇を討つためではない。
 生まれながらに汚らわしい血が混ざっているお陰で、大人は勿論、同じ年ごろの者からも善く思われていないと、子供ながらに感じていた。
 人間を殺せば、自分の中の人間も消える。人の部分も消えれば、大人たちの見る目も変わる。のけ者にされることも、後ろ指差されることも無い。そう考えた。
 要は、誰でも良かったんだ。
 それがたまたま、初めて見た人間だった、というだけで。たまたま、自分の父親を殺した英雄だった、だけの事。

 だた一つ、予期せぬ出来事が発生した。

 英雄ガリウスは何を考えていたのか、自分の子供を連れて、死地の魔王城に乗り込んで来ていた。
 崩れる英雄の背後で、動けぬガリウスの子。
 澄んだ青空の様な瞳が印象的で、零れそうなほど大きく見開かれたあの眼が、脳裏から離れない。

 突然、ガリウスの子がわんわんと、大声を上げ泣き出した。
 俺はギョッとした。なだめるもすかすも分からなくて、うっかり威嚇してた。
「泣くな! 殺すぞ!!!」
 怒鳴り声に静止したガリウスの子は、一層、大きな泣き声を上げた。
 し、し、し…失敗したぁ!!
「──泣くな、男だろ!」
 俺はガリウスの子の両肩を掴んで自分に向かせ、言い聞かせるしか出来なかった。
「泣いたところで、死人は生き返らない。泣きわめく元気が有るなら、さっさとこの城から逃げ出せ」
 何故あの時、ガリウスの子を生かそうとしたのか、今思えば馬鹿げた事だ。
「国に返って、生きろ。そして、達者に暮らせ……そうだ ─ “全部、忘れてしまえ” ─!」
 たかだかちっぽけな命だ。仇討ちだとか何だとか、ましてや、俺の運命を大きく左右する存在に育つだなんて、夢にも思わなかったんだ──

 震えの治まらないガルトを、魔王は見下ろしていた。
「まさか、あの時使った言霊が、ずっと作用していたとはな。
 どおりで、忘れっぽいと思ってたんだ…」
 魔王の差し伸べた片腕が触れると、ガルトは体をすくませた。
 魔王は歯噛みして、しゃがみ込み、ガルトの耳元に顔を寄せる。

「─ “思い出せ” ─」

 囁きに双眸がカッと開いた。
 ガルトの眼が、魔王に向けられることは無かった。
 くるりと背を向けて、魔王は静かに言い放つ。
「──去れ。二度と、俺の前に姿を現すな」
 何だ、簡単なカラクリじゃないか。
 最初っから…妙な情けなんか掛けないで、殺しておけば…こんな…

第九章

 強い春風に草草は倒され、波立っている。
 青葉の擦れ合うさざめきに背を押され、ガルトは無心で歩いていた。
 地上に降りてから、何日歩いたかも分からない。

 ──生きねば──

 何としてでも、生き残らなければ。
 何故そんなにも“生”に執着するのか、自分でも分からない。
 朝露を飲み、木の実を食べ、ただひたすらに、喉の渇きと空腹を癒した。

 ふと、小さな石の城壁に懐かしい故郷を想うと、久しく合わない友の顔が脳裏に浮かんだ。
「──ガルト!?」
 正面から、幻が駆けて来る。
「やっぱり、ガルトだわ! 良かった! 帰って来れたのね!」
「ここは…?」
 友の幻に抱き締められて、ガルトは朧気に辺りを見回した。
「父様に送られた砦。こんな辺境にまで足を延ばして…さあ、疲れているでしょう? さあ、こっちへ。
爺や、早馬をやってちょうだい! 英雄の帰還を、父様にも報告しないと!」
 ガルトはいつの間にやら難攻不落のダンジョンを抜け、故郷を避けるように街道を回り、僻地の国境まで歩いて来ていた。
「心配していたのよ。連絡も無く百日も…ふふ、こんなに汚れちゃって。まずは、お風呂にしないとね」
 嬉々とする眩しい笑顔の友に手を引かれ、ガルトは苦笑する。
「ガルトが戻って来たって事は、魔王は──」
 友が結論を出す前に、ガルトは足を止める。
 目を伏せ、ゆっくりと首を左右に振った。
「──え?」

「討ち損じた」

 それきり、ガルトは口をつぐんだ。

 友は、いつまでも物哀しい面持ちで遠くを見詰め、瞳に何も映っていない。友の深紅に変わってしまった瞳が、何を物語っているのか、王女には分かり得なかった。 

 太陽の光が温かく差し込む小城の中庭で、ガルトは久しく覚えなかった、さんさんとした光を全身に浴び、ただ黙って、流れる雲を眺めていた。
 以前より増して口数の無い友を心配して、王女は声を掛ける。
「魔王城で、何が遭ったの」
 突然の問いに心臓が飛び跳ねた。身じろいだガルトの隣に、王女は腰を着いた。
 王女の気配に気付けないほど、感慨にふけっていたと知る。
「──はは。らしくない」
「そうね、ガルトらしくないわ」
 失笑するガルトに、王女はイタズラっぽく笑ってみせた。

 静かな時の流れる中庭に、懐かしい羽音が舞い降りた。青空の雲を縫い、次々と純白の鳩が降りて来る。
 一羽の鳩がひょこひょこと首を動かしながら、ガルトの足元に歩んで来た。
「何か餌になる物を、持っていないか?」
「あら、そうね。爺やに持ってこさせましょう!…あ!あぁ…」
 王女がパンッと手を打つと、鳩は驚き一斉に飛び立ってしまった。
 青空高く、純白の鳩の群れを眼で追って、ガルトはぽつりと呟いた。
「──私は、どうすれば…」
「え…?」
 ガルトは空の彼方を眺め、言葉を選び続けた。
「──大切なものを奪われ、奪ったものを傷付け、それでも…供に在りたいと切に願う。
 だけど、また、拒絶されたら…エリシールなら、どうする?」
「何の話?言ってる意味が、良く分からないわ」
「はは、そうだな…では…」
 静かに笑って、ガルトは王女を真っ直ぐに見詰めた。
「私がエリシールの大事にしている小鳥を逃がしたとして、懲罰を受けなければならず、役職が奪われ城に居られなくなったとして…それでも、エリシールは私と友でいてくれるかな…?」
「そんなの簡単よ。私はそんな些細な事で、ガルトに罰を受けさせないわ」
「…国王陛下が、私を御許しにならかったら?」
 まだるっこしい能弁に、王女は口を尖らせた。
「私たちの間に隠し事はしない約束でしょう?」
「……」
 沈黙するガルトに、王女は溜息を漏らした。
「──そうね、お父様がガルトを城から追い出してしまられたら。
 私も、ガルトと一緒に城を出るわ」
「私が、エリシールが邪魔だと、城へ帰れと言ったら?」
「それでも、よ。
 ガルトの本心じゃないのは分かるもの、私の身を案じての言葉でしょう。
 だから、私はガルトと一緒に行くわ。ガルトに何を言われても、決して、傍を離れない」
「エリシール…」
 友の答えに心の中の暗雲が割れ、一条の光が差した気がする。

 母国からの遣いがやって来た。
「近衛兵長殿。国王陛下が、貴公の凱旋を心待ちにされております。ご一緒されますよう」
「分かった」
 出城を命じられ、ガルトは馬に跨り、砦を後にした。
 残された王女は、胸騒ぎを覚えた。
 ── “凱旋” 、という言葉が、酷く、耳に残る。

 謁見の間に国王は着座して、参上し膝を着くガルトを出迎えた。
「よくぞ無事、戻って来られた、英雄ガルトよ」
 国王の顔は強張ったまま、ガルトの頭を見下ろしている。
「して、首尾は?」
 ガルトは静かに目を伏せ、頭を振った。
「残念ながら」
 国王の周りで、耳打ち合っている占い師達が気になる。謁見の間を護る衛兵の数も、多過ぎる。
「まぁ、良い。其方の働きか、最近では悪さする魔物共も減っている。魔界から流れ込む瘴気も、随分と薄くなった。
 ゆっくりと、長旅の疲れを癒すが良いぞ」
「はっ…」
 ガルトがさっと立ち上がると、占い師の一人が金切り声を上げた。
「陛下! 騙されてはなりませぬぞ!
 彼奴が戻ったのは、国を内側から滅ぼす策略! 彼奴は魔王の手先でありますぞ!」
「何だと…?」
 あまりの造言に聞き捨てならず、ガルトは占い師をぎろりと睨んだ。
「ひいッ…衛兵!」
 ガチャンッ!
 衛兵の何本もの警棒が、ガルトを背後からねじ伏せた。思わず、占い師に殺意が向く。
 悲鳴を上げた占い師は、追い討つように指を差し喚き散らした。
「ひいいぃ、何ともおぞましい! 陛下、ご覧くだされ! 彼奴めのこの、深紅の瞳を!」
 ガルトは床に這いつくばったまま、ぎょろりと周りを見渡した。
 衛兵に占い師に国王に、皆、白い眼で私を見ている。
「紅い瞳は魔族が証。魔王と契りを交わした証! こやつ、魔王の仔を、腹に宿しておりますぞ!!!」
「何と…それは真か? ガルトよ」
 ガルトの紅い瞳は鈍く輝き、鼻で一笑した。
「愛する者の子を宿して、何が悪い」
 落胆した国王は転じて、侮蔑を向けた。
「──其方には、失望した」
 国王の言葉に、ガルトは全身の力が抜けるのを覚えた。
 体を押さえた警棒を払うは容易いが、国王の、義父の失意が、重く心を抑え付ける。
「ガルトを、監獄へ。処分は、追って、沙汰する」
 国王が肩を落として離席する。虚ろに背中を見送って、ガルトは力無く、衛兵に連行された。

 愛する者に見放され、拠り所にした者にも見限られ、勇者は、絶望の淵に立たされた。 

 ── “魔女裁判” 。

 裁判なんて名ばかりのままごとだ。大義も名分も在りはしない。釈明する気も起きもしない。
 鉄の手枷に繋がれて、ただただ読み上げられる罪状を、立ち尽くしたまま聴くがのみ。
 ── “火刑” 。
 古くから魔と通じた女に下される、最も重い懲罰。
 次の満月の晩には、刑は執行される。
 指折り数えてもいられない。
 目前に迫ったその日を、勇者は、冷たい石壁に囲まれ、待つがのみ。 

 鉄格子の嵌った小さな小窓から、青空を飛び交う小鳥が見えた。
「私にも、翼が有ったなら──」
 願ったところで何になる。
 もう、供には無いのだから…
 木々のざわめきが聴こえて来る。手を繋ぎ川辺を歩き、太陽の光を浴びて、三人で──
 ハッとした。
 ──生きねば。
 呪いの様に言霊が響く。
 気が付かぬうちに、鉄格子に手を差し伸べていた。
 まるで引き寄せられるかのように、純白の鳩が招かれ這入って来る。
 何故、そうしたのか分からない。
「済まないな、こんな物しか無いんだが」
 朝食に出された堅パンを、小さく千切って分け与えた。ついばむ鳩に、顔がほころぶ。
「そうがっつくな、肥えて飛べなくなりでもしたら…ふふ、焼き鳥にされてしまうぞ」
 何故、そうしたのか分からない。
 ただ、最期の時を愛する者に伝えたかった。
 それだけの事。
 ガルトは指を噛み切ると、純白の羽根に擦り付けた。
 白に映える、赤。
 行って。
 牢番に気取られないよう鳩を格子の間から放つ。背伸びして格子を掴み、遠くで渦巻く暗雲に消えるまで、願い続けた。 

 ──せめて、お腹の子だけでも──

 満月の晩が来た。赤い、紅い、大きな満月。
 城下の広場に集まった国民が、罵声を浴びせ唾を吐き、石を投げる。
 勇者は、何も感じない。
 十字に組まれた木板に、麻縄で括られ磔られて尚、澄んだ瞳で月を眺めていた。
 何故かは分からない。
 心穏やかに、寧ろ、清々しい。
 何故かは分からない。
 ただ、確固たる自信だけが溢れて止まない。

第十章

「姫、やはり我らだけでは…!」
「何を言うの、皆、男子でしょう! 女がたった独りで行った道が、進めないと言うの!?」
 黒雲に稲光り光る魔王城の直下、岩壁にぽっかりと開いたダンジョンの入り口で、豪奢な馬車と数人の兵士が揉めていた。
 …何だ?アレ。
 魔王は白赤い羽根をくるくると回しながら、ぼんやり崖の縁に座っていた。
「隊長と我らでは力量が違います故!」
「もういいわ、ここまでありがとう。私一人で行くわ」
「姫! ダメです! 姫ー!」
 馬車から飛び降りたドレス姿の高貴そうな女が、従者に抑えられて騒いでいる。
「離しなさい!」
「離しませんー!」
「うっせぇな、静かにしろ。ぼちぼち考え事も出来やしねぇ」
 ばさりと、崖の上から黒い羽音が落ちて来た。
 風圧に顔を背けて眼を開くと、浅黒い肌に巻角の黒髪が、紅い瞳でぎょろりと見ている。
「ひぃいッ!!? ま…魔王!!?」
「あら、丁度良い所に」
 怯んだ従者が尻もちを着く中、王女だけが凛と、魔王と対峙した。
「何だ。騒がしいと思ったら、エリシールじゃないか。ビビってどこかに隠れたんじゃなかったか? それともやっぱり、俺の嫁になりに来たか? そうかそうか、あはは」

 ぱあんッ!

「あ、痛!!?」
 王女が振り抜いた掌が、高らかに笑う魔王の片頬を弾いていた。従者達は戦慄して声も上げられない。
「魔王だなんて、偉そうに。とんだ、でくの坊じゃない。たかだか人間の、小娘の張り手も避けられないの」
「いや、お前…言ってくれんな! 今のは完全に不意打ちだろう!」
 魔王は頬に片手を当てて、普通に言い返していた。
「ガルトに危険が迫っているわ」
「……」
 単刀直入に放たれた王女の言葉に、魔王は口をつぐんだ。
「魔女裁判にかけられたの」
「…そんなこったろうと、思ってたよ」
 魔王はそっと手に持った白い羽根を、王女に差し出し見せた。
「これは、ガルトの血だ。匂いで分かる」
「知っていて何故、行かないのよ」
「俺が行って、どうなるってんだ。搔っ攫うだけでも、ただでは済まない。俺は感情のままに、何をするか分からねぇぞ」
 王女は大きく溜息を吐いて頭を振った。
「呆れた。それでも魔王なの? どこまで腑抜けなのよ」
「腑抜けって…お前、さっきから散々に言ってくれんな」
「男だったら、愛する者は命懸けで護りなさいよ。遊びだったのなら、承知しないわ。
 それとも、何? たかだか一小国の兵力が怖いとでも言うの?」
「……」
 ムッとはしたけど、魔王は言われるがまま、王女の言葉を聴いていた。
「火刑よ」
「それを先に言え。いつだ」
「今晩よ」
 魔王は眼を強く瞑って思案した。
  お前、俺が何をしても構わないのか? 加減出来るとは限らねぇぞ。国には父親に、友達だって居るんだろ? なにより、国民を護るのが王女の定めだろうが」
「愚問ね、私の友人は一人だけ。友人が無事で幸せであれば、国なんかどうだっていい。私は、ガルトを護るためだけに、貴方に嫁ごうと決めたんだから」
「うわ、お前…地味に性格悪かったんだな…」
「ガルトだって、同じよ」
「…こんちくしょう」
 人間のエゴに巻き込まれた魔王は頭を抱えたまま、漆黒の羽根を大きく羽ばたかせ空に舞った。
 ちょっぴり、人間怖えぇ…と思ったのは、内緒だ。

 めらめらと、火の粉を散らす松明を持った執行人が、磔板を取り囲む。
「何か言い遺すことは有るか?」
「何も」
 ガルトの瞳は澄んだまま。
大勢の観衆に、貴族に大臣に国王に、くべられようとしている揺れる炎も、ガルトの目には入らない。
 ──その時だった。
 赤い満月に、黒い影が映った。
「魔王だ!!」
 独りが叫ぶと、どよめきが唱和になる。
 突如として現れた魔王の姿に、悲鳴は大きく、逃げ惑う群衆で混乱が始まった。

「衛兵!!」
 守備兵が次々と矢をつがえ、魔王に向かって矢を放つ。
 五月雨の様に降りかかる矢は全て、魔王の周囲で燃え灰になった。
 羽ばたき一つで松明の明かりが全て掻き消え、城が闇に包まれる。
 ゆっくりと勇者の元に降り立った魔王は、取り巻く守備兵をぐるりと睨み据えた。
 もうもうと立ち昇る魔王の殺気に、追撃出来る兵隊は一人も居ない。
「遅くなった」
「──はは、ざまあ無いだろ」
 勇者を繋ぎ止めた麻縄を、魔王は爪で断ち切り抱き止めた。
 固唾を呑むしか出来ない人間共に振り向いて、魔王は静かに言い放つ。
「人より優れた力を称賛したかと思えば嫌い、思惑通りに進まねば全てを魔性に擦り付け、排除する。
 これが、人間の出した答えか」
 くっと、魔王の口角が持ち上がった。
「まったく、呆れるな。ふははははは!」
 魔王の高らかな嗤いに合わせて大地が震え、足元から放射状に鈍色の光の亀裂が走る。
 魔王は勇者を抱え、ばさりと上空に飛び上がり、紅い満月を背に城を見下した。
「我が愛する妻を愚弄し、虐げた罪、万死に値する」

 カッ、と。

 膨大な鈍色の魔力が城を、城下を、国全体を覆った。
「正義を愛する愚か者は、神に情けでも掛けてもらえ。
 ──もっとも、そう甘くは無いがな。ははははははッ!」
 魔王が墜とした業火の雷は、一瞬で全てを灰にした。 

 ──これは、人々が笑い、集い、生活した、文明の一つが滅んだ、歴史のたった一幕──

 魔王が羽ばたく紺青の空の元、勇者は無垢な瞳で魔王を見詰めていた。
「必ず、来てくれると、思ってた」
 魔王は薄ら微笑むと、勇者を強く抱いて頬を寄せた。
「いたずらにお前を離しはしない。もう、二度と」
 地平線は白ばんで、雲が虹色に色付いて行く。
 魔王と勇者は未来に向けて、夜明けの彼方に飛び去って行った。

  ──その先に在るのは、哀しい運命。
 願わくば、彼らの歩む茨の道に、希望の光の、芽吹かんことを──

『魔王と勇者』fin. ──

序章

 魔王が倒された。
 巷はその話でもちきり。人々は歓喜し、夜通し宴が続いていた。
 魔王を倒した勇者が何者なのか。
 誰一人として知りはしない。そんな些細な事、どうでもよかった。

 黒雲の晴れた古い城では、母子が一組、雨露をしのいでいた。
 虚無を埋めてくれるのは、二人の息子。
 兄は母親に似て、聡明で物静か。
 弟は父親に似て、わんぱくで手の付けようが無い。
「エルト。また髪飾り着け忘れてる、母さんに叱られちゃうよ」
 兄はよく、弟の面倒を看た。
 弟も、兄の言いつけだけは、よく聞いた。
「ごめんよ、リシル。それ重くって…母さんには黙っててくれるよな?」
弟は幼いながらに兄の静けさの裏に在る、何かを感じとっていた。
 兄が差し出す髪飾りに、弟は自ら頭を嵌める。
「父さんの大切な形見なんだから、肌身離さず着けてなきゃダメだろ?」
「だって、木に登るときに引っ掛かって邪魔なんだ、コレ」
 先の尖った異質な髪飾りは不格好にも、二本の角の様に頭に納まっている。 

 兄は銀色の巻き毛に肌は玉石の様に白く、背中には純白の羽根がはためき、まるで天使のように愛くるしい。だが、額からうなじにかけて、赤黒く捻じれた角が覗いている。
 弟は黒髪に紅い瞳、蝙蝠の様な漆黒の翼を広げれば、まさしく悪魔そのものだ。だが、肌は白く、頭に角は生えていない。

 母親は息子達の風貌を痛み、父親の角を削り出すと髪飾りに仕立て、末の子に託した。

  ──ゲフンッ、ゲフン、ゲフン…

 咳込み震えて開いた掌には、紅い血が乗っている。もう長くない事を、父親は悟っていた。
 気丈に振舞っていたけれど、母親もうすうす勘付いていた。 

 病に倒れるなんざ、一族末代までの恥。愛する子供たちを、嗤い者にさせてなるものか。 

 ぽかぽかと暖かな春の日の事。
 母親が見守る中、父親は末の子に剣の稽古をつけていた。
「そろそろ、真剣を持っても良い頃合いだろう」
 父親は末の子が持つ稽古用の竹みつを、母親の愛刀に持ち替えさせた。
「たぁー!」
 大人扱いされたのが嬉しくって、身丈に合わない長刀を振るう末の子は、まるで刀に振り回されているかのように、可愛らしい。
「たぁー!」
 父親はスッと、構えを解いて目を瞑った。

  ずぶり。

  末の子の握る刀が、父親の胸に深々と突き刺さった。
 崩れる落ちるいまわのきわ、父親はそっと、末の子の耳に囁いた。 

「──お前が、 “勇者” だ」

 目の前で起こった惨劇に、母親は悲鳴を上げる事も無かった。
 父親はまるで、自ら進んで刃に向かって行った。そう、母親の青い瞳には映っていた。 

 事切れた夫の頭を膝に乗せ、浮かぶ微笑みに雫が落ちる。
「馬鹿野郎、最期まで、格好付けやがって──」
 二度と醒めぬ安らかな寝顔に、妻は決意して笑顔を向けた。 

 私が、 “魔王” を、育ててみせる── 

 二人の息子が大きくなると、母親は度々、出歩き始めた。
 母親は長い旅から帰って来る度、お土産を両手いっぱい持って来た。一体どこで手に入れたのやら、世界中のありとあらゆる魔術書に禁術書を、抱えられるだけ抱えて来た。
 何の旅なのか、兄弟は知らない。
 母親が帰って来ることだけが、どんな土産よりも楽しみだった。
 けれど兄弟は照れくさくって、土産ばかりを喜んだ。 

 古城の図書室に書物がうず高く並んだ頃、母親は息子二人を呼びつけた。
「リシル、貴方は大きく賢くなったわ。この魔王城の主となるの。
 エルト、貴方は魔王を討ち果たした勇者様、胸を張りなさい。
 二人とも、喧嘩はしちゃダメよ。
 何が遭っても起こっても、魔王と勇者が組んだら、最強なんだから」
 それだけ伝えて母親は、また旅支度を始めた。

 自分の役目は、これで終わり。
 新しい世代に交代して、古い世代は退くもの。

 しかし二人の息子は、いつもの門出とは違い、火が点いたように泣き出した。
 聞き分けなくダダをこね、母親にすがって離れない。
 父親の死にも見せなかった子供たちの、めいっぱいの子供らしさに、母親の決意は大きく鈍ってしまった。

 今も、母親は旅を続けながら、たまに息子達の元へ戻って来る。
 子は、どんなに成長しても手のかかるもの…

 母親は各地で名声を上げ、時々は魔王と勇者の伝説を語り草に友と語らい羽を伸ばし、土産と土産話をたくさん抱えて、魔王城に帰って来る。

 ──The next stage is『ナイトメア 3rd (仮)

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