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自分史は究極の楽しみ(その2)自分史なら、歴史の改ざんは許される


自分史を書く「時間旅行」は、究極の楽しみです。なぜそうなのでしょうか?

「イソップの狐」法と「塞翁が馬」法
 人間は楽しかったことをよく覚えています。これをもっと発展させて、積極的に編集した自分史を作ってしまうことも考えられます。

 自分史を作る過程で思い出したくないことを思い出してしまうかもしれませんが、それを修正して正当化してしまうのです。人間の記憶は作り替えられるのだそうです(注)。だから、繰り返し自分に言い聞かせれば、そのうちそれを正しい自分史として信じるようになるでしょう。
 「歴史的事実の改訂は問題だ」との指摘があるかもしれません。確かに、中国の昔から国の「正史」が行なってきたような歴史の改竄は、問題があります。個人についても、「経歴詐称」になっては、犯罪行為です。しかし、頭の中で行なうだけなら、自分だけの歴史を勝手に作りかえても、誰にも迷惑はかからないでしょう。

 もっとも、過去の事実を修正することまでしなくともよいでしょう。私がよいと思うのは、過去の事実はありのままにして、その評価を積極的にし直すことです。とくに有用なテクニックとして、つぎの二つを紹介しましょう。

 第一は、「イソップの狐」法です。
 例えば、つぎのように。「彼女にプロポーズしたのに、ふられてしまった。しかし、いまから考えると、彼女と結婚しないほうがよかった。美人ではあったけれど、それだけのことだ。浪費家で家事はできない。結婚していたら、大変な家庭になったことだろう」。
 第二は、「塞翁が馬」法です。例えば、つぎのように。「最初に就職試験を受けた会社に不合格になってしまった。その時は、合格した友人がうらやましかった。しかし、その会社は倒産してしまい、友人はいま新しい職探しで大変。人生では何が幸いするか、わからない」。

 以上の意味で、自分史の作成は、頭の中で人生をもう一度やり直すことです。サイコセラピーでよく行なわれる手法は、悩みの潜在的原因を探り、それをとり除くというものです。これを自分で行なうのが、自分史の積極的な活用法です。この点で、自分史の作成は、自己発見への旅だということもできます。

「同窓会に関する2つの法則」   
 同窓会でかつての級友に会うと、思い出話に花が咲きます。「そういえば、・・・」と、懐かしい記憶が次々に甦ってきます。思い出した本人がびっくりするような、詳細な記憶です。同窓会に限らず、何かがきっかけで、過去にタイムスリップすることがあります。思い出を手繰ると、楽しくて引きずりこまれてしまいます。 「自分史を作るための同窓会」を招集してもよいでしょう。
 
 私は、「同級会に関する2つの法則」というものがあると思ってています。
 第1法則は、「メンバーが歳をとるほど、同級会の頻度が増す」というものです。
 私の高校の場合について言いますと、まず、公式のクラス会が、いまは毎年開かれています。ところが、これは 10年ほど前からのことであり、それまではこれほど頻繁ではありませんでした。30代から50代の年齢の頃には、ほとんどなかったのです。
 このほかに、クラス会ではない同級生の集まりがあります。メンバーはクラスをまたがっているし、クラスの全員というわけでもありません。また、地域別の会というのもあるようです。
 歳をとると、なぜ同窓会が増えるのでしょうか?理由はいくつかあります。
 第1は、自由な時間ができるからです。日々の仕事に追い回わされなくなります。30代から50代では、クラス会に参加しようとしても、時間がない場合が多いのです。
 もう一つ理由があります。それは、ライバル意識がなくなることです。仕事との繋がりを求める人もいなくなります。まさに、君子の交わりになるわけです。
 私の場合、同級会の中でも、高校の同級会が圧倒的に多くなっています。それは、高校は同質的メンバーの集まりだからです。これが、第2法則です。

 高校の同級生が集まれば、思い出話は尽きることがありません。誰かが、当時の写真や文集を見つけて持ってくることもあります。
 私が属しているあるグループでは、英語の副読本で『アニマルファーム』という本(ジョージ・オーウエルの小説)を読んだのが1年生だったか2年生だったかを巡って、大論争が起きました。
 私は2年生と固く信じていたのですが、ある決定的な証拠が提出されて、私の間違いが証明されてしまいました。

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