推し活というもの
単なる心の吐き出しという日記
推し活なんて20年前私が日本の推しを好きになったときには、聞くことの無かった言葉。
でも、まさに推しを推す活動の「推し活」は誠しなやかにはまる言葉だ。
SNSも今のように発達しておらず、日記サイトなる物を個人の日記をウェブに書き綴って、誰に見せることも無かった。
その後ブログなる物が出てきて、なんだこれ?状態でやっていたら、あっという間に今みたいな色んなシステムが出てきた。
HPも簡単なセットアップ仕様のプログラムはあったけど、思うようなことが出来ず(私は画像を好きな場所に貼り付けたかったし、透過もしたかった。
素人がHTMLをなんとか分からないなりに使ってHPを作ったりしていた。
プログラムじゃない、単なるお遊びレベルの内容だったけど、当時はやりたいことが出来ている方だと思っていた。
その頃の走りで入ったファンクラブ。
当時は掲示板や日記しかなかったなぁ。
今は動画に配信にって、信じられない進化だからこそ、国外の人だとしても好きになってしまう。
国内の推し活
そんな、こんなの時代に推し活なる物を始めた私。
友達を作るのですら苦労した時代。
私設掲示板で仲良くなって、オフ会で初めまして・・・ってやっていた。
新規・古参なる話も当然経験はしている。
日本の推し(達)がデビューして1年半で私はファンクラブに入った。
その前にヒット曲も出ていたけど、私は目もくれていなかった。
育児の方で手一杯で、TVもほとんど、ラジオも一切聞いてなかった。
たった1年半の差で新規だ、古参だと話が出る世界。
なんで1年半私は間を開けたのか、仕方なかったけどどうしてラジオを聞かなかったのか。
彼らはラジオでパワープッシュされていたからだ。
バンタンを好きになったときもそれを感じたのは確かなんだけど、過去の苦い経験である程度の悟りを開いているのか、今回は「悔しいけど仕方ない」と思えてはいる。
ただ、20年目を迎えて思うのは、好きな気持ちに過去の時間は関係ない。
一緒に過ごした時間と経験値は確かに違うけど、それは仕方ないことだ。
うちの推しは未だに「初めてライブに来た人ー?」って聞いてるくらいだ。
それくらい、今初めて好きになったって人のこと気にしているのだ。
ツアーも初回から参加していた方々とご縁を持つ機会があって、グッツやパンフ(最近は見なくなったけど、パンフ全盛期)を見せていただいて、羨ましかったのは確かだ。
聖地巡りももちろんした。
彼ら自身が明かしている地元のご縁があるところにも行った。
ここの中学校ってのまで話してるので、見に行った。
凄く楽しくて幸せだった。
これを言ったら怒られるけど、相当の昔はホールでやることが凄いくらいで
小さな会館とかもたまーにしていたので、出待ちもしていた。
ちゃんと道路の反対側で側で、みんな行儀良くしてお手フリフリで。
ちなみにほぼ遠征でやっていたことだ。
国内の推し活はそんなに大変じゃない。
問題は国外の時だ。
国外には縁が無い
私は新婚旅行でしかこの国を出たことがない。
聖地巡りしたい、彼らの住んでいる国に行ってみたい。
その気持ちは変わらずにある。
死ぬまでに実現出来たらな・・・とは思っている。
が、それ以外の国外にライブの為に遠征・・・はって話。
言葉の壁もそう、金銭的なこともそう。
老後2000万円問題に引っかかってる世代。
何でもかんでもお金を使えるものでもない。
言葉も英語はなんとなく意味が分かる、韓国語勉強中・・・の身。
壁どころか、エベレストに登れと言われているのと同じだ。
色んな規約が変わって、日本のチケット問題も出ているさなか
グローバルスターになった7人に会えるのか。
日本人のアイドルやアーティストの人に会うのはとは訳が違うのは当然承知しているけど、それでも成り立ちを考えると・・・とは思う。
遠くでも良いから空気を
こんなことを思うなんて、正直思ったこともなかった。
日本のは抽選でチケットが当たるし、席も抽選。
運が良ければ最前列で会える。
某アイドルグループが超絶人気の時、ファンであった友達は北海道だろうと国内ならばどこでも行くと宣言して、実際に遠い北海道まで行っていた。
チケット自体が取れることが難しかったからだ。
その遙か上を行くだろうバンタンのカムバック。
死ぬまでに会いたいのだけど、神のみぞ知るってやつなんだよね。
支えているのは新規も古参も関係ない。
ただ、古参の人達は経験値があり、知識がある。
その点で言えば、古参の人は新規の人に教えてあげる糧があるってことだ。
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