私の両親は関西人であり、基本的なルーツは2人とも京都から来ている。 でも祖父母の時代に、父は神戸、母は大阪で生まれ育ち、完全なる関西人だ。 関西人ならお判りだろうが、関西と言ってもひとくくりではない。 神戸人と京都人と…と同じ領域でくくると文句が出る。 言葉も微妙に違ったりするし、京ことばってのがあるので 母などは「にぬき」という言葉をよく使うので、私も当たり前に使い 家族全員に「何それ」と毎回言われる羽目になった。 (にぬきはゆで卵のこと) 父は「ごちそうさま」と言えば
今日は家族の関係で、来客があって私が対応取るって事があった。 老人福祉系で言うような、ケースワーカーさんが来て話をするみたいな感じだ。 もう何度も来て貰っているし、良い方なので 難があるとしたら、家をきれいにしないといけないこと位。 日程の調整も私の仕事や家庭の事情を考慮して決めてくれるし。 来てもらって、話をして。 私の仕事とも関係性がある仕事なので、そちらの業界どうですか? みたいな感じで話とか情報を得る機会でもある。 1時間位から、私の声が出なくなってきた。 これ
世間も自分も大きいか、小さいか、影響が大か小か、影響の及ぶ範囲 または影響を受ける人の数、大小あれどその世界で生きている。 私は小さな家庭と職場と会社と・・・狭い所で動いているのだけど それでも厳しいことは沢山ある。 私自身の人間としての、キャパシティの問題や考え方の問題。 体力的な面、病気のこと。 対象となる人間の持ってるものでも、状況は変わる。 小さなことが積もってきていて、色んなことを自分で理由付けして 縛っている部分もあると思う。 本当はもっと出来るはずなのに、し
後1か月でホビたん(と呼ばせて)が帰ってくると思うと 心にポっと灯が灯るような、静かな喜びを感じる。 K-ポと言われると、娘がもっと若い時にTWICEが色々と出ていた時で 「~ちゃんが日本人で、~ちゃんが韓国人で…」 と説明を受けながらも「全然分からん」ってなっていた。 男性アイドルになると、全員同じに見えると言ってしまう程の私だった。 だから、カッコいいから始まったのではなくて、ダンスが凄いなぁ~ (しかもヨジャドル始まり) からの、ん?とナムさんが気になってきて。
単なる日記、愚痴日記、日々の生活、そんな物を20年以上前に PCを手にしたときから何年か書いていた。 当時日記サイトみたいなのがあって、単純に日記書いて読んで貰うみたいな感じだったと思う。 その後にブログと言う物が出てきて、色んなSNSが出でって感じ。 ブログが出たときはその仕様について行けなくて、単純な簡単なことを好む私には面倒だった記憶がある。 今日もそんな単純な私の日記。 あるYouTuberさんの幸福感やその反対のこととかを聞いていて 不幸で暇だから、人を貶め
私医者でも何でも無いんだけど、家庭のこととか仕事のこととか Dr.の見解を知りたいと思って、YouTubeをよく見たりしている。 いわゆる「精神科」系の話。 誰でも病むことはあるし、健康な人でも落ち込む事もある。 ガッツリ病名が付くこともあるし、それによって色んな不利益 (病名が付くことで起こるのではなく、病気所以の色々) を被ることもある。自身が被ることもあれば、他人がってこともある。 こんなの病気でも何でも無いでしょ? って事も実は病名付いたりするし。 別に本人も周
まずはジンくんお帰りなさい。 私がバンタンが好きなのかも?と知って、Twitter(X)に入ったとき 私の目に飛び込んできたのは、ジンペンさんの熱いツイだった。 勿論、他のメンバーのことも沢山発信されていて、 それでホビちゃんかわいい・・・となったりもしたし。 テテが好きなんだと自覚していたから、最推しはテテだけど 基本7人全員好きだから、テテじゃないからって目では見ていない。 入隊の時、どれだけ心配して心を痛めていたか。 メンバーのペンの中でもジンペンさんが一番色々思
私の仕事も夫の仕事もGWなんて物は存在しない仕事です。 夫30年以上同じ仕事をしていて、私は結婚してからまるっと30年 GWって何?って生活をしてきたのです。 若い頃は子供を連れて実家に帰っていた時もありました。 今は子供達も成人しているし、私も休み関係の無い仕事なので それこそ本当に関係ないのですけど。 たまに楽しくお休みを満喫している人を見て羨ましく思うときもあり。 季節に関係なく、今どこもかしこも人手が足らないって話を聞きます。 私の業界も人手が足りていると聞くこ
とても貴重な体験をさせて貰いました。 何をってのはここでは書かないけれど、無知は全てを台無しにすることもあるって又思いました。 私は狭い世界に住んでいて、今時分のいる業界とか自分の周りの世界のことしか知らない。 聞きかじりの知識はあったり、広く狭く訊いたことがある、知ってるってのはあるんだけど、自分の好きなことですら、分かってないこと結構ある。 好きな推しのこと、そりゃ近くにいる人でもないし 遠くから見ていて、素敵って思ってるだけだけど その人の置かれている背景とか、お国
この春先ってやつは体調不良を起こしやすい。 特に問題なのがめまい。 強制終了のごとく動けなくなる。 倒れた人みたいに床で寝転んで動けなくなったこともある。 そんな状態で思うことはやっぱりおかしなことを思ってしまうのだろうか。 大好きな人が、銃を持って広報している姿に悲しいけど事実だと 受け入れることに対して、特殊なんだろうか。 うまく説明できないけど、サバイバルゲームでその格好をしていたのなら 「カッコいい姿」と言ってもいいけど、本当の訓練の姿はその言葉すら 言ってはいけ
私の職業、関連のある業種の人は言えばすぐに分かるけど 一般的な特に特別なこともない人にしたら、なんとなく分かるとか 何をしているの?ってなることが多い。 私の父親はもう高齢で当然、引退をしているのだけど 元していた仕事は「医薬品製造業」となるのだそうだ。 と言っても、父は製造はしていない。 販売する側の人間で、医師を相手に仕事をしていた人だ。 いわゆる営業ってやつだ。 引退間近の嘱託時代は製造にも携わったけど。 私の職種も表に出る言葉と実際に表に見えている仕事は違う。 だ
バンタンとテテを思いながら作って販売してるもの↑ 画像で載せちゃう💜 いや、バンタン推しだとは一切語ってないけど、見た人が 「あっこの人バンタンぺンかも」なんて思ってくれたらうれしい。 と言いながらの、単なるひとりごと。 私は日本の推し活20周年となりました。 推し活を始めたのはもう30も過ぎていたのだけど、当時の私は 美容と言う物には無頓着で(それでも若く見られたいたのは何故) すっぴん平気な人でした。 所が、好きな人ができたとたん(あれ?Dは好きな人では?) 美容に
ドラマ見てないなぁと Xで韓国の推しを作って推していれば、自ずと流れてくる新しいドラマの話。 もうドラマと言えば朝ドラ・・・っていう、おばちゃんの典型のようなことになっている私。 と言うか、私より朝ドラにはまってるのは夫なのだけど。 習慣化しているからなんだろうね、新しいドラマになってもちゃんと見ている。 おかげさまで、半沢直樹くらいしかまともに食いついて見た記憶が最近無い。 が、あーあったw 我が家、「相棒ファン」で特に息子と私がファン。 右京さんとお仲間のご縁?で、息
単なる心の吐き出しという日記 推し活なんて20年前私が日本の推しを好きになったときには、聞くことの無かった言葉。 でも、まさに推しを推す活動の「推し活」は誠しなやかにはまる言葉だ。 SNSも今のように発達しておらず、日記サイトなる物を個人の日記をウェブに書き綴って、誰に見せることも無かった。 その後ブログなる物が出てきて、なんだこれ?状態でやっていたら、あっという間に今みたいな色んなシステムが出てきた。 HPも簡単なセットアップ仕様のプログラムはあったけど、思うようなこ
映画の最後のように MVを見る私 実はまだ1回しか見れていない私。 それは色んなことが関係していて、単に忙しいとかそういうのでもない。 確かに雑多な私なので、理路整然とした動きができない。 やりたくないことも先延ばしにしてしまう。 そしておいしいものは最後に…と実際はおいしいものは先に食べるのに こういうことは最後に置いて溜まっていく。 でも、見ておかなきゃ、角砂糖の正体は? テテとIUちゃんのあのかわいすぎるのは何? 休みが幸いに続いたおかげで、食事の最後に覚悟して
実は昨日愚痴の日記を書いてました… ですが、書き終わらないうちに地震が来て、こんなこと書いてる 自分が馬鹿に見えてやめたっていう・・・。 私の地元は関西で、親戚も(兵庫・京都・大阪)と散らばっています。 阪神の震災時、私は結婚した次の年で夫の地元に住んでいました。 関西圏ではなかったのですが、緩く揺れて なんとタンスの隣で寝ていたため片手でタンスを抑えるという 寝ぼけたことをした程度の揺れでした。 が神戸の中心地に住んでいた親類宅は全壊し、身内こそ全員無事でしたが 一