わたしのこと1

わたしは10月にしては珍しい雪が吹雪く
とても寒い日に産まれた
母曰く破水が先にあり羊水がない空出産で
とても難産だったらしい

今みたいに携帯が普及していない今と違い
父となかなか連絡が取れず1人で
長い陣痛と闘っていたという

相当な痛みなはずなのに声1つ上げず
わたしを産みあげた母は助産師さんに
えらく褒められたそうだ

初めての孫
両家の祖父と祖母は大層喜んでくれて
わたしは蝶よ花よととても大切に育てられた

我が家には分不相応な立派な7段飾りのお雛様を
当たり前に用意してくれた
今でも妹や従姉妹にも言われるくらいに
たくさんの愛情を受けた

だがそれには理由があった
わたしには生まれつきの肺と心疾患がある
勿論それは出生前に分かっていた事で
それでもわたしをこの世に産み出してくれた
母には感謝しかない

この世に生を受けたその時からわたしは母と父に
もらう愛情と同じくらいの心配をかけている

母に至っては気丈に振る舞いながらも
母乳が止まる程の心労だったという
チアノーゼが出てはいけないから泣かせられない
手術をするべきか経過観察かの
ギリギリの選択を迫られた中
幼き愛娘に手術痕を残したくないと
両親はもう一つの方法に望みをかけた

1年間週1で電車で通院をしてくれたお陰で
手術をせずに状態は落ち着いた
あの時の両親はわたしを死なせない事
ただぞれだけを願ってくれた

治ったと思っていた
運動会で思いっきり走れるし
スポーツもリレーも大好きでミニバスもした
リレーで1位を取るとたくさん褒めてくれた

肺機能と身体を丈夫にする為に
スイミングにも通わせてくれた
それでも風邪を引くと喘息の発作はあるし
心臓の検査は毎回引っかかった

身体がいくらあっても足りないくらいの
心配をしただろうにそれでも何よりわたしが
普通の生活が送れる事を喜んでくれた
…十数年後に再発する事なんか知らずに
ただただ幸せだった

時代のせいかわたしはご近所の方にも
たくさん可愛がっていただけた
長屋の住まいの我が家の裏の喫茶店のマスター
いつも作ってくれていたミックスジュースは
未だに誰も再現できずにいる

大きくなったら結婚するの!って
幼心に思っていた酒屋のお兄さん
リアル三河屋さんだった

近くにはスーパーとは名ばかりの市場があった
そこにはたくさんのお店が入っていた

生肉屋さんの太っちょなおばちゃん
買いに行くといつもにっこにこの笑顔で
お喋りしながら揚げてくれる
揚げたてのメンチカツが絶品だった

製麺屋さんの物腰柔らかなおばちゃま
そこのおうどんで母が作ってくれる
鍋焼きうどんが大好きだった

お豆腐屋さんの寡黙な大将
そこで買ったおからで祖母が炊き上げた
卯の花が大好きだった

お魚屋さんの明るい大将と
元気いっぱいの女将さん
自分が大人になってスーパーしかなくなった今
鮮魚店のあの磯臭さも懐かしい

鮮魚店を辞め小料理屋を開いたと聞き
久しぶりに家族揃って食べに行った
大将の明るさと元気いっぱいの女将さんは
あの頃と変わらずそこに健在で
お魚の新鮮さとお料理のどれもが絶品だった

レジ打ちのクールでカッコよく優しいお姉さん
品出しの時に頭を撫でてくれるのが
心地良くもあり照れくさかった

色鮮やかで綺麗な和菓子が並んだ
和菓子屋のお上品な女将さん
時々内緒でおまけしてくれる特別感が嬉しかった

いかにも人柄の良さそうな夫婦がやっている
小さなパン屋さん
甘党の祖父がよくシベリアを買ってきてくれた

乳製品がダメなわたしはパン屋さんの
バタークリームのケーキだけは大嫌いだった
苺もどきの乗ったパンみたいなケーキ
だけどそれも今となっては懐かしい

そんな温かで下町感溢れる古き良き時代
活気と温もりが混在したあの場所も形を変え
温かで大らかな優しい人たちは今はもういない

呉服屋さんの物腰が柔らかく品のある女将さんと
時折顔を合わせるダンディーな旦那さん

遊びに行くと女将さんの入れてくれる
お茶がとても美味しくて大好きだった

そこで魅せられた大島紬で着物を仕立てるのが
子供ながらの夢だった

まだ幼い子供のわたしに躊躇なく
反物に触れさせてくれたお陰で
着物が大好きな人間が仕上がった

質の良い反物は触っただけで全く違う
着心地すら想像できてしまうのだ
わたしは今まで既製品の着物も
浴衣も着た事がない

七五三の着物も浴衣も振袖も全て
お仕立てしてもらった物ばかりだ
反物を見るのがとても大好きな子供だった

初めて自分で浴衣のお仕立てを頼んだ時
自分の為に用意された反物の数々に
嬉しくて心が震えた

完成した浴衣を持ってきてもらった時
少し大人になった気がした

1度だけ既製品の浴衣を着たけれど
着心地が全く違うかったし悲しかった
こんなにも違うんだと驚いたし
幼少期に感じた違いは
間違いではなかったと思った

仕立てた浴衣は今でも現役だ
物がいいからダメにならない
着れば着るほど身体に馴染む

時が経ち成人式の振袖を準備する時期がきた
振袖を選ぶ為に連れていかれた
馴染みの呉服屋さんのお家

自分の為だけに用意された
部屋いっぱいの振袖たち
畳には並べられた美しい反物の数々

煌びやかな部屋に心は弾み
どれも素敵な物達ばかりで選ぶのに迷いに迷った

結局反物から選び
帯や小物1式を何1つ妥協することなく選んだ
それが総額いくらするのかは
頑なに教えてくれなかったが
わたしもそれなりに相場がどの位かは分かる

振袖が出来上がり持ってきてもらった時
想像以上の仕上がりに
感極まって泣いたほど素晴らしかった

成人式を迎え初下ろししてから
毎年お正月には振袖を着た

決して裕福な家庭ではないのに
こんなにも上等な着物を仕立ててくれたのに
着ないなんて何より両親にも呉服屋さんにも
着物にも失礼だ

わたしは決してお嬢様ではない
長屋で生まれ団地で育った
でも育てられ方はお嬢様のそれだった

食事のマナーにお箸の持ち方に
お魚の綺麗な食べ方
外食は父が美味しいと認めた所にしか
連れて行ってもらえなかった

お寿司はカウンターしか行ったことないし
ファミリーレストランも知らなかった
高校生になるまで行ったことなかった
そんな海育ちの父のお陰か父のせいなのか…
生意気にも口の肥えた子供が出来上がった
けれど食事の席で恥をかいたこともないし
所作が綺麗だと褒められるのは両親のお陰だ

幼き頃から弱虫で泣き虫で
いつもハンカチを握りしめている写真ばかりだ
幼稚園のお迎えのバスに乗りたくないと大泣き
参観日に母を見つけては帰る時に大泣き
自分の意見や希望なんて何にも言えない
今じゃ信じられないくらい
大人しく消極的な子だった

あの頃はとても良い時代だった
そんな子供時代を送れたことを幸せだと思う

ご近所のおばちゃんやお姉ちゃんがいて
たくさん遊んでもらい叱ってくれる大人が
周りにちゃんといた

それが当たり前の時代だった
大人になった今でもあの人達の中では
わたしはいつまでも子供のままかのように
声をかけてくれる

都市開発でできた緑地公園に行くと季節を感じる
梅が咲き桃が咲きソメイヨシノに続き
八重桜やチューリップが咲く春

カエルの鳴き声が響くと共に梅雨がやってきて
太陽に向かって自己主張する向日葵が咲く
蝉がまるでここに存在したのだと言うかの様に
自らの命を削って鳴く声が響く夏

数々の樹々が真っ赤に染まり
金木犀がふわっと香る秋

次の季節に咲き乱れるんだと
冬の寒さに耐え忍びひっそりと
我こそは次にと待ち構える樹々や花たち

確かに命がそこにあった
そうしてまた春が来て生命が回って行く

中学では部活に明け暮れ迎えた受験期
出来は良くなかったが
進学塾に入れてもらった中2の春

塾がとても楽しくて積極的に自習にも通ったし
春夏冬ある講習会にも参加させてもらった

みるみるうちに成績が上がっていくことで
初めて勉強の楽しさを知った
その費用がいくらかかっていたのか
十数年後その塾で働き始めたわたしは
驚愕の金額を目の当たりにするとも知らずに…

高校受験にありがちなプレッシャーで
いつもピリピリしているわたしと
母との初めての確執

今となれば初めての子供の受験で
母も心配だったのが分かる
でも当時のわたしはそのプレッシャーと期待に
押し潰されかけていた

そこそこ高めの私立を猛勉強の末に
合格したら気が抜けてしまった

私立に行きたかったわたしは
公立はだいぶ下げたところにしたが
けれど私立で燃え尽きていたわたしは
公立には落ちたと思う…と親を焦らせた
なぜなら公立の合格発表と
私立の学費入金が同日だったからだ

そうして迎えた公立の合格発表
行く気もなく落ちたと思っていたから
受験番号を見つけた時は
信じられなくて2回見に行く程嬉しかった

私立に行きたいわたしと公立に進んで欲しい両親
何だかんだ揉めた結果
公立高校に進学することになった
行くとなったからには楽しもうと
切り替え迎えた入学式
わたしは生まれて初めての一目惚れをした

けれども華の高校生…なんて夢は
一瞬にして儚く散った
門限は17時…

20歳になったら何も言わないけど
あなたはまだ親の保護下にあるのだと
今となっては未成年だし過保護だけど
無条件に惜しみなく愛されていたのは分かる
それでもわたしの青春はなくなったと絶望した

バイトも強行突破したら泣かれた上に
全てのテストで上位3位に入れなければ
すぐに辞めるのが条件だった

それでもそれをちゃんと守って
学年トップでい続けたわたしを褒めてあげたい
門限は21時なのにバイトは21時まで
終わったら即帰宅…

そんなわたしも高校生になると
恋もすれば彼氏もできる

そうして迎えた高校3年生
初めての彼氏は5歳年上で大学を出て
看護学校に入り直した看護学生
自分の受験に彼の国家試験に
初めての恋に一生懸命だった
少しでも一緒にいたいそんな気持ちで
親の信用を得て門限が22時になった

受験へのプレッシャーと
友人との確執で参っていた誕生日
誰にも何にも言えずにいたわたしに
何かを察した母が用意してくれた物は
全て違う種類で作ったホールケーキと
好物ばかりで作った懐かしのお子様ランチだった

張り詰めていた糸がプツンと切れてしまった
堪えきれず涙が溢れてきて
子供みたいにわんわん泣いた
美味しくて美味しくて何より優しさが嬉しくて
たまらなくて涙が止まらなかった
そして少し太った…

友人との確執は残っていたものの
悩みながら無事に専門学校への進路も決まり
奨学金の免除の為の勉強を続けていた
彼も無事に国家試験に受かった
でもわたしは奨学金免除の試験に落ちた
初めて味わった挫折だった

そしてむかえた卒業式の日
楽しかった事も辛かった事も想い出して泣いた

友達ときちんと仲直りができた喜びと
薔薇の花束を持って彼が迎えに来てくれたことが
落ち込んでいたわたしにはとても嬉しかった

これから先たくさんの挫折を味わう
そして心が壊れるのはまたのお話
春休みは何も知らない束の間の幸せな時間だった

心が壊れるまでわたしは
世間一般で言う良い子だった…

                                 to be continued…


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